三、文芸部オールスターズ

 梯子を降りると、薄暗い廊下が単純に広がっているだけだった。

 窓は滞りなく割られ、破片が廊下に散らばっている。廊下の壁紙も不完全に破れて、足場の邪魔になるところに落ちていた。


 一歩歩くだけで不快な軋む音が廊下に反響する。

 冬なだけあって窓が無いとこんなにも寒いのかと、アドレナリンが切れた奏多は今更思ってしまう。


 校内には既にゾンビがいないみたいだ。いたらいたで結構大ピンチなんだけど。

 そうなれば、音を出して逃げればいい。

 意識の介在が条件だと思っていたが、音も存外に条件の中に無いとは言い難いらしい。

 でも、音がない時に襲ってきた時もあったのだ。それが、今の時点での難儀な問題か。


 「んん……」


 背中に担いだ柚月が、意識下に奏多の服の衣擦れ音を立てた。

 眠りから覚めるような声を発し、目を緩慢に開ける。


 「大丈夫か?どっか痛みとか無い?」


 今までの奏多には想像し難いくらい優しく小さめの音で尋ねる。起きて直ぐに爆発せるような声を出したら、流石に驚くだろうとの配慮だ。


 「すぎ、さ……か、くん」


 覚束ないが、確実に奏多の名字を発音した。


 「良かった。目が覚めたか。一生起きなかったらどうしようって思ってたところだ」


 「ふふ、ーーーーーーーーーーだよ。だから、にげ……」


 「……?」


 グチャ………


 視界が揺らめく。

 廊下の形は曲線を描き、暗く暗く海の中に沈む景色のようだ。

 暗く暗く意識は思考を放棄し、暗く暗く狭くて散らばる廊下に倒れる。暗く暗く暗く血溜まりが背中から流れ落ち、暗く暗く暗く暗く、眼前に立つ奏多の彼女を見た。暗く暗く暗く暗く暗くて何も見えず、暗く暗く暗く暗く暗く暗く絶望の奔流が押し寄せる。暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い。

 ーーー待って。どこへ行くんだ……?


 「くぅぅぁぁぁぁ……はぁ、はぁ、はぁ、ぁぁぁぁああぁあああぁぁ……!」


 彼女は頭を抑えて、必死に呻く。

 自分の欲望を抑えるように。




 意識は途絶えた。



**********



 意識が浮上すると、知らない白い天井が最初に視界に映る。知らないのではなく、今の天井を知らなかったが正解だ。

 天井は見事に剥がされ、白い天井は既に一部だけとなっている。


 小汚く赤い血痕まで残っており、奏多の脳裏を支配する最後の景色が思い出される。


 「……っ!ぁぁぁあ‼︎」


 叫びながら起き上がる。

 怯え切り、手と足の震えが止まらない。全身が思い出すことを拒絶しているみたいだ。


 頭を振り、脳から出て行けた無作為に行動する。

 

 嫌だ。


 ただのこの一言が脳裏に存在を主張していた。


 「落ち着いてっすよ先輩。まだ、柚月っちは生きてるっすから」


 そんな言葉が横から返された。


 手を腰に当て、仕方の無い先輩っす、と表情からも分かるくらい眉尻を下げていた。

 髪をオールバックにし、後輩なのに奏多よりも堅いの良い高校一年生、竜禅寺京介りゅうぜんじきょうすけが見つめていた。京介はブレザーのボタンを開け、開放感に解き放たれた格好をしている不良みたいな奴だ。


