第2話 忍者と侍

 誉国よこくのシンボルである火山【昇山しょうざん】は正三角形に近い均整の取れた独立峰である。かつての噴火によって流れ出した溶岩と地熱により周辺地域は樹海を形成しており、私たちが目指す飛竜の生息地はこの樹海の一角に存在する。


「この辺りまでくれば妖怪あやかしは出現しない、警戒すべきは飛竜のみだ」


 忍者の甚五郎が言葉と裏腹に警戒心を強めながら私に向けて忠告する。出発前のブリーフィングでは飛竜を発見次第、牧羊術によって開けた土地へ誘導して「名誉の戦い」を挑む手はずになっている。それゆえ、追跡技術に優れた索敵部門が狩りの成功の鍵となるのだ。


 甚五郎の声で気を引き締め直したものの、どこまでも同じような景色が続く樹海に方向と時間の感覚が狂わされていく。警戒を絶やさず、飛竜を探しながら、それでも思考が静かな森の奥深くに拡散されてしまう。


 大名も森の不穏さを感じ取ったのだろう。小姓を傍へ招き、その影へ身体を縮こめている。しかし、優秀な追跡者トレーサーである甚五郎が大型肉食竜の痕跡をつかみ始めていた。獣道だ。


「殿、間もなくですぞ」


「名誉をつかみましょうぞ」


「うむ。わかったえ」


 主従が励まし合い、道なき道を切り開き、やがて灌木の合間の手ごろな広場に飛竜の姿を発見する。


 ◆◆◆


 クォココココ クォココココ


 軍馬を超える巨体に紺白の羽毛が揺れている。二本の脚で地を駆ける姿は、まさに森林の王者「飛竜」である。「名誉の戦い」が実行されるきっかけになった発見報告よりやや小型だが、その爪・筋肉の盛り上がりは威圧的である。


 本土で主流な竜種であるドラゴン()は、四脚に加えて翼を持ち、対話知性や魔術を用るため魔物モンスターに分類される。それに対し飛竜は魔術を用いない原始動物アニマルに近い存在であり、ゆえに牧羊術が通用する。


 クォココココ クォココココ?


 一切の警戒を感じさせない呼びかけるような鳴き声。この姿に大名は、侍は、忍者までもが、油断した。「作戦変更、誘導不要。この場で飛竜を仕留めるでおじゃる」大名が飛竜の正面へ姿を現し、忍者と侍が飛竜を背後から取り囲む。


 お辞儀。


「やあやあ、我こそは藤原麿長ふじわらのまろなが。貴公に名誉の戦いを挑まん!いざ尋常に勝負!」


 コココ?


 一瞬の沈黙の後、ポクッ!大名が儀礼用の木刀を飛竜へ叩き付ける。


「名誉の戦い」で最も重要なのは万全の相手に最初の一撃を与えること。正々堂々と決闘を開始さえすれば、あとは歴戦の介添人が標的を瀕死まで追い込むという、形骸化した儀式である。


 あとは二人に任せてマロは介錯だけをすればよいのじゃ、大名はそのように考えていた。


 侍は野太刀を振りかぶり、眼前の飛竜へ必殺の一撃を放つことだけを考えていた。


 忍者は眼前の敵にのみ「気」を集中し、周辺視野を遮断した。


 ゆえに広場から離れ一線を引いた位置にいた牧羊家だけが、樹上から彼らに向けて滑空する巨影に気が付くことができた。


「危ない!!」


 グアオオオオ!!


 悲鳴を上げる間もなく、まず仙衛門が大飛竜の鉤爪の餌食になった。鮮血がほとばしり大名の狩衣を真っ赤に染め上げる。


「バカな!子連れだと!?」


 間一髪で飛びかかりを回避した甚五郎が叫ぶ。

 仙衛門を鉤爪で抑え込み、頭から噛りつこうとする飛竜の横腹に甚五郎が気を集中させた鉄爪を叩き込む。一発、二発、三発! 鉄の扉にハンマーを叩き付けたような打撃の衝突音。だが、紺白に加え喉元に赤毛を備える成熟した飛竜は意に介さず、鋼の胸当てごと仙衛門の上半身を食い千切った。


 名誉の戦いを挑んだはず大名は全力で若い飛竜に背を向けて逃げ出している。その背中を若飛竜が無邪気に追い回し、逃走ルートに巻き込まれた小姓と荷運びラマがパニックにおちいり、広場の周辺を走り回っている。


(これはマズい!)


 私は大飛竜を甚五郎に任せて若飛竜の誘導に取り掛かる。


 杖を構える。


 スッ、ぶうん。

 風切り音を鳴らしながら湾曲した杖を振り回す。杖の音色で若飛竜の注意を惹き大名への興味を逸らす。ぶうん、ぶうん。杖を振り回すたびに若飛竜が戦闘意欲を失い、私の方に歩み寄って来る。とにかく一頭を戦場から引き離すことで甚五郎の援護をしなくてはならない。


 ぶうんぶうん。


 ◆◆◆


 忍者が気を全身に張り巡らせる。分身術によって瞬く間に5人へ増殖した甚五郎を飛竜が爪で薙ぎ払う。強烈な一撃を受けるたびに分身が身代わりになって消えていくが忍者は再分身と影跳を繰り返して大飛竜の牙と爪を避け続ける。


 遠くでキナが若飛竜を相手取る音が聞こえる。しかし、彼女は戦闘力を持たない牧羊家である。せめてもう一人、侍が居れば……


「殿、お頼み申す。せめてあの娘を」


 生体魔力マナを使い果たし、分身を失った忍者は、懸命に牧羊家と逆方向へ逃げ続ける。せめて彼らからなるべく遠く、そしてせめて一撃でもこの毒を。腸のはみ出た腹を抑えながら腰のベルトから手裏剣を引き抜き、その手に構えたところで飛竜が飛びかかった。


「南無三」


 ◆◆◆


 若飛竜をなんとか戦闘区域から遠ざけることに成功したが、問題はあの大飛竜だ。


 グエー!!

