桜の夜

春野訪花

桜の夜

 少し暖かい夜だった。まだ春と言いきるには早い暦ではあったが、春がふわりふわりと近づいてきているのを感じた。

 夜更けの時間。一部のモノたちは今が活動の時間ではあるが、私は違う。寝床から起き出して窓辺へと歩み寄る足元を、小さな黒い影が通り過ごした。夜闇を好む「カゲ」だ。有り体に言えば「妖怪」である。

「あまりはしゃがないようにね」

 走り回るカゲに一言言うと、返事の代わりにぴょんと飛んで返された。彼らは無邪気で、夜になるととても元気になる。時々はしゃぎすぎて物を落として壊してしまうのがたまにキズだ。

 廊下を進み、突き当たり。そこには丸窓があった。その向こうに桜の木がある。まだ少し時期が早い桜の木だ。桜の木には蕾がちらほらとつき始めている。最近暖かい気温が続き、一足先に春の訪れを感じたようだ。

 ――まだ、眠っているかな。

 窓辺に寄りかかって、木を見つめる。風のない夜。木は動かず、ただそこに佇んでいる。探す姿は――ここからは見えない。私が妖怪だったなら、なにか見えていたかもしれないけど……。

 ふぅ、と息をついて窓から離れる。目は冴えているけど、カゲたちと遊んでいたら眠たくなるだろう。そう思って踵を返した時だ。

 こんこん。

 窓を叩く音がした。はっとして振り返ると、そこには小さな鳥がいた。手のひらですっぽり包めそうな大きさで、淡い桃色をしている。長めな尻尾の先が桜の花びらのように欠けている。その鳥は紙を咥えていた。

 すぐさま窓を開けると、その鳥はひょいっと前に一歩出て、私に紙を差し出した。紙を受け取り、開く。それは短い言葉が書かれた手紙だった。

『寝ろ』

 くすりと笑う。そっけなくて、ぶっきらぼうな言い草。だけどその筆跡は丁寧で、綺麗だ。実際に会った時はそんなにぶっきらぼうでもないのに、文字だとぶっきらぼうになるのは彼が字を書くのが好きじゃないからだ。筆を使うのはめんどうくさいらしい。それなら姿を見せてくれればいいのに。

 私は桜の木を見下ろす。私の目には見えないけど、きっとそこに隠れているんだろう。

 彼は春にしか姿を表さない。本人いわく、春以外は眠っているらしい。だけどたまに起きて気まぐれに顔を見せて驚かせてくる。それで私が驚いている間に一言二言なにか言って、また消えてしまうのだ。桜のように儚い――なんてことはない。あんなに繊細で美しい木の精なのに、それはかけ離れた性格をしている。

 私を見上げて待っている小鳥に、伝言を伝えた。それを聞いた小鳥が羽ばたいていく。そして木の幹の後ろへと回り込んでいった。

 私は窓に腕をついてもたれ掛かった。いるってわかっただけでも、少し眠たくなってきた。だけどまだ眠たくないな。

 なんの動きもない木を見つめる。蕾が咲くにはもう少しかかりそうだ。

 少し待ってみて……特に変化が起こらない。ダメだったかな、と私は持たれかけていた体を起こした。その時、ふわりと風が吹いた。その風は春の陽気を彷彿とさせるような、太陽の匂いがした。振り返る。すぐ近くに彼の顔があって、わっ!と体制を崩して倒れた。その衝撃で頭を壁にぶつける。眠気が吹っ飛んだ。

「いったぁ……」

「何してるんだ」

 笑われた。

 私はじんじんする頭を押さえて、顔を上げる。してやったりな顔で、にやりと笑う彼。二十代の男性の姿をしている。見た目には普通の人間だが――どこか淡い雰囲気を醸し出しているのは、精霊だからかもしれない。

 にやついている顔を見ると、少しムッとしてしまう。また驚かせようとしたみたいだ。

 彼は「こっち」に来て初めてあった「人ならざる存在」で、こうして驚かせてくるのは彼なりの気遣いだ。緊張しないように、っていう。それになかなか気づけなくて、次はいつ驚かされるかと怯えていたから逆効果ではあったけど。

 「こっち」に来てからたくさんのヒトに驚かされた。妖怪などの存在は人を驚かせるのが好きらしい――というのは経験則だ。

「で、おれがいたら眠れるって?」

「うん」

 私は頷いた。

 彼が首を傾げた。

「変なやつだな。おれに催眠効果なんてないぞ」

 不思議そうなその姿がなんだか面白くって、私はくすくす笑った。

「人間はね、好きなヒトといると落ち着くの」

 そう告げると、彼の頬が桃色に染まった。桜みたいに。彼はそっぽを向いて、

「そっ、そう……」

 とか細く言った。

 彼が直球の言葉に弱いと知ったのは最近のことだ。彼は恥ずかしがってしまうことが面白くないみたいで、いつもちょっと顔を渋くする。けど嬉しいみたいで口元が変に緩んでいて……その顔が面白くて、好きなのは内緒だ。言ったらきっと拗ねてしまう。

 いつも通りの様子に戻った彼が横目で私を見てきた。

「今夜だけだぞ」

 本当かな?

 私は心の中でくすりと笑った。

 今だけと言って、彼が今だけにしたことはない。……断られる時は断られちゃうんだけど。気まぐれなのだ。

 でも、この様子なら……次もきっと付き合ってくれるだろう。

「ほら、さっさと布団に入れ。体を冷やす」

「うん。――来てくれて、ありがとう」

「……今夜だけだ」

 彼はそっぽを向いた。私は微笑む。きっとまた明日も来てくれる……。そんな予感がした。

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桜の夜 春野訪花 @harunohouka

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