第5話 『他人本位な人気者。』
5月も下旬になると、熱心に授業に耳を傾ける学生と怠ける学生の違いは隔絶してくる。陽奈は背後のキラキラ女子集団から課題を求められることが増えた。怠ける手段ができたからだろう、背後をチラと振り返れば緊張感のなさが伝わった。
純恵もまた、スマホを弄りながら、たまにノートを取るくらいだ。
人に流されないには、強い意志が必要だ。あるいは好んで孤独を選ぶか。
それができないから、素直に固まって動けばいい。所属する集団で身を寄せ合っていれば強い意志がなくても、それなりに流されていればいい。
陽奈は優等生を演じるために、わざと一人を選んでいた。
誰かに必要とされるために、完璧な人材を演出するのだ。
「陽奈さんはそれでいいんですか?」
講義が終わり、静まった講義室。
同列に陽奈と純恵は並んで座り、黙々と課題を進めていた。
沈黙を破ったのは純恵だった。
「……何が?」
「今のままじゃ、……まるでパシリじゃないですか」
「だったら、あんたが課題見せてあげればいいじゃん。ちゃんと終わらせてるんだからさ」
純恵は「でも、」と出し渋っているようだった。きまりが悪いように口をすぼめて目を伏せる。
「答え合わせだったらしてあげるからさ。ほ、ほら……一応同棲しているわけだし?」
「たとえ、そうしてもらったとしても、わたしから明美に答え、見せるのは嫌です」
「パシリみたいになるのが嫌だから? だから、汚れ役を押し付けて――」
「それは違いますっ! ……違うんです」
勢いのあった否定も尻尾の方は、力なかった。純恵が首を振る、手元で重ねた両手が震えている。長い髪の紗幕から透けて見えた唇は噛み締められている。
――怯え。彼女は何に怯えているんだろう。
周りに気を配りがちな純恵は、どことなく陽奈自身に似ていた。
すなわち、自分本意じゃなく、他人本位。だから、思考をトレースするのはそう難しくない。
「もしかして、仲間外れになるのが嫌だ、とか?」
純恵は案の定、がばっ、と顔を上げて口を空けたまま、硬直した。
「……っ! どうして、分かるんですか」
「純恵、周りしか見ていないんじゃないかなって。最初に会ったとき、覚えてる? あんたは、友達のために頭下げてたんだよ? 自分の課題を助けてもらったわけでもないのに。
あのときは、他人のために動ける子だなって認識だったんだけどさ。
そもそも、おかしいんだよね。課題の答えって――、次の講義で出されるじゃん?
だから、私の答えが合っている確信は持てないわけで。実際に間違えた問題もあるし」
何が言いたいのか、と言ったら、別に私の答えを見ても、純恵の答えを見ても常葉明美にとっては同じ『答えを見せてもらう』行為に過ぎないわけで。
「なんなら、課題の点数は、私と純恵、同じくらいじゃん。これは同棲しなきゃ知り得なかったけどさ。だったら、なおさら訳が分からないんだよね。
まるで、私に課題の責任を押し付けているようにも取れる」
「――だから、わたしはそんなことっ」
「そう、しない。本人が言ってるんだから信じてるよ。仮にも恋人なんだしね。嘘ついて居心地悪くなることくらい、あんたなら分かるでしょ?」
「ひ、陽奈さん……」
感極まった様子で純恵は陽奈を横から抱きしめてくる。夏にかけて、この恋人の距離感は、暑苦しくて仕方ない。
「じゃあ、責任の押しつけじゃないとしたら、どんな可能性があるか。純恵が周りに合わせた素振りをしているくらいしか思いつかなかったんだよ」
例えば、キラキラ女子集団と行動を共にする純恵は、彼女たちの行動をトレースして怠けているような素振りをする。
例えば、居酒屋前でしつこい先輩に絡まれても、はっきりとした拒絶をせずにやんわりと断ろうとする。
「……純恵はもっと、自分本位でいいと思う。たかが課題やったかやらないかで仲間外れになるんだったら、そんな場所に居座る必要はないんじゃない?」
「そう、かもですね。
でも、――今まで、このスタンスで生きてきたからすぐに変えるのは難しいし、それに――わたしはこのままでも、いいかなって」
「そっか。別にいいけど」
変わろうとしない人に変われと命令できるほど偉い身分じゃないから。
「それに、陽奈さんも――」純恵は何かを言おうとして、喉まで迫り上がったものを咳払いで隠して、困ったような笑顔で「なんでもありません」と遺した。
陽奈には、なんとなく純恵が言いかけたものの正体が分かったような気がした。
――陽奈さんももっと、自分本位でいいと思います。じゃないかな。
残念ながら、私とあんたは違うんだ。私は他人本位でいなきゃ、誰かが必要としてくれなければ、朽ちてしまう。他人本位であることが、自分本位な私を潤す。
歪んでいると、変わっていると言われても、そこだけは譲れなかった。
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