 そんな彼でも疲れた顔を見せているから、この事変は相当なものだと分かる。


 「京介か……。柚月はどこだ?今直ぐ教えろって痛……っ‼︎」


 京介は不意に背中をさする。それだけで金属の鉄板を叩きつけたような痛みが背中を劈く。


 「お前っ……何してんのっ⁉︎」


 「落ち着いて状況を把握するっすよ。まず、柚月っちは無事っす」


 ほっと安堵の吐息を漏らす。

 すると当然、他の疑問も出てくるわけで、


 「詩羽は無事なのか?」


 「さっきまでここにいたんすけど、俺に任せて部長のところに行きましたね」


 「ということは、文芸部は全員無事だったってことで良いのか?」


 ウインクして親指を立てて見せる京介。これが彼なりの精一杯の元気な肯定なのだろう。


 「でも、文芸部以外の生徒がなかなか見つからないんすよ。体育館も別棟の校内も探し回ったんすけど、いたのはゾンビだけ。っていうか先輩、これバイオみたいっすね」


 「真剣な顔でふざけたこと言うなよ。ゲームだから楽しめるが、現実になったらたまったもんじゃねーよ」


 「まぁそうっすが、生き残るためには女子は残しとかないとっすね。ついでに先輩と柚月っちは特に」


 「なんでだ?」


 「わかってないんすか?人類が絶滅しても、男女二人の営みで子孫を増やせるじゃ無いっすか!わっかんないかなぁ⁉︎」


 「妬み満載で言われてもわかんねぇよ!」


 「良いっすよね。相思相愛の関係で」


 「お前も恋人作りたきゃ、他の二人に土下座でもして頼んでみろ」


 「死ねって言うんすか俺にぃ!」


 一時笑い合い、談笑を繰り返す二人。そのうちに奏多も笑顔が増えてきていた。

 わざとか偶然の賜物か知らないが、京介は奏多の笑顔を取り戻すことができた。


 「ありがとうな。やっと正気に戻れることができた。お前ってもしかしたら凄いやつなのか?」


 「もっと褒めてくれても良いんすよ?」


 超イケボで言うから京介は憎めない。ふざけるのも真面目にやるのも紙一重なのだ。


 「おや?もう起きたんですか。重症だから二、三日は昏睡状態が続くと思っていたのですが」


 そう言って入ってきたのはスレンダーな美人の高校三年生の女子、篠原凪しのはらなぎだ。文芸部の部長を務めている部員五人をまとめ上げるリーダー。かっこよくいったものの、要するに部活の最年長だから部長よろしくと決まった程度である。


 薄く長い茶色がかった髪を後ろで一つにまとめている。部活をまとめると掛けているのかと問うたことがあったが、無言を貫かれた過去がある。


 「凪先輩、柚月ってどこにいるかわかりますか?」


 「その為に来たんです。分かりますよ」


 こちらへと言って、夜になった廃校を歩く。新校舎なのに、既に辺り一面無残な有様になっていて、廃校と言っても過言ではない。

 

 「部長!俺と付き合っぶふぉあっ‼︎」


 「何か言いましたか?」


 「な、何もないっす……!」


 腹を抑える悶え苦しみっぷりは滑稽な姿だった。

 奏多まで笑うのに堪える始末。


 「先輩のせいっすよ……!」


 「悪かった悪かった。本当に告白するとは思わなかったからっ」


 声が跳ね上がり、笑うのを堪えて喋っているのが分かる。

 それを見て、ジト目で睨んでくる人一名。

 窓際を見て、京介の方に向かないようにしよう。


 「ここです」


 指をさされた教室は、放送室と書かれた看板を掲げていた。


 そこで、ようやく校内にゾンビがいない理由が分かった。

 校庭には三箇所放送を伝える為の棟が設置してある。校内の放送機器を一旦消して、校庭の放送機だけで放送したら、校内からはゾンビがいなくなるという仕組みだ。


 「なんで放送室何ですか?」


 ゾンビだけを外に向かわせるのにはうってつけだが、柚月をここに収容する意味は皆無だと思われる。

 

 「柚月をここに運んでおけば、もしも教室に入って来たとしても、放送で追い返すことができるでしょう?」


 「ほう、成る程っすね」


 「お前は知っとけよ」


 なぜか知らされていない京介を哀れに思いながら、教室の扉が開け放たれた。


 「…………」





 そこでは、雁字搦めに縛り上げられた柚月が今も苦しみ続けていた。


 

 


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