 荷運びのラマが殺された。大飛竜は面白半分に死体を放り上げて獲物を誇示している。


 グオワアアン!

 次の獲物を求めて大飛竜が遠ざかったことを確認した私は、息を殺しながら匍匐前進で木の影から影へ渡り甚五郎の元へたどり着いた。甚五郎の死体に縋りつき、かねてからの打ち合わせ通り手裏剣ホルスターと吹き矢を引き寄せる。


 前夜。すでに仙衛門と大名は大いびきで眠っている。

「娘よ」

「キナとお呼び下さい」

「キ……娘よ、飛竜は手ごわい。我々の手に余るようなことがあればお前にも戦闘に参加してもらう必要がある」

「そのための吹き矢と手裏剣を用意しておいた。おれが手入れした道具だから技術は要らぬ」

「いざとなれば渡すゆえ、飛竜を狙え。殿を頼むぞ」

「はい」

 じっと見つめるキナの視線にたじろぎ甚五郎は目を逸らした。

「お、終わりじゃ。明日は早い、寝ろ!」

「はい」


「甚五郎さん、お借りします」

 私は、手裏剣ホルスターをたすき掛けにして片腕に吹き矢、片腕に湾曲した杖を構え、立ち上がった。


 ◆◆◆


「アイエエエ!?アイエエエ!?」


 大名が樹海を迷走している。荷運びのラマと小姓が襲われ、マロが次の獲物となったのだ。


「仙衛門は!甚五郎は無事かえ!?」


 大声で護衛の名を叫びながら的確に飛竜を引き付ける凄まじい「囮としての天賦の才」が発揮され、飛竜はますますヒートアップしていく。


「アナヤ!娘!居た!マロを守れ!!」


 杖をつき立ち上がったキナを発見した大名は一直線に牧羊家の元へ殺到した。牛車めいた大きさの飛竜を引き連れて。


「ちょっと!麿様!」


 私は慌てて逃走する、しかし大名の足が異常に早い。狩衣姿のまま腿を高く上げたスプリントフォームで私を追い抜くと、飛竜の標的を私に擦り付けた。


「アイエエエ!!」


 大名が走り去り、飛竜が跳躍する。私は湾曲した杖を高く掲げ大きな弧を描き、飛竜の距離感を幻惑する。


 バリバリッ

 目測を誤った飛竜が木の幹を半ばまで噛み千切り勢いで倒れた大木が大名の行く手を塞ぐ。(アナヤッ!?)


 グォアアアア!!

 次々と襲い掛かる飛竜の攻撃を牧羊術でベクトルを逸らしながら耐える。だが、誘導わざのかかりが弱い。避けきれない攻撃が徐々に私の体力を奪っていく。


 昨夜、上機嫌の仙衛門が披露した武技を思い起こす。


「要するに気合いだ。刀を体の一部だと思い込んで切っ先にまで気合を入れる!」


 ヒュン、ズドン!水平に断ち切られた空の酒瓶が、倒れもせず直立している。


「電光石火、一撃必殺が俺の信条よ」


「わーすごーい」酒を注ぐ。


 さらに酒が入り興が乗ってきた仙衛門は次々と武芸を見せてくれた。

 瞳を閉じたままの状態で投げつけられる扇子を次々と切り払っていく。


「これが奥義の居合抜きよ。敵が触れる直前に斬る。イチモツを気張らせるつもりでケツに気合を入れる……すると敏感にムクムクッとな、わっはっはっは!」


 を入れて、杖に気を纏わせる(つもり)で命を預ける。


 ぶぅんぶぅんバシィッ。

 地面を強く打ち、跳ね上がった杖先を飛竜に突きつける。


「来いッ!」


 気を込めた杖先で飛竜を捌き、決して身体には触れさせない。飛竜はまるでもう一人の牧羊家のような気配を放つ杖先から目を逸らすことはできない。


 キナの牧羊家としての素質が極限で開花していた。

 羊をうものから、竜をう者へ。


(マロ様、今のうちに逃げて……)


 ◆◆◆


 麿は腰を抜かしてへたり込んでいた。牧羊娘が飛竜を引き連れて遠ざかり命は救われた。このまま逃げ帰ろう。名誉を損なうが、あんなものを相手にするほうがおかしい。軍隊を連れてくる必要があるでおじゃる。と武家大名は結論付けた。


 よし、帰るでおじゃる。

 周囲を警戒しながら立ち上がり腰をかがめる。

 凄腕の家来も歯が立たなかったのだ。

 狩衣にたすき掛けをする。

 親兄弟にも面目は立つであろう。

 あの娘には悪いことをした。

 木刀を手に取る。

 決して悪いようにはせん。


 そして、武家大名は逃げた。飛竜に向かって全速力で。


「アイエエエエエ!!その娘から離れるのじゃああ!!!」


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