四、条件の―――

 「…………」


 思わず口を発することが出来なかった。それほど衝撃的な姿だったから。


 どこまでも愛らしい髪は揺れたせいで乱れ切り、歩く時に壁をぶつけながら歩いたのかそこかしこに傷ができている。白く清潔な肌は見るのも苦しくなるくらい血で汚れていた。


 「―――、――― ―――‼︎」


 今も尚手足をばたつかせて抵抗しようとしている。猿轡の要領でタオルを口に巻かせて、歯が剥き出しになることを防ぐ。

 床にはタオルと思しき糸屑が無数に散らばっている。

 目も塞がり、完全に目隠し状態だ。

 体は綱引き用の紐で雁字搦めに結ばれていた。 

 見るも無残な彼女の面影は無い。


 近くで柚月を介護していたのか、詩羽が奏多に近づいて来る。


 「ごめん。水ちゃんと奏多が倒れてるところを発見して、取り敢えずこうするしかなかったのよ」


 「いや、助かった。どこかに行ったらシャレになんねーし、それにまだ生きてた……っ」


 「苦労したっすよ先輩。俺も姉御と側にいたんすけど、柚月っちが急に暴れ出すもんだから」


 「ということは……ゾンビ化なのか」


 柚月がこの状態になってしまったのも予想がつく。

 でも、


 「ゾンビになる条件がなんか合わねーよな」


 異変は確かにあった。

 昼休みに扉に向かおうとしたら男子にぶつかっているし、廊下でもすれ違い様にぶつかっている。

 結構派手にぶつかったのにも関わらず、振り向きもせずに去っていった。


 あの時点でもうゾンビ化が進んでいたのかもしれない。


 「考えられるのはゾンビ化した生徒に触れられることでしょうか」


 凪が顎を揉みながら、悠長な言葉遣いで条件についての推測を述べる。


 「いや、俺も一回ゾンビに殴られたし、柚月にも背中を噛み付かれた」


 「げ!先輩もうじきゾンビになるんじゃ無いっすか?」


 「馬鹿を言うな。柚月が……って待った。柚月は物理的にゾンビに触れられてねーぞ」


 柚月が怪我を負ったのは、ゾンビが屋上に備え付けられたアンテナを投げてかすったからだ。

 一回たりとも触れられてない。


 「じゃあ、もう一度考え直す必要が出て来ましたね。触れるのが条件から外れるとなると、“血”でしょうか?」


 「どう言うこと?」


 「例えば、ゾンビが自傷行為を好むものとします。そうなったら、血が出てきて相手の傷口から混入するとゾンビになると言う仮定です」


 「待った。その仮説もダメだ。俺が背中をかみつかれた時は、柚月は俺の背中におぶっていた。なら、俺もゾンビになっていても何もおかしく無い」


 思考が入り乱れ、答えを導き出しては却下されるの繰り返し。


 「それに、何か性のウイルスとかだったら俺たちも危ない」


 「でもね、私達は別になんとも無いのが今の現状なのよね」


 壁にもたれたまま、詩羽は大前提を却下する。

 

 「しょうがないですね。今は各自、教室にて休みましょう。奏多と京介は理科室へ。私と詩羽はここで見張っておきます」


 「了解っす」


 「わかったわ」


 「分かりました……」


 二人はこの判断に間違いはないと思うが、奏多は不服そうな顔をしていた。

 実際、任せるのは適任だ。奏多と京介だった場合は、焦って対処できないことが生じてくる。

 でも、柚月の最後の言葉ーーー


 『わたしは一生だいすきだよーーー』


 ーーー一瞬だけ、柚月の意識は戻っていた。


 つまり、まだ助け出せる手段があるのかもしれない。意識は眠っているだけで、外面だけが変わってしまったのかも。

 意識外での狂気に満ち溢れた面。


 「あーー!分からねーな」


 「どうしたっすかいきなり大きな声出して」


 「お前、疲れてるんだったらはっきり言えよ。いつにも増して顔に出てるから、っていうか書いてあるから」


 「まじっすか⁉︎いやー、俺も根詰めちゃったんっすよね昨日の夜の学校で」


 「お前もあの時間帯に残ってたのかよ。さっさと下校しねーと見回りの先生に怒られるぞ」


 「いやいや!夕方の放課後から夜にかけて告白してるあんたらの方がよっぽど怒られるんじゃないっすか!」


 「……俺らは別に、お!ついたついた理科室」


 「逃げないでくださいっすよ!」


 理科室は校内の三階の端にある。対して放送室は三階の反対側の端に位置している。つまり、階段を正面に構えているのだ。


 「なるほどな。階段から上ってくるゾンビがいたら、食い止めればいいのか」


 「先輩、ゾンビどう思うっすか?やっぱり変異ウイルスとかっすかね」


 「俺達がかかっていないことに矛盾が出てくるだろうが」


 「そうっすね。はい、先輩の分っ」


 そう言って非常食の乾パンを渡してきた。からからのパンはあまり美味しいとは言えないが、空腹の状態を維持したいとは思わない。

 仕方無く乾パンを食べることにしよう。


 「水道って止まってんの?」


 「ガスも水道も電気も止まってるっすよ」


 「じゃあ、今ついてる電気は?」


 「非常用の電気だと思うっすよ」


 「ふーん……」


 グサ……


 「え?」


 京介は目を見開き、口の端から吐血し始める。

 体の力がみるみる抜けていくのが分かり、腹に開いた風穴の原因は不明瞭なままだった。


 「はぁ、はぁ、ぐふぉあ……!」


 膝から崩れ落ち、吐血。さらに吐血し、血の残量は僅かしかないように感じる。

 顔色も見るからに悪くなり、死が迫る人間だと言外に主張された。


 「な、んで……っすか……!










     先輩っ……‼︎」


 立ち尽くす奏多は、前髪で隠れた目を倒れ伏す京介に向ける。血で塗れた刃物を持ちながら。

 不気味すぎる笑顔の裏に何が隠れているのか、今は分からない。

 何のつもりで何が目的で何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が……‼︎


 「お前の元気っぷりは流石だ。瞬時に俺まで心が軽くなったよ。でもな、軽くなっただけなんだよ。心の傷はつけられたままだ。柚月は確かに生きていたし、それは感謝する」


 言っている意味がわからない。

 なら何故京介を刺す理由が存在するんだ。無意味極まり無い。



 「だがな、俺は柚月のために……お前を殺したんだ」



 最後の言葉は最後まで意味がわからず、意識は暗雲立ち込める空間で閉鎖する。


 

 

 

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