Act:04-3 スペシャル・ディッシュ 2

 視界に常に他人がいる。

 艦隊の母艦では当たり前の光景だったが、それは役割がはっきりしているから不安は感じなかった。


 しかし、今は違う。

 

 レストランのキッチンで働く経験があれば、同じような調理作業は問題ないだろうと楽観的に臨んでいた。ここはその想定以上だった。

 別にカールたちのレストランの基準レベルが低いという話ではない。


 1人や2人で出来る作業をその倍の人数でやらなければならないという状況、カールとほぼ同等の技術や経験を持つ作業者がたくさんいたことも驚愕の事実だ。


 わたしがその中に紛れて作業していること、ギリギリでもやっていけてることに自分でも驚いている。



 どれだけの料理を作ればいいかはわからなかったが、現場の空気感的には終わりが近いような気がした。

  

 別の部門で作業していたカールが用意したクーラーボックスを担いで、こちらに向かってくる。

 依頼された料理を作る段階らしい。


 カールを手伝うべく、着手している作業を完了させてから彼の元へ向かう。

 何も置かれていない作業ブース、そこで合流。


 クーラーボックスを開けるカール。

 そこにはベイサイド・コロニーの養殖場から買い取った魚とエビが入っていた。

 

 エビは見慣れてしまったが、この赤くて平たい魚は初めて見る。

 早速、カールはその赤い魚を取り出していた。



「じゃあ、始めよう。クロエ」


「了解だ」



 特別メニューの内容は既に打ち合わせ済みだ。

 わたし自身の作業内容も頭の中に入っている。



 カールがシンクで赤い魚の下処理を始めた。

 妙な形状の金属器具で魚の表面をごりごりと擦る。すると、半透明な何かが散らばる。


 ――わたしは、わたしの仕事をしなければ。


 クーラーボックスの底に入れていたプラスチックケース、そこには何度か調理したことのある「エビ」が入っている。


 ヒルサイド・プラントにはたくさんの養殖場がある。

 魚、動物、このエビもまた施設で育てられていた。

 カールはヒルサイドで作られている食材を元に、特別メニューを考えたらしい。


 ケースの中にいるエビはほとんど動かない。

 このエビという生物は温かい水の中で生活しているため、低温の環境下では動かなくなるとのことだった。


 大きめの鍋に水を入れ、コンロ台に置く。

 スイッチを入れてヒーターを稼働、あとは――



 カールからの指示が書かれたメモを取り出し、内容を再確認。

 わたしに与えられた指示はエビの下処理と盛り付け。書かれた図式とタスク内容を頭に叩き込む。

 依頼されていた「スペシャルメニュー」がまとまったのも今朝だった。この施設にやってくる前に必要な食材を回収し、メモを受け取っている。


 料理の名前は書かれていないが、二品作る予定らしい。

 確保した食材は多くない。卵、エビ、タイ—―赤い魚のことだ。オニオンとガーリック、スパイスらしいモノが少々とレモン、それで全部。



 

 エビの殻を剥かずにそのまま鍋に入れる。

 これでエビの色が変わるまでは放置だ。


 カールを手伝うためにブースを移動すると、タイという赤い魚の内蔵が引きずり出されていた。

 いくら人間とは違う生物といっても、その光景には思わず言葉を失う。



「――クロエ、卵の黄身と卵白を分けてくれる?」


「わかった」


 数えるほどしかないが、鶏卵の透明な部分――白身と本体である黄身を別々に取り出すという工程を経験している。

 ケーキやクッキー……といった菓子類ではこのような工程が必要らしい。

 そういったものがあると、アーカイブを閲覧して知った。


 卵を割り、殻で容器を作るようにして卵白だけをステンレスボウルに入れる。

 殻が入らないように注意しながら、黄身も別のボウルに移す。

 用意された鶏卵を全て処理し終えると、カールは手を洗ってから道具を手渡してくる。


「卵白を泡立てて!」


「了解だ」


 泡立て器ウィスクを手に、透明な白身を掻き混ぜる。

 卵は粘性のある液体、その半透明なそれを道具で回し続けるが、想像以上に大変な作業だった。

 零さないようにかつ、不安定な状態で一定の力で混ぜなければならない。

 作業台に置いたり、抱えてみたり、様々な状態で作業を続けているが、なかなかしっくりくることが無い。


 そうしていると、さっきまで半透明だったものが真っ白になっていた。

 空気を含んでいるのか、液体というよりは洗剤のような泡状のようにも見える。


 

