第4話 『薄い膜を擦り合わせるだけの。』

「梅小路さんって本物のお嬢様だったんだね……」


 純恵の部屋は高層マンションの一室、3LDKの間取りだった。一人暮らしには明らかなオーバースペックである。家がない我が身とはえらい違いだ。


「ちなみにご両親は……?」

「わたしの高校卒業と同時に海外に移住しましたね。この部屋はわたしが一人暮らしするために買ってもらいました」

「借りたんじゃなくて?」

「? ……ええ、そうですが。なにか気になることでも?」


 金持ちのスケールの違いに陽奈は目を丸くする。


  †


 純恵の部屋の小テーブルを囲って、


「乾杯~」

「乾杯――、ふふ、今日はちょっとだけ、特別な飲み会ですね」


 学科の優等生と、学科の人気者。

 座る席が一列違いってだけで、普段、言葉を交わすことがほとんどない2人がアリバイ作りとはいえ、サシ飲みをしている。


「……わたし、前々から小林さんのこと、気になってたんですよね」


 カクテルの缶を胸の前で抱えながら、照れたように純恵は目配せしてくる。長いまつげがシーリングライトの光を艶やかに乱反射する。


「私も。――梅小路さんのこと、気になってたかも? だから、嬉しいよ」

「小林さんも、だったんですねっ。嬉しいです」


 純恵は陽奈のもとにすり寄ってきて、肩口が触れ合うくらいの距離に迫っていた。

 目と鼻の先にある、深海の瞳に見つめられて、心臓が大きく跳ねる。

 心の隅々まで舐め回されているような気分になって、陽奈の顔はこわばる。


「――に、にしても。梅小路さんって改めて近くで見ると、めっちゃ綺麗だよね」

「ふふ、ありがとうございます。けど、綺麗って言われるのは、ちょっと新鮮かもしれません」


 純恵の頬はほんのりと赤く染まっていた。


「けど、小林さんも綺麗、だと思いますよ」


 男の愛玩道具になっているときにべっとりと染み付いてしまった褒め言葉は、もはやありきたりすぎて、陽奈の心を揺さぶるには値しなかったけど。


「梅小路さんのような人にそう言ってもらえて、光栄だよ」


 控えめに口元を緩ませて、お世辞への対価とする。


  †


 話を聞く限り、純恵は親に大事にされてきたようだった。家族のことを話す純恵はどんな話をするときよりも心なしか明るく見える。

 そんな純恵にとったら、親との不仲な話をする陽奈の話は別世界そのものなのだろう。

 でも、


「わたしも門限は早かったですし、男の子と付き合うときは報告するよう言われましたね」

「そこはうちと似てるんだね……」

「今まで男性とお付き合いしたこと、ないんですけどね」


 環境が同じでも、子供の育ち方は千差万別だった。一歩道を違えば、陽奈も純恵のようになっていたのかもしれない。想像できなかったが。

 話は陽奈の実家の話に移っていく。


「親に勘当されて、一人で大学の方に!?」

「3月に越してきたけど、家を借りる金もないからどうしようかなって」

「えっ……? 小林さんって家借りてないんですかっ?」

「うん。住所不定。今は友達の家で寝泊まりしてるけど、早く出ていかなきゃな、って感じ」


 陽奈の経歴を聞いた純恵は手で口元を覆い、驚いているようだった。

 彼女にとって、私は異世界で。私にとって、彼女は異世界だ。


「同じような親に育てられたのに、全然違いますね、わたし達」

「……そう、だね」


 同じように見えているのは、家庭環境の上辺だけしか見えていないからだよ。

 私は、あんたと違って親から愛された実感がないから。褒められた経験がないから。

 認められなくて、寂しくて、男に身体を売ったり、人のいい優等生演じたりするんだ。

 陽奈は唇をぎゅっと結んで、その胸や胃の中を焦がす黒くてどろどろとした嫉妬を呑み込む。


「――だから、ちょっとだけ、憧れます。わたしとは正反対な小林さんのこと」


 肩が当たって、陽奈はハッ、と我に返る。覗いてくる純恵の深海の瞳が淀み、潤んでいた。目元はとろん、と解け始めていた。ゼロ距離から香る彼女の吐息は爽やかなミントの香りで、少しだけ、熱っぽい。


「あ、あの、梅小路さん。酔ってます……?」

「提案があるんですけど――、


 遮断された甘言。代わりに唇に薄くてしっとりとした膜のようなものが吸い付く。

 紅のリップが塗られた唇を知覚したときには、既に離れていた。

 息を吸って、吐くくらいに自然なキス。陽奈は純恵に唇を奪われた。

 何が、起きているのか、脚本を読み飛ばしたような三文芝居を見せられている。

 下手な愛撫だって、もう少し段階は踏んでいるだろう。


「家がない小林さんに、わたしの部屋。貸してあげます。居候させてあげます。

 だから、あなたはわたしの恋人になってください」


 もう一度、キスをされる。

 今度は触れるだけじゃなくて、舌をねじり込むような、強引な愛撫で。

 理解と納得がいかないままの陽奈は。しかし。

 今まで犯されてきたどの男よりも心地よい、愛撫の感触に蝕まれて、解けていった。



 ――梅小路純恵は男慣れしていない。が、女慣れはしていた。

 深い夜を掠め取って、朝に還るまで、女同士の情事は続く。



「小林さん……、いいえ、陽奈さん。

 これからもっと、あなたのこと教えてもらいますから。

 好きです、大好きです」



 散々絞られて無防備になった陽奈は、純恵の愛のささやきを、右から左に流しながら、

 ――都会の女、イカれてる。

 涙目で身震いしていた。

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