9話:回避不可の採用通知である

「ニァァァ……」


 深い深いため息が、ネコ科の動物が出す撫で声みたいな音声に変換されて、口から漏れ出した。

 着ぐるみマンティコアくんに仕込んである魔法陣は絶好調だ。

 一方で、俺のテンションは過去最低値を更新し続けている有様である。


「ティコー、どうしたのー?」


 先程からため息ばかりの俺を、レナータちゃんは心配そうに見つめていた。

 元気になったと聞かされているのに、部屋に帰った当日からため息を連発すればそりゃあ心配されるだろう。

 俺もわかってはいるのだ、不本意とはいえ元気になったティコを演じなければ、最悪正体がバレてしまうかもしれない。

 それはわかっているのだが……。


「そんなにお父様の買ってくれたオモチャが気に入らなかったのかな……」


 レナータちゃんが俺をこんなテンションにしてくれた原因を睨みつける。

 そこには、大きな骨つき肉を模したぬいぐるみが部屋の隅に置かれている。

 そう、俺をこんなテンションにした原因はあのオモチャ……正確にはその中身だ。


 あれはレナータちゃんの言った通り、ギュンター卿からのプレゼントである。

 ティコの回復祝い、といって慌てて渡してきたものだと一方的に話してくれた。

 そこで俺はピンときたのだ。


 ギュンター卿はティコの中に俺がいることを知っている。

 中身が人間とわかっている以上、魔物用のオモチャをわざわざ買い与える必要はない。

 なのに、ギュンター卿はそれをした……、となるとあのオモチャに、俺宛の何かを隠した可能性がある。


 名探偵もかくやと言わんばかりの推理力を発揮した俺は、早速ぬいぐるみで遊ぶ振りをしながらオモチャに傷をつけ、噛み付くふりをして口から手を伸ばし、中にあったメッセージカードを探り出したわけだ。

 しかし、その内容が最悪だった。


「ダグラスくん、この手紙を読んでいるということは、君はすでにレナータになすすべなく連行され、寮の私室で共同生活を送ることになっているだろう」


「私たちも何とか君を外に出そうと努力したが……正直、レナータがあそこまでティコを溺愛していたのは完全に想定外だった。君から引き剥がす隙が全くなかったんだ」


「とはいえ、君の作成したマジックアイテムの出来は素晴らしい。だから、ついでというわけではないが――――そのままティコの死体偽装を続行してもらいたい」


「期限はレナータが卒業するまでの三年間。もちろん報酬は弾もう」


「あと、君のお父様にも許可は頂いた。『就職先が見つかって良かった』と喜ばれていたよ」


「ps.不可抗力もあるかもしれないが、レナータに不埒なことをしたら容赦なく減給するのでそのつもりで」


 採用通知と言う名の、地獄への片道切符である。


「ニャオーーーン……!」

「どうしたのティコ!? ウルフみたいな遠吠えなんて初めて聞いたよ!?」


 うわーん! これが泣かずにいられるかよぉぉ!

 もう完全にあっちは偽装を丸投げするつもりだよ!

 しかもに就職先ってなんだよ! 就職なんかもう二度とするつもりなんてないのに!

 しかも「就職先はマンティコアになりました!」なんてどんな冗談だよ畜生!


 この手紙の内容からして、もう向こう側から偽装を交代するつもりはないだろう。

 うっ、うっ、もうほんと嫌だ、趣味ならともかく、仕事ってなると途端に辛くなる……。

 仕事、はぁ仕事、嫌だなぁ、魔法陣の書き方がちょっと違ってたり、ちょーっと前に聞いた質問をもう一度しただけでネチネチネチネチ怒られるんだ……。


「よしよし、ごめんねティコ。きっと檻の中でずっと寂しかったんだよね?」

「ふにゃぁぁ……」


 ううっ、レナータちゃんのよしよしが心に染みるよう。

 スキンシップが多くて心臓に悪いけど、めちゃくちゃ優しい。

 撫で方もすっごい気持ちよくてダメになりそう。


「あっ、それともお腹が空いてて、おもちゃを本物のお肉と間違えちゃったのかな? それなら――」


 ぱたぱたと、レナータちゃんは部屋においてある大きな箱(多分、食料保存用のマジックアイテムだろう)の方へ歩いて行った。

 ……おかしいな? 仕事ってもっと頭のかったい上司に怒られたり、嫌味な先輩に怒られたり、取引先のギルド長に怒られたりするもんじゃなかったっけ?

 

 現状、可愛い女の子にちやほやされるだけの天国なのでは?

 仕事だと意識するからダメなのかもしれない、うん、きっとそうだ。


 そう! これは趣味! 趣味である!

 俺は趣味でマンティコアをやってるダグラス! 今は美少女魔物使いのレナータちゃんに飼われてるんだ!

