Act:03-8 ビーフ・プラクティス 2

「――まずい」



 ヨナはたしかにそう言った。


 わたしが焼いたステーキを見た瞬間から、ヨナは不満そうな表情をしていた。


 見た目はちょっと悪かったかもしれないが、きちんと焼けていたはずだ。



「まずい……のか?」


「あっ……すんません」

「馬鹿正直に言うなんて、ホントにどうかしてるわね」


 レティシアの言葉を受けたヨナがステーキを切り分け、その欠片をわたしに見せてきた。


 肉の断面は真っ白、焼く前は分厚く感じていたはずだが今はその半分くらいになっている。

 押し付けて焼いたせいだろうか。


 切り分けた肉片を別のフォークに刺して、レティシアとわたしに寄越してきた。

 ヨナから肉の刺さったフォークを受け取り、肉片を口に放り込む。

 肉を噛み締める――が、想像していたような感触ではない。


 カールが焼いたステーキはもっと弾力があり、噛むと『美味しい』が溢れる。

 だが、わたしが焼いたステーキはそれがない。固くて、『美味しい』が出ない。ソースの香りと塩味は感じられるが、肉自体から無かった。




「たしかに、これはちょっと……」

 レティシアもヨナと同じ意見らしい。

 どうやら、失敗したようだ。


 

「すまなかった……」


 わたしはヨナに深々と頭を下げる。

 謝意を示す方法はこれしか知らない。


「い、いや……いいんスよ。次からもっと美味いヤツ焼いてくれれば……」


「食べないんなら、あたしがもらうけど」

 ヨナの目の前にあるさらに手を伸ばすレティシア、その手が触れる前に皿を遠ざけられる。


「いやいや、これオレのだし。お前のはこれから来るだろ!!」


 渋々といった感じで伸ばしていた手を引っ込めつつ、レティシアがわたしを見た。


「――というわけで、次は美味しく焼いてくださいね」



「善処する」


 自分が焼いた工程、作業内容を頭の中で思い返しながらキッチンへと戻る。

 コンロの前には、カールが立っていた。


 腕を組んで、表情は真剣そのものだ。



「ダメだったみたいだね」


「そのとおりだ。CK」


 焼き方はそっくりそのまま、野外調理バーベキューの時のほとんど変わらないはずだった。

 理屈的にも間違ってはいない、少なくともわたしが考える限りではあるが。



「じゃあ、ちゃんとした焼き方を教えるよ」

 そう言って、カールはフライパンを手にする。

 

 コンロの近くにステーキ肉が用意されていた。さっきわたしが焼いたのとそう変わらない厚さと大きさだ。

 

 フライパンに調理油を注ぎ、全体に油を回す。

 コンロにフライパンを置き、点火。フライパンの加熱が始まった。



「まずはフライパンを温める。これは出来てたね」


 フライパンから微かに煙が上がったのが見えた。

 そこにステーキ肉を入れるカール。


 音を立てて、肉が焼ける。ここまではわたしがやっていた工程と変わらない。


 この後、わたしは――



「ところで、どうして蓋してたの?」


「フライパンの中に熱を籠もらせて、肉全体を加熱するためだ」

 肉を焼き始めてすぐ、わたしはフライパンに蓋をした。

 それはカールがベイサイドの料理対決でやっていたように、意味のあることだと思っていたからだ。



「たしかに、蓋をすれば熱が逃げないから肉全体に加熱できるかもしれないけど……」


 苦笑するカール。蓋をする気配は一切無い。



「蓋しちゃうと、焼きよりになっちゃうよ?」


「……むし?」


 調理は様々な方法がある。

 食材を熱変化させる手法としては、焼くグリル煮るボイル揚げるフライ、くらいなものだろう。

 しかし、とはいったい……?



「非加熱の肉はスポンジみたいなものなんだ。表面を焼き固めないと、蓋した時の水分でドリップが出てきちