Act:04-2 スペシャル・ディッシュ 1

 そこはまさしく、戦場だった。


 いや、正しくはのように感じた。というのが正確かもしれない。



 忙しさ、慌ただしさに関しては僕らのレストランは負けていないと思っていた。

 だが、ここはその想像以上の仕事量らしい。


 少し考えればわかることだったかもしれない。

 一度に数十人分の料理を出しつつ、次の品を準備する――それをこなすには相当なマンパワーが必要なはずだ。


 

「——君がマッコールさんの紹介で来た人?」


 白く大きなコック帽、真っ白なコックコート、フライパンを勢いよく煽る姿はまさしく正真正銘の料理人だった。

 おそらく、この厨房の責任者シェフなのだろう。


 険しい表情、鋭い眼光、無骨な手、威圧的な態度が周囲に緊張感を与えているようだった。

 食の全責任を背負う、それは途方も無く大変なはずだ。



 僕は頭を下げつつ、名乗る。

「カール・コーサカです。よろしくお願いします」


「クロエだ――です」

 すぐ横でクロエが同じように頭を下げている。

 支給されたコックコートのサイズが大きくてぶかぶかだった。



「スペシャルメニューは準備できる?」

「食材はクーラーボックスに入れて持ってきました。今は冷蔵庫脇に置かせてもらってます」


「よし、スペシャルを出すまで補助に回ってくれ」


「はい」

「了解」



 クロエと別れ、僕たちは他の料理人たちの中に紛れる。


 調理台、コンロ、見回せば様々な料理が並んでいる。

 食材も山のようにあった。



「カールさん、コンロでフライ見てもらってもいいですか?」


「わかりました!」

 コンロでフライパンを洗っていた料理人コックが指示を飛ばしてくる。


 即座にコンロのフライパンを確認すると、多めの食用油の中に切り込みの入ったオニオンがあった。

 隣のコックがレードルで熱された油をオニオンに浴びせるようにかけている。


 僕もそれに倣って、フライパンの中にあるオニオンに油をかけていく。

 湯気と共に登ってくるのは熱されたオニオンの甘い香りと油の熱気、泡立つ油の中でオニオンが徐々に形が変わる。



 この料理は祖父のレシピブックにあったはずだ。


 作業をしつつ、厨房の様子を窺う。

 様々な食材、器具、並べられた品々から『答え』に辿り着くのはそれほど難しくなかった。



 ――オニオン・ブロッサム、フライスナックか。



 切り込みを入れたオニオンをバッター液に浸し、スパイスを塗してから揚げる料理。

 アーカイブではファストフード店のサイドメニューとして紹介されていた。


 作るのは思っているよりも難しくない――が、時間が掛かる。

 


 次第に開いていくオニオン。ブラウン色に揚がっていくそれはまさしく、花の様相だった。



 次々と別のコンロ台に移っては油をかけていたが、どうやらそれも終わりらしい。

 カリカリに揚がったオニオン・ブロッサムの油を切って、皿の上に上げられていく。



 ――次の仕事だな。


 声を掛けられ、次に向かった先では大量の肉が並んでいる。

 数台の挽肉加工機ミートミンサーが並んでいる光景は圧巻だった。


 数人で挽肉を捏ね、ハンバーグを作っているようだ。

 その奥ではカットした肉に調味料を合わせて揉み込んでいる。


 シンクで手を洗い、手袋を着用して作業に加わる。

 同じコックコートを着た男女が黙々と挽肉を捏ね、成形して空気を抜く。

 まさにプロの料理人、僕がなるべき姿だ。



 周囲を見回すと、僕がさっきまでいたコンロ台でクロエが作業していた。

 刻んだ具材をフライパンで炒め、いくつかの調味料を入れている。

 おそらく、何かに合わせるソースを作っているのだろう。



 楕円に成形し、空気を抜いた挽肉をステンレスのバットの上に並べていく。

 それが終わると、そのバットごと大きな機械の中に入れていった。

 機械の扉を開け、ボタンやノブスイッチを操作しているのを見て、それが電子オーブンであることが理解できた。

 業務用は大きいと聞いていたが、想像以上だ。まるで大型冷蔵庫にしか見えない。



 入れ替わるようにしてシンクで手を洗うと、シェフが近寄ってきた。

 指差した先では、数人が水が溢れるシンクから何かを取り出している。


「カレイは捌ける?」


「えっと……試しに1匹やらせてもらってもいいですか?」

「いいぞ、向こうにいるヤツから習ってくれ」


 指示された場所に移動すると、そこでは奇妙な魚が作業台に載せられていた。

 焦げ茶色の上面に顔が付いたそれは、普段調理する魚とは大きく異なる。


 だが、という魚のことはよく知っていた。



 シェフが指差していたコックに一礼して、作業台に近寄る。

 他のコックとは違って、大きな前掛けを身に付けていた。

 皺だらけの顔と手、高齢の男性。

 

