二、絶望の曇り日
「は……?」
眼前に血の絨毯を大きく広げて倒れている奏多の彼女。水城柚月が倒れていた。
「っ柚月‼︎」
必死に呼び掛ける。
その声は学校中に響き渡るほど大きいものだったかもしれない。
とにかく必死に、今、出来ることを。
ふと、視界の端に映った長い鉄の棒。
「アンテナ?」
柚月を庇いながら、アンテナの存在に疑問符を浮かべる。
どういうことだ?不良の事故なら分かるが、アンテナは根こそぎ取られたような痕がついている。
ドッ……
「なっ……ぁ!」
視界が反転する。
風が大きく吹き荒れて、違う。奏多が吹き飛んだことで、風が襲うのだ。
そのまま奏多の体は背中ごと、屋上の鉄製の手すりに殴打する。
「ぐっあぁぁぁ‼︎痛い、って……‼︎」
何者かが頰を殴打したのか?
それでも人間一人分の体を宙に浮かせて吹き飛ばすなんて荒技、世界でもそんな人間は一人もいない。
考えている場合じゃない……!
背中を殴打して多少動きにくくなった体を叱咤し、柚月の元へと急ぐ。背中の殴打は気管にも効くらしく、絶え間なく咳が出続ける。
それは一種のアドバンテージ。アドレナリンを出し尽くして、何としても駆けつけて。
やる、と言いたいところだが、絶望を抗う術が見つからない。
目の前にいる人たちを見てしまったら。
「ぐおぉぉお……」
「ぐぐぐぅぉ………」
「がぁぁあぁああぁぁ……」
唸る屋上にいた生徒達。
年老いたような曲がった背中に、よだれを垂らしながら行進する人達。
いや、人ならざる……“怪物”
「バイオハザード並みにどうかしてる……」
一旦止めた足を執拗に叱咤し、柚月の元へ駆けつける。
抱き上げ、背中に担ぐ。
あまり重たくはない暖かい体に、まだ生きていると安堵の表情を浮かべ、再び周囲を見渡す。
階下は降りる扉の前には三匹のゾンビ。
周囲だけでも十人以上のゾンビに囲まれている。
「がほぉっ……!」
奏多は咄嗟に口に手を当てる。
そして、手を見れば血の池が広がっていた。
「く……っそ!どうすれば‼︎」
「奏多ぁぁぁ!屋上の下ぁ!」
不意に鼓膜を震わす聞き慣れた声音。
事実、それは曇った声だが鮮明に分かる。
「非常階段か……!」
扉の真後ろに控える床が抜ける隠し階段。階段ではなく、梯子だが、それでも十分過ぎる光明が見えた。
その為には、まず眼前にのさばる三人のゾンビを潜り抜けないといけない。
さっきの吹き飛ばす殴打がゾンビの仕業だとすると、力においては人間が勝てる相手ではないだろう。
なら、ーーーーっ!さっきのゾンビ!
何故、あのゾンビは柚月には襲い掛からなかったのだ?
立ち往生していた奏多の目の前に彼女は意識を手放していたのに。
考えられることは一つ。
音に反応する。
ゾンビ映画や漫画でよくあるゾンビの勇逸の欠点。
あと、水をかけると動きが鈍るっていうのもあるが、実験はこの屋上から抜け出したからだ。
「…………」
息を殺し、足跡も立たずに扉の真後ろに控える非常階段を目指す。
一挙手一投足を慎重に、一足差し足忍足の精神で。
だいぶ近付いた非常階段は、何故か遠くに感じるような気がした。
「ぐぉぉぁぁぁ‼︎」
「な……っ!」
ゾンビの突撃を間一髪で後退る。
そのゾンビは先ほどまで扉の前で屯していた三人のうちの一人だ。
思考が入り乱れ、入り乱れ、繰り返される思考は交差し、さらに交差しーーー
音、なってないのに。
驚愕に瞳孔を広げ、再三柚月を担ぎ直す。次第にずれる柚月を担ぎ直すのは容易いが、いかんせん状況が状況だ。
「まずいな……。こんな一人行動じゃ、完全に死亡フラグだってんじゃねーか。しかも水城も抱えているしな」
口走る今の悪条件。
恋人がいる人間は大体が序盤で死ぬ。
追従して単独行動した奴も先に死ぬ。
今はその両方を兼ね備えた立派な死亡フラグの真っ只中だ。
「勝てるか?動きは鈍いし、動きは止められなくても一瞬の隙なら……」
その判断はすぐさま却下される。
先までの鈍さはどこへ行ったのか、ゾンビ共は走って奏多を狙う。
四方八方からくる無鉄砲な突撃に、汗と吐く息を十分に出し、鈍いと判断した己を憎みたくなる。
突撃して行ったゾンビは柵をねじ曲げてぶつかった。次から次へと走って猛攻を繰り返される。
足も絶え絶えになりつつあり、このままじゃ消耗戦だ。確実に二人まとめて死ぬ。
「っそうか。ゾンビ共は倒せなくても……」
確信めいた作戦に、自分でも鳥肌が立つ思いだ。
「多分、柚月は襲われないと思う。音が原因じゃないのなら、トリガーは意識。意識が介在する者としない者で生と死の区別をつけているんだ」
ねじ曲がった柵まで行き、脆くなった柵の棒を一本拝借。
棒投げの要領でっ!
「これを、追ってこいっ‼︎」
大きな声を出すも、これは計算のうち。
一気に屋上全体のゾンビが奏多目掛けて見つめている。
唸り声を甲高く、鈍く上げながら。
小汚い顔面を曲がった腰で隠すように。
瞬間、鉄の棒が落ちた大きな音が空に轟いていく。
「ぐおぉぉお‼︎」
「がぁぁあぁぁああ‼︎」
「あぁぉぁぁおおぉ‼︎」
一斉に鉄の棒が落ちた付近目掛けて突撃していく。勿論、そんな一斉に突撃したら、自爆するだろう。
ゾンビ共の頭の頭が鈍い音を立てて弾け飛んでいった。血が血を呼び、血をまた量産していく。血の花は宙に咲き乱れ、ゾンビは体を残して倒れていった。
不可解だった。
屋上で奏多を狙うのが、扉の三人と近くで這いずっていた五人程度だったことが。
遠くに位置するゾンビは興味など示さないで唸り声を上げて屯していた。
逆に、近くの八人のゾンビは興味の対象が奏多にしかない様子だった。
なら、ゾンビの集中を奏多に集めたら良いのだ。
つまり、ゾンビの興味の対象を一斉に変えてやればいい。
奏多に集まった視線は完全に狙う猛獣のようで、興味の対象が奏多を向いていた。
だが、瞬時に勝るとも劣らぬ大きな音を上げさせることで、興味の対象を柵の棒に向けさせた。
そのまま自爆を待つつもりだったが、予想以上に綺麗に決まった。
跡地には血の鉄臭い匂いが漂い、不快感を催すようだ。
「さっさと屋上から逃げよう柚月。必ず、俺が救って見せるから」
予め来ていたアンダーシャツの腕の部分をちぎり取り、血が溢れ出す額に巻いて止血する。
そして、背中に担ぎ直し、非常階段へと向かおうとした時ーーー
「なんだよ……あれ。まじで、世界はどうなんているんだよ……」
呆気に吐息を漏らす。
屋上から見える光景は、煙が立ち上り、ゾンビが辺り一帯を徘徊し、建物は崩壊寸前。
恐怖に怯えるよりも、先程は祝福してくれていた晴れの天候が、絶望を見せつけて抗えと言外に主張した、暗雲立ち込める空の方が不気味に思えた。
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