『牧竜』

お望月さん

第1話 狐と牧羊家

 懐かしい夢を見ていた。

 羊が一匹、羊が二匹。私は牧羊に用いる湾曲した杖を羊たちの鼻先に突きつけ、進行方向へ差し向ける。先頭にいるリーダーを誘導すれば羊たちは驚くほどの一体感で曲がりくねる山道を下っていく。ラマの背に揺られながら一日中羊を追い、牧場へ帰りつくと祖父が山鹿のシチューを用意して待ち構えていた。郷土名産の硬いパンと山鹿のシチュー、私にとっては好みの料理ではなかったが在りし日の思い出が香辛料となり、祖父が骨までしゃぶりながら葡萄酒を愉しむ姿を思い浮かべ笑みがこぼれてしまう。


 笑った拍子に頬杖が外れ、静まり返った深夜のダイナーでまどろみから覚める。あの羊や妖精と戯れた森から離れ、首都へ来て何年が経っただろうか。私は皿に残された柔らかすぎる白パンと味気ないベーコンのサンドを一口で頬張り、テーブルに代金を置いて一角獣亭ユニコーンホーンズを後にする。


 夜明け前、約束の時間通りに依頼主が桟橋へやってきた。大刀を佩く侍、姿勢の良い忍者、そして、白塗りの武家大名と数名の小姓。今回の旅の目的は、彼らの故郷、異国の地で暴れまわる竜種の「名誉ある討伐」であるという。


「そこな調教師よ、飛竜はマロが仕留めるのでうまく誘導せよ」


「私は調教師ではありません。お望み通り、獲物を屈服させず野生のまま誘い込むのキナと申します。お間違いなきよう」


「無礼者ッ」


 侍がいきり立つが忍者が制止する。


「娘、増長の落とし前は業前わざまえでつけてもらうぞ」


「よしなに」


「では、ゆくぞよ」


 桟橋から竜首船に乗り込み異国へ向かう。さざ波を蹴散らしながら駆ける帆船は一定速度を超えた時点で呪術転移ゲートトラベルを開始、青い転移ゲートを乗り越えると、そこはすでに異国の地【誉国よこく】である。


 まずは海岸線に待ち構える河童の群れを蹴散らす必要があろう。侍は野太刀を抜きはらい、忍者は手鉤を構え、大名は胸をそり返して威張った。


 私は……まだ特にやることがないので、船が着岸し彼らが河童の群れに躍りかかるのを見送る。さて、海岸線が片付くまで湾曲した杖を枕にもう少しだけシチューの夢の続きでも見ようか。つば広帽を顔に乗せ、白波の音と飛び散る河童の手足や皿に包まれながら私はまどろみ始めた。


 ◆◆◆


 竜首船を降り河童の四肢や尻子玉が散らばる海岸線で荷造りを終えると、一行は誉国の森林地帯を目指し歩き始めた。侍の仙衛門を先頭に大名と小姓二名が続く。小姓はそれぞれ荷運びのラマを連れており食糧や燃料はそこに収められている。その後ろに非戦闘員の牧羊家である私、最後尾で忍者の甚五郎が警護する隊列だ。


 大帝国【禅都ぜんと】の後継者問題を端に発する、有力荘園【誉国よこく】と【勇国ゆうこく】の戦により乱れた国土は多数の妖怪あやかしを発生させた。次々と襲い掛かる河童や巨大死番蟲しばんむしの群れを蹴散らしながら沿岸地帯を抜け、一行は荒れ街道へ入った。


 誉国の街道沿いで注意すべき妖怪は、巨体を持つ「憑狼ひょうろう」、風に紛れて切り付ける「風獣ふうじゅう」、風が擦れあい発生する「雷獣らいじゅう」の三種である。


 強力な妖怪に対して、程度の牧羊術ではまったく役に立たないため、私は相変わらず後衛でのほほんと旅を続けている。それを許されるほど二人の護衛の実力は圧倒的だった。


 憑狼の三又の首が仙衛門に食らいつこうとするが野太刀の一閃の方が疾い。を乗せた斬撃が三つの首を両断する。


 三体の風獣に対し、一頭を手裏剣の毒で殺し、一頭をを込めた左拳の一撃で殺す。残る一頭が甚五郎を背後から貫くがそれは気配のみの幻影である。甚五郎自身が獣の背後に回り込み手鉤で心臓を貫いている。雷獣を呼び寄せる隙を与えない圧倒的な速度だ。


 誉国の武術において特徴的なのは「気(Ki)」の運用である。瞬間的に気合を込めることで斬撃の威力を高め、気配のオーラを残して敵対者幻惑をする、本土の魔術とは異なる生体魔力マナの運用は興味深いものがあった。


(なんかワザを盗めないかな)


 牧羊家の不穏な視線に気が付いたのか、甚五郎がこちらを見て目を逸らした。


 ◆◆◆


 夕刻。街道を抜け、森林地帯へ入ろうとする我々は簡素な垣根を備えた武家屋敷を発見した。明日からは討伐地へ入るので野営をせずに済むのはありがたい。一晩の宿を借るべく屋敷へ近づくと、門前に美しい女性の姿があるのを見とめた。


 桜色の着物を着こみ黒髪を腰のあたりで束ねた色白の女性はコンコンと軽く咳を繰り返している。肺臓の病だろうか。


「当屋敷のご内儀であろうか? 一晩の宿をお借りしたいのだが」


 仙衛門の問いかけに、きょとんと首をかしげて何も答えない女性。


「主人はおられぬのか? 当方は誉国の……」


「ちょいと失礼」


 私は交渉の途中に割り込み、湾曲した羊飼いの杖を構える。杖の先端を女性に見せつけ、フッと縮め、突き出し、左右に振る。すると女性はたまらず杖の先につられて鼻先を動かし、ついには真横を向いて、大きな尻尾をさらけ出した。


「やはり化け狐ですね」


 魔獣に類する存在であっても、動物に分類されるのであれば私の術理の内だ。彼女の尻尾は1本。まだ幼獣だろう。


「殿、懲らしめますか?」と甚五郎。


「いや、それには及ばぬ。森へ帰してたもれ」


 私は杖をふりふり幼狐を森の奥へ誘導して追い払う。着物姿の狐が藪の中に姿を消すとケーンと小さな鳴き声が聞こえた。


 ◆◆◆


「それにしても勿体なかったのお」


「竜を狩らずに狐を娶って帰ったら民に笑われますぞ!ワッハッハ!」


「殿、女性に油断するとまた足元をすくわれます!」


「それにしてもキナ殿の杖捌きの見事さよ!ワッハッハ!」


「うむ。その調子で飛竜も頼むぞよ」


 無人の屋敷を借りて囲炉裏を囲む。狐払いで業前わざまえを見せつけた私は誉国の一行と気安い関係になりつつあった。酒も入り軽口もたたき合う。


「甚五郎さん、奥様は?」


 初老の忍者は一瞬顔を強張らせると生真面目に語る。


「忍たるもの弱点となり得るものを持つべからず。家族、恋人などはもっての他。鎖でしかござらん」


「あらまあ」


「ただ……この旅を終え引退した後はわからんがな」


「なれば、あの狐……勿体なかったのお……」


「ワッハッハ!」


 誉国の夜は更けていく。明日は狩場へ向かうことになる。


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