「やり方教えてもらってもいいですか?」

 

 声を掛けると、鋭い視線が向けられる。

 すると、わざとらしく鼻を鳴らし、腕を組む。


「おめぇ、捌けるのか?」

「週に1回は魚を調理してます。主にアジやシーバススズキなんかを」


 ベテランの雰囲気を纏った老料理人が僕の向かいに立つ。

 そして、1本のペティナイフを取り出した。


「これ、使え」

「お借りします」


 そのペティナイフはよく研がれている。

 よく見ると、普通のものとは少し違うようだ。



「三枚おろしはできるな?」


「はい」

「こいつは五枚おろしだ。わかるか?」


 魚を捌く――解体する方法はいくつかある。

 その中でも、三枚おろしというのは骨に身が残りにくく無駄の無い解体手法として知られていた。

 左右の身、骨、と3つのパーツにするのが『3枚おろし』だ。


 早速、老料理人が平べったい魚に刃を入れていく。

 頭のすぐ横、腹と思われる部分に切り込みが入る。そこから内蔵と思われる部位が見えた。


「本来なら鱗とぬめりを取るんだが、それはアイツらがやってくれてる」


 シンクの方に視線を向ける老料理人。水が溢れるシンクではカレイの処理をしていたらしい。

 


 さきほど切り込みが入れられたカレイは裏返され、同じように切り込みが入れられる。

 すると、そのまま頭を落とすようにナイフが深くに押し込まれた。

 骨の断たれる音と共に、カレイの頭が胴体から外れる。一緒に内蔵も付いてくる。



「中身を傷付けるなよ。味が悪くなるだけじゃなく、匂いも付く」


「胆嚢ですね。気を付けます」


 内臓に含まれる胆嚢ニガダマ、これが破れると身に付着してしまう。

 苦みや臭みが付くだけでなく、見た目も悪くなる。しかも、洗っても落ちることはない。

 だから、胆嚢を潰してはいけない。



 内臓が収まっていた部分を流水で洗い、水気を取ってから再びまな板の上に載せられる。

 そして、尾の根元に切り込みを入れてからヒレの付け根に沿うように刃を入れていく。


 その手付きに迷いは無く、恐ろしく早い。

 いったいどれだけの魚を捌いてきたら、これだけ鮮やかな包丁捌きになるのだろうか。

 

 皺だらけの手、指先、この老料理人がどんな人生を送ってきたのか――興味が湧いてくる。

 だが、今は仕事中だ。集中しなければ……



 ぐるりと両側のヒレの付け根に切り込みが入れられる。

 すると、カレイの中心――背骨があるだろう位置にナイフが刺し込まれた。

 それが尾の根元まで達すると、老料理人の手が止まる。



「あとはわかるだろ」


「えっと……尾の方からですか? それとも頭の方からでいいんでしょうか?」


 おそらく、次は身を骨から切り離す工程になるはずだ。

 身を剥がすようにナイフを入れていくことを考えれば、身の厚い頭側の方からやった方がいいに決まってる。

 正解は頭の中で描けていた。それでも、この老料理人の技術をもっと見たい――それが本音だった。


 