 レモン――楕円状の黄色い果実をスライスしていたカールがボウルの中を覗き込む。

 すると、材料と一緒に置かれていた紙袋を開封してボウルの中に入れてきた。



「エビは僕の方でやるから、クロエはそのまま頼むよ」


「……りょう、かい」


 ボウルに追加された白い粉……いや、小さな結晶の物体のようだ。

 気付けば、泡立て器からヘラに道具が変わっている。自分の作業をしながらわたしの面倒を見るとは、カールは器用マネができる男だ。レストランではそれなりに仕事が出来ていると思ってたが、わたしはまだまだ彼のサポートが必要らしい。



 ヘラでボウルの中身を混ぜていく。

 そうしている間にわたしが手を掛けたエビが茹で上がり、シンクで盛大に湯切りをしていた。

 本来なら、わたしがやる作業だったのだろう……が、仕方無い。



 全体が均等に混ざったのを確認していると、ブースの上に鉄板が置かれる。

 それは取っ手付きで、表面がツルツルしている。周囲を見回すと似たようなものが入っている調理機械があった。

 おそらく、このプレートのようなものに食材を乗せて加熱調理を行うといったものだろう。



 再び、カールが戻って来る。

 彼の手には、衛生用のラテックスの手袋が握られていた。



「ありがとう、クロエはエビを剥いてくれる? 尻尾付きで」


「――了解だ!」


 ヘラごとカールにボウルを渡し、彼から手袋を受け取る。

 すぐに装着し、手の洗浄を済ませ、ブースを移動。

 さっきから行ったり来たりして、大変だ。


 鍋から取り出されたエビから湯気が登っていた。

 触れば、少し熱い――がこれくらいは耐えられる。



 いつものように頭を外し、脚を取り外し、殻を剥いていく。

 薄気味悪い生物ではあるが、その解体は何度もやったせいか、すっかり慣れてしまった。


 

 周囲にいる料理人がわたしたちの作業をずっと見ている。

 その視線は好意的なものとは言えなさそうだ。

 

 やはり、水産物を加工できる料理人は少ないらしい。

 自分たちにできないようなことを目の前でやられるのが『面白くない』と感じるのは、軍でも民間でも変わらないのかもしれない。


 全てのエビの殻剥きを終了。

 盛り付け用に準備した「リキュールグラス」という食器を取り出し、トレイの上に並べた。



「CK、エビの方は終わった」


「じゃあ、ソースの方を作ってもらえる?」

「了解した」



 カールのブースにある卵の黄身が入ったボウルを回収。

 一方、カールは塩と卵の白身を混ぜ合わせたものを鉄板の上に敷き詰めていた。

 その上にタイを置き、さらにスライスしたレモンを乗せる。

 さらに、塩と白身の混合物を上から被せるように広げていく。


 ボウルの中身が無くなる頃には、タイの姿が確認できない状態になっていた。



 ――黙って見ている場合ではない!



 メモの内容を思い返す。

 

 残る作業は卵の黄身を作ったソースの調理だけだ。

 内容は難しいとは思わない。わたしでもできるだろう。


 

 ソースの具となるオニオン、ガーリックを細かく刻み、加熱調理。

 この厨房に置かれている中でも小さいものを選び、そこにバターを落とす。


 熱したフライパンにナイフで刻んだオニオンとガーリックを入れて、ヘラで混ぜながら炒める。

 バターの濃厚な匂いと一緒にガーリックの香りが立ち上ってきた。

 その湯気を浴びつつ、オニオンが透明になるまで加熱すれば……フライパンでの調理は完了。

 