 いやいやいや、これじゃただの変態じゃないか。


「はいっ、ご飯だよー」


 がさっ、と目の前に出されたどんぶりに、サイコロ状の固形物が並々と注がれた。

 うん、なんとなく予想がついてた、俺マンティコアだもんね。


 それにしても、魔物に与える餌ってこんな味気なさそうなんだな。

 てっきり生肉をそのまま与えたりしてそうなイメージがあったんだけど……まあいいや、生肉よりかは食べられそうだしとりあえず食べてみようか。

 一口つまんでみて……。


「えっ!? つ、つまんでる……!? ティコごはんつまんでるの!?」

「グァフッ!!? グ、グルルゥ……」


 のわっとぉ!? つまんで食べちゃまずかった!

 いま俺はマンティコアなんだ、丁寧に物をつまんで食べるなんて、明らかに不自然すぎる!

 すぐさま餌を床に落として、俺はマンティコアらしく大口を開けて、豪快に落ちた餌に食らいつく。


「――ゴッフッ!!? カッ、ゲェッ!!?」


 にっっっがっ!!?

 着ぐるみの舌が餌に触れた瞬間、味覚がリンクしている俺の舌に凄まじい苦味が広がった。

 思わず咳き込んでしまい、餌の山も吹き飛ばしてしまった。


 な、なんだこれ!? にがっ! 苦すぎて食べれたものじゃないぞ!?

 まだ生肉の方が食べられるんじゃないか!?


「ティコ、大丈夫!?」


 突然咳き込んだ俺を心配して、レナータちゃんが顔を覗き込んできた。

 ご、ごめん……ちょっとこれは食べられない。

 別の餌に変えて欲しいという願いも込めて、ふるふると首を振ってみる。


「モンスターフードが食べられないの? あ、あれ? いつもは美味しそうに食べてたのに」


 嘘だろティコ、こんな苦い食べ物が好きだったの!?

 どうやら魔物と人間にはわかりあうことのできない味覚の壁が存在するらしい。

 ティコになりきるならその壁を超えなければいけないところだけど、本気でこれは無理だ。


「うーん、じゃあ前に食べてたこっちなら食べられる?」


 というわけで、俺の前には生肉がべチッと置かれた。

 …………う、うん、確かに、生肉の方が食べられるんじゃないかって思ったけどさ。


 見たところ、これはウシ系の魔物の肉のようだ。

 当然、人間の俺が生で食べればお腹を壊すだろう。

 かといってレナータちゃんに調理を頼めるわけもなく、ここからは自分でどうにかするしかない。


 そう、どうにかするしかないのだ。

 不可抗力とはいえ、こうして俺はマンティコアの死体偽装をやりきることになってしまった。

 バレてしまえば犯罪、途中で交代するのも当分は不可能だから、やりきるしかない。


 これから先の偽装生活を思えば、この困難はまだ序の口に過ぎないのだろう。

 ならば、俺の使える全魔法で乗り切ってみせる!


(ラフ、ラム、灼熱を一定範囲にブレイズホルード見た目はそのままにダグネスループス


 再び大口を開ける、と同時に思考の中で魔法の詠唱を開始する。

 魔法を魔法陣抜きで発動する場合、その魔法式を読み上げなければ魔法は使えない。

 しかし、一流の魔法使いはこうやって思考するだけで魔法を発動することができる。


 炎の魔法で熱を与え、空間の魔法で範囲を固定し、闇の魔法で外見を普段通りに偽装する。

 その効果を、ティコの口内に集中すれば――――


(喰らえ! これぞダグラス式即席魔法、『加熱調理牙ブレイズファング』!)


 千度以上に加熱された顎で、 生肉に食らいつく。

 ジュー……と肉の焼ける音が着ぐるみの中に広がった。

 よし! これなら食べられる!

 ティコの顎で焼いた肉を、内部から俺が貪り喰らう。

 美味い、焼き加減もバッチリだ!


「ガフガフッ」

「よかったー、お肉ならいつも通り食べられるみたい。ちょっともったいないけど、モンスターフードは買うのはやめておこうかな」


 レナータちゃんも俺の食いつきっぷりに安心してくれたようだ。

 これで当面の食糧問題は解決だろう。


「あれ? お肉の焼ける匂いがする……くんくん」

「グフ!?」


 し、しまった、匂い処理の魔法を使うの忘れてた!?

 大慌てでもう一つ即席魔法を作り上げて、とりあえず誤魔化すことに成功する。


「うーん、気のせいだったのかな? ご飯食べ終わったら、明日は学校だしもうお休みしようね」


 あ、危なかった。

 今後も偽装生活を送るに当たって、魔法は一切自重しないようにしなければ、そう思わされるひと時であった。

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