「しょうがねぇな」


 笑みを浮かべる老料理人、やはりナイフの動きに迷いは感じられない。

 するすると淀みの無い動きで解体されていくカレイ。初めて見た魚なのに、必要な刃の角度や深さがすんなりと頭に入ってくる。

 今すぐにでも借りたナイフを手にしてカレイを捌いてみたい――が、それよりも老料理人の手付きから目を離せない。


 背の方の身が取り外され、骨が露わになった。

 きれいな白身の片身ロインがステンレスのバットの上に置かれる。


 ひっくり返し、同じように腹側の方も骨と身に切り離される。

 作業はあっという間に終わった。



「坊主、さっさとやらんと間に合わなくなるぞ。できそうか?」


「……まずは、1匹だけやらせてください」

「わかった、やってみな」


 シンクで洗い終わったカレイを受け取り、作業台に置く。

 冷凍物だったのだろう、手が痛くなるほど冷たい。



「ヒレの方にトゲがあるぞ、気をつけな」


 ナイフで示された位置は、頭からすぐ近くにあったヒレの部分だった。

 渡された作業用手袋を身に付けた上で触ってみると、確かに鋭利な感触がある。


 さっき見た通り、カレイ上面の頭付近に切り込みを入れる。

 薄膜を裂くような感触、皮のすぐ裏に柔らかい内臓がある。

 内臓を傷付けないように表皮だけを切り、同じように腹側にも切り込みを入れた。


 慎重に頭のすぐ横にナイフを深く入れる。

 固い感触をナイフ越しに感じた。ゆっくりと力を入れつつ、骨の継ぎ目に刃を合わせた。

 そっと体重を乗せるようにして、骨を断ち切る。


 想像していたとおりの音と感触。

 これで頭が本体から離れるようになった。


 ゆっくりと頭と内臓をカレイの本体から取り外す。

 内臓、特に胆嚢を潰さないように気を付けながら力を入れて引き剥がす。


 色とりどりの内臓がでろりと垂れ下がるカレイの頭をシンク脇にあるゴミ箱へ放り込んだ。



 次は作業台脇のシンクを使って、カレイの内臓が入っていた部分の洗浄。

 血はもちろん、血ワタ――腎臓の除去が必要だからだ。

 指でごりごりと洗う方法もあるが、店ではスプーンを使っていた。ここでは借りたナイフくらいしかない。

 流水でカレイの中身を濯ぎ、腹の中を扱くようにして血ワタを洗い流す。


 これでやっと、5枚おろしに取りかかれる。



 尾の根本、ヒレと胴体の半ばにナイフを入れた。

 恐ろしく感じるほどの切れ味で皮と身をあっさりと裂いていく。


 ――これほどのナイフなら、どんな魚でも簡単に捌けそうだ。


 見せてもらった通り、魚体の外周に沿って切り込みを入れる。

 中心部分を狙うように、ナイフを深く差し込む。刃先が骨に触れて止まった。

 ゆっくりと背中を裂いていく。


 頭があったところから、切り込みの入れた尾の根本まで1本線の切り込みが入った。

 皮の付いた白身をめくるようにしながら、骨と身の間にナイフを滑り込ませる。

 骨に沿ってナイフを動かし、身を骨から剥いでいく。



 背中側の片身がきれいに取れ、それをバット容器の上に置いた。

 身はそこまでぼろぼろにはなっていない。悪くないんじゃないだろうか。


 皮を剥いてから、背中の反対側。

 ひっくり返して、腹側も進める。


 これまでやってきた調理が無駄じゃなかったことが、証明されたような気がした。

 文献やオンラインアーカイブ、図書館での調べもの、ストア99の水産部門でアルバイト……そこで得た知識や店での経験が、今ここで試されている。



 骨身、背と腹側の身、きちんと5つのパーツになった。

 『5枚おろし』はできている。あとは作業のクオリティだけだ。


 老料理人は僕が加工したカレイの骨身を持ち上げ、僕の前に突き出す。

 そして、口角を吊り上げるようにして笑った。



「初めてやったにしちゃあ、上手すぎだな。予習してきたのか?」


「いえ、本当に初めてです」

「そいつは頼もしいこった。さっさと終わらせるぞ」



 僕は返事をして、老料理人の向かいに立ったまま作業を開始した。

 次々と置かれるカレイ、それを次々と解体していく。


 淡々とした作業、料理を作るために必要な工程。

 でも、僕は心の底から楽しく思えた。



 コロニーでは、魚をそのまま食べるということは少ない。

 特に、自分で調理をするなんてめったに無いことのはずだ。


 だから、こうして目の前で魚をきれいに捌いているという光景そのものが、僕にはすごいことのように感じられた。

 少なくとも、僕以外にはストア99のミッキーさんくらいしか知らない。


 他にも腕の立つ料理人はいても、魚を捌けるとは限らない。

 その技術を高めようにも、1人では限界がある。


 そういう意味では、僕はずっと先生が欲しかった。

 

 今日だけの縁かもしれない。

 次に会うことも無いかもしれない。


 それでも、この時間は――きっと意味のあるものになる。


 僕はそう確信した。 



 

 


 

 

 

 

 

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