 別の容器にフライパンの中身を移して、冷ます。



 ――あとは卵の黄身と水を混ぜて。そして、レモンの果汁と溶かしたバターを……


 顔を上げると、そこにはカールが作業していた。

 湯気が上がっている大きなボウルに、小さなボウル――卵の黄身を入れていたステンレスボウルを浮かべながら、中身を掻き混ぜていた。

 それは、わたしが次にやるべきタスク。



「……CK、どうして?」


「ああ、塩釜焼きソルト・クラストがオーブンに入ったからね。あとは任せて」


「わ、わかった……」


 あっという間に作業が進行する。

 ボウルの中に溶かしたバター、レモンを搾って果汁を落とし、わたしがフライパンで加熱したオニオンとガーリックが入れられる。

 そして、それを混ぜ合わせれば……ソースが完成。そのまま盛り付けに移行してしまう。


 やはり、カールの調理技術はすごい。

 だが、わたしは割り振られたタスクをきちんと実行できていたはずだ。

 しかし、カールからすれば……わたしはいつまで経っても未熟なのかもしれない。

 

 

 

 ――落ち着け、料理はわたしの本分じゃないはずだ。


 仲間たちに良い思いをさせたい――が、それは任務とは関係無い。

 

 レストランで働けてさえいればいい。

 ここでカールと一緒にイベントを盛り上げることは、任務ではない。

 だから、この場で活躍できなかったことに――悔やむ必要は無いはずだ。


 

 多少の仕事はできるという自負がある。

 特別メニューの調理までは他の料理人と同じ仕事をしていた。

 それでも、カールからは任せられるほどの信頼を勝ち取れていなかったらしい。


 これはカールが受けた仕事だ。

 だから、失敗できないという考えを持っていてもおかしくない。

 そのためには、料理を失敗するわけにはいかないというのもわかる。



 ならば、わたしはこの場に本当にだったのだろうか。


 

 わたしではなく、妹のルカだったならば……違っていたかもしれない。

 ただの兵士、銃と機動兵器で戦うことを知らない自分なんかでは、料理を作る仕事をしても心配されるレベルを超えられないのだろう。



 レストランでは1人で一貫して出来る仕事も増えてきた。

 このままなら、カールやルカといった監督者が不在でも1日やりきれると思っていたが、わたしはその段階まで至っていないらしい。



 完成した料理が運ばれていく。そのどれもが見たことの無いものだ。

 それらの料理の名前や味、調理の中に含まれている技術や技法、体験――――それを聞くタイミングは無さそうだし、聞ける状態ではない。



 この厨房には人手は足りていたように思える。

 そして、この「特別メニュー」もカール1人で充分だった。



 だからこそ、わたしは余分だったように思える。

 いてもいなくても変わらない。

 

 料理の仕事は楽しい。

 タスクが大量にあるし、分業もできる。作業に没頭できるだけの忙しさもあった。


 だが、この「特別メニュー」に関しては……何も言えない。

 わたしはできることをやった。それでも『足りない』とカールから告げられているような気がして、作業をしたような気がしなかった。

 

 汗を拭うカール。その表情は満足感に満ちていて、やりきったと安堵しているのが見てわかるほどだ。

 

 一方、わたしは……与えられたタスクを完了させられなかった。

 それはきっと、わたしに全部任せてもらえるだけの仕事ができていなかったのだろう。

 

 運ばれていく料理を眺めながら、わたしは手を洗う。

 胸の中に抱えた重いを、上手く処理できない。

 ここで悩んでも仕方無いとはわかっているのだが、それでも少なからず自信があったものが覆されてしまったように思ってしまう。


 頭の中で自分の働きを思い返すが、その度に辛くなる。

 それを抱えたまま、この仕事が終わってしまった。

 

 カールは料理人としてイベント会場に呼び出されたが、わたしはそれに追従せず、外に出ることにした。

 ヒルサイドの天候は変わらず晴天、息苦しくなるほどの日差しが降り注ぐ。



 ――いっそ、この日差しでわたしを黒焦げにしてくれないだろうか。 


 与えられた任務、レストランの仕事、そこで動いている自分をイメージできない。

 出入り口近くの階段に座り込み、人工太陽に頃焦げにされるのを待つことにした。


 もちろん、カールが出てくるまで死体の1つにもなりはしなかったのだが。

 

 

 

 















・タイの塩竃焼き

・シュリンプ・カクテル

+卵黄ソース(オランデーズ・ソース)

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