第4章:出張「ヒルサイド」

Act:04-1 フード・ラリー

 降り注ぐ強烈な人工太陽の熱、思わずむせてしまうほどの湿気。

 視界には目に焼き付きそうなほどの植物の緑、踏むと柔らかい黒い地面。


 長居はしたくないような環境で、わたしは屋外作業していた。

 これが任務だったら、我慢していたのだが……



 ――汗が、止まらない……


 ベイサイドは強い風が吹いていたためか、それほど辛くは感じなかった。

 しかし、ヒルサイド・コロニーの環境は違う。


 気温はそれほど高くない。

 だが、大気中の湿度があるせいか、籠もった熱気のように不快な暑さだった。

 

 

 しかも、肉体労働のが非常に辛い――



「手を休めるな、あと一列で終わるぞ」

 離れた位置にいる男がそう言ったのが聞こえた。


 振り上げた道具を振り下ろす。

 柔らかい黒い土にその道具を突き立て、掘り起こす。


 カールが言うには、これは「畑作業」というものらしい。



 炎天下、ずっと歩き通しのわたしは体力の限界に近付きつつある。


 ――情けない。わたしは、兵士なんだぞ……!



 思い返せば、このヒルサイド・コロニーに来たのも突然の事だった。


 いつも通りの買い出し。セントラルシティにある大型モール、その中にある『ストア99』に来たカールとわたしは畜産担当のマッコールという老人に声を掛けられた。


 話を聞くと、曾孫とやらの結婚式があるらしい。

 集まった家族や親族に美味しい料理を食べさせたい。そこでカールに「特別メニュー」を作って欲しいと頼み込んでくる。


 カールは水産物――魚やエビといった水の中にいる生き物を調理できるという珍しい技術を習得しているからだ、というのが理由だった。

 しかも、結婚式場の厨房を担当している責任者とは顔馴染みであり、既に話を通しているという。



 ここまで準備されたら、断るのは難しいだろう。

 案の定、カールは渋々承諾した。


 このような状況では、カールだけがヒルサイドに赴くことになる――と思っていたのだが、何故かわたしも同行することになっていた。

 出発直前に連絡があり、厨房の作業員に欠員が出たので2人の作業者が欲しいとのことだった。




 そして、わたしはカールと共にヒルサイドを練り歩いている。


 ここには様々なものがあった。

 カールはそれらを巡って、「特別メニュー」を考えるつもりだったらしい。



 最初に訪れたのは、水産物――エビや魚といった水の中にいる生物を育てる施設。

 巨大な水槽に膨大な量のエビや魚がいる光景は、思わず背筋が凝ってしまうほどだ。


 担当者曰く、『美味しく食べられるはずだが、ほとんどが加工品に使われてしまう』らしい。


 たしかに、「フェー・ルトリカ」以外の飲食店ではエビや魚を見ることは無かった。あったとしても『フィッシュケーキはんぺん』や『フィッシュソーセージ』といった食材に加工されてしまっている。

 そういった食材は、素材の風味や食感は全く残っていないだろう。

 

 水産物を作っている人間からすれば、それは望んだ結果ではないはずだ。




 次は、草が生い茂った平原。そこでは4足で歩行する生物が育てられていた。

 どうやら、ビーフやポークといった食肉となる動物らしい。


 地面に生えている草、様々な物が混ざった餌をモリモリと食べている。

 その様子はとても穏やかで、こちらも時間の経過を忘れそうになった。


 改めて、食肉が動物由来であることを思い知らされる。

 さすがに解体するところは見られなかった。カールは見たかったようだが……

 



 今度は羽の生えた生物――鶏という動物を大量に扱っている施設。

 施設内は耳が痛くなりそうな鳴き声が止まず、鼻につく刺激臭が漂っていた。


 鶏というのは、肉はチキン。産み落とした物は卵として流通するらしい。

 肉と生成物、その双方を食用にできるというのは面白い特徴だと感じた。『一粒で二度美味しい』という言葉があるらしい、それはまさしく鶏のことを表現した言葉のように思えた。


 ここでも、カールは食肉に加工するところを見たかった――否、体験してみたかったのだという。

 それはつまり、カールが自分の手で動物を殺すということだろう。

 

 その様子を想像してみようと試みたが、どうしてもイメージできない。

 むしろ、血塗れの姿を想像できるのは……わたし自身の姿だけだ。




 そして今、わたしとカールは屋外にいる。

 殺人的な人工太陽の日差しを浴びながら、汗を垂れ流し、手にした道具を足下に振り下ろす。


 この「畑」と呼ばれている敷地は、ストア99の農産部門を担当しているジンという男が管理している場所だった。


 成り行きで畑仕事とやらをしているが、全く納得できない。

 だが、「特別メニュー」のためだ。我慢するしかない。



 フォークのような金属製のパーツが付いた棒を振り下ろし、柔らかい土を掘り起こす。

 いくつもの盛り上がった黒い土、そこに女性が何かを置いていくのが見えた。


 最後の列での作業を終え、道具を地面に突き刺す。

 呼吸するのが苦しく感じるほどの熱気と湿気、衣類が張り付くほどの汗、ここは何もかもが不快だ。



「助かったよ、CK」


「こちらこそ、貴重な体験をありがとうございます」

 カールが深々と頭を下げる。


「今の若いヤツらは土を弄りたがらないもんでな、店のバイトなんかにも声かけたが誰も来やしない」

 

 ――こんなに過酷な環境での労働は違法ではないか!?


 もし、この状況を察することができるなら、普通は避けるだろう。

 わたしもわかっていたら、こんな所には来なかった。



「2人とも、おつかれさま~」


 何か作業をしていた女性がクーラーボックスを手に向かってきた。

 バイザーの広い帽子を被ったその女性の元へ駆け寄るジン――作業監督者の男がクーラーボックスを預かり、わたしとカールの目の前に来る。


 そして、クーラーボックスを開けると、中は氷水に満ちていた。

 炭酸飲料が入った缶飲料が漂い、氷や缶同士がぶつかって音を立てている。

 それがなんだか、見ているだけで涼しくなるような気持ちになった。



「ほら、仕事終わりの一杯だ」


 顔の半分を隠すほど長髪の男、見るからに暑苦しそうだが汗1つかいていない。一見、貧弱そうに見える風貌だったがその振る舞いには隙が無かった。

 気を張り詰めてはいないが、常に周囲を探っている――把握しているかのような視線や動き、この男は確実に素人ではない。

 コロニー自治軍は地球や惑星、コロニーでの戦闘経験がある傭兵や民間軍事会社PMCSを戦力として誘致しているという話があるらしい。


 もしかしたら、この男がそのなのかもしれない。

 その存在の信憑性を疑っていたが、今なら信じてしまうだろう。




「すまない」


 よく冷えた飲料缶を受け取る。

 氷水の中に入っていただけあって、このまま保冷剤として使えてしまうのではないかと思うほど冷たい。

 汗でじっとりと汚れた額に押し付けると、全身を蝕んでいた疲労感が軽減される――気がした。




「付き合わせちゃって、ごめん」

 カールが申し訳なさそうに言う。

 


「大丈夫だ、CK」


 ――付いてきたのは、必要とされているからだ。


 レストランは妹のルカ、母のモニカがなんとかしてくれる。

 動けるのはわたしだけだ。


 レストランでの動きと全く同じとは限らないが、同じ料理をする仕事であるならば少しは共通点があるだろう。

 あとは現場で考えればいい――それに、わたしにできることは限られている。

 


 すぐ隣で空気の漏れる音がする。

 カールが缶飲料のタブを起こし、開封したようだ。

 

 横を見ると、天を見上げるように缶飲料を一気に飲み下している。

 別の生き物のように動く彼の喉の動き、頬や首筋を滴る汗の雫、それらから目を離せなかった。



 一気に飲み干した缶から口を離したカールは大きく息を吐く。

 そして、満足気に汗を拭う。



「どうだ、青空の下で飲むソーダの味は」


「よく冷えてて美味しいです。ありがとうございます」



「まだあるから、おかわりしてもいいのよ?」


 新しい缶飲料を手渡されるカール。

 彼の苦笑を横目に、わたしも缶を開封する。


 タブを指で起こし、吹き出る炭酸ガスを手で受ける。

 その冷たさに、思わず口元が緩んでしまう。


 ――もう、飲む前からってわかってしまうな。



 カールがそうしたように、天を仰ぐようにして合成ソーダの缶を傾ける。

 口の中を洗う炭酸の感触、舌と喉の奥に染みる冷たさと『甘い』、鼻を抜けるチープな果実グレープの匂い。

 一気に飲み干し、空になった缶から口を離すと――ソーダの冷たさが身体に広がる。


 確かな充実感と満足感、安らぎに似た感覚が僅かな時間だったが得られたような気がした。


 それはきっと、身体を酷使したからこそ得られた快感に違いない。

 失った水分を補給しただけなのだろうが、この体験は単純に理屈では判別できない何かがある。


 

 おそらく、『美味しい』と同じだ。

 理屈と計算だけでは、『美味しい』を再現できない。


 経験、体験、そうしたものが『美味しい』を変化させる。

 きっと、これもそうなのだろう。




 空になった缶を傾け、残ったソーダを舐めるように飲む。

 しかし、もう残ってはいなかった。そのせいか、なんだか物足りない感覚に陥る。




「まだあるわよ~」


 クーラーボックスの中にはまだまだソーダの缶が漂っていた。

 女性はその中から1つを取り出して、差し出してくる。 




「もらおう」


 女性からソーダの缶を受け取ると、ジンとカールが突然笑い出した。

 どうして笑っているかはわからない。


 すると、女性も小さく笑い始める。

 3人の笑い声を浴びながら、わたしは2本目のソーダを開封。



 冷たいソーダの炭酸で、人工太陽の日差しによる不快感が和らいだ気がした。

 たまには暑い場所で汗まみれになるのも悪くない。


 それはもちろん、とびきり冷たい飲み物がある場合に限るのだが。

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