第18話 『通知されない、貴方の表情。』
陽奈は、眠たそうな純恵の肩を持って、純恵の部屋へと帰還する。
ゴミ1つ無い玄関、2人分の食器が乾かされたキッチン。新築を思わせるピカピカの浴槽。
改めて、ワタルの部屋とはエラい差がある。彼に純恵の爪の垢を煎じて飲ましてやりたくもなる。飲ませないけど。彼の手に純恵の一部分でも渡したくなかった。
(あー、恋って面倒臭いな……)
帰ってきてすぐ、陽奈は純恵をベッドに連れて行った。彼女は化粧を落とす間もなく熟睡してしまった。揺すっても起きそうになかったのでせめて風邪を引かないように毛布だけかけておいた。
玄関に戻れば純恵のバッグがほったらかしにされている。ぐしゃっと潰れていて、中から化粧道具やら何やらが溢れていた。
仕方ないな、と思いつつ、陽奈は純恵のバッグの中身を元に戻そうとした。そして、散らかりの中にあったスマホが何度も小刻みに震えているのに気付く。
中身を見る気はなかった。が、画面が仰向けだったので嫌でも内容が目に入る。
通知欄は彼女の友人がほとんどだった。普段、陽奈がキラキラ女子集団と呼んでいる界隈のことだ。人気者だな、と我ながら誇らしく思いつつ、スマホをバッグにしまおうとして、新規通知が目に飛び込む。
彼女はその場で、純恵のスマホをポトリ、と落とした。
その手は、ひとりでに震えている。
(……………………そんな、)
頭が、真っ白に、なる。
陽奈は恐る恐る、通知欄をスクロールして、残りのメッセージを眺めた。
『あの小林さんがパパ活してたってマジ?』『大マジ。学科の男子も目撃したらしいよ』『怖っ』『人って見かけによらないんだな~笑』『証拠写真もあるんだってさ。それも複数』『kobayashi_papa_1.jpg』『kobayashi_papa_2.jpg』『オッサンの方モザイクかかってるじゃんw』『モザイクを貫通する薄毛爆笑』『やっぱりマッチングアプリなんかな!?』『小林さんのアカウントも特定されてるっぽいね!』『画像見たけどイメージと全然違ったわw』『kobayashi_matching.jpg』『これ』『優等生の意外な一面だ笑笑』『ってか盛りすぎじゃね? 自撮り詐欺でしょ』
散々な評価と、下劣なものを見たような感想は一昨日から始まっていた。
普段、繕っている表の顔とは大きく異なった邪悪な本質がグループに放し飼いされていた。
『小林さんって優等生だと思ってたけどヤリマンだったんだね……近寄らんとこ』『あたしいつも課題見せてもらってるんだけどな~』『他の子に見せてもらえばよくね』『確かに~』
――優等生のメッキが剥がれていく。身体に力が入らない。
真っ白になった思考は再起動して、すぐに情報の渦を巻き起こした。いつ流出したのか、やっぱりあのときのシャッター音は。アカウントは消した。いつから流出していた? これからどうする? 講義室に行ったときどんな反応をされるだろう。――恐怖。
「ん……、陽奈さんっ……」
陽奈の視界の端で、寝返りを打った純恵が映った。
スマホに向いていた邪推の方角が一転する。
純恵が急にデートに誘ってきたのはなぜだろう。陽奈についての話が始まっていたのは一昨日。ちょうどワタルの家に泊まりに行っていた日だ。
――あのとき、私に会いたがったのはただ、寂しかったからなのだろうか。
――純恵は一睡もできなかったらしい。眠れなかった理由は本当にデートが楽しみだったから、なんだろうか。
通知欄に溜まったメッセージを舐めるように読んでいく。
純恵が反応した証拠が欲しかった。それさえあれば、逆にモヤモヤせずに済むのだから。
これじゃない。これでもない。これで――。
『そういえば純恵って小林さんと仲いいよね~笑』『講義の後よく一緒に残ってるじゃん』『ぶっちゃけどう思う?』『確かにw びっくりするよね』――。
純恵のスマホをその場に放り捨てた。純恵の眠るベッドの前で、陽奈は全身の力が抜けたように崩れ落ちた。
見られてしまった。隠し通したかったことを。
ようやく好きになって、男遊びが過去形になったばかりだったのに。
もう、ここにはいられない。いたくない。だって、素直に笑える気がしない。
――通知欄にも、彼女の表情にも映らない純恵の反応がただただ怖くて。
陽奈はその夜、リュック1つ分の荷物を持って純恵の部屋から逃げ出した。
吐瀉物のような臭いの雨が降りしきる、そんな夜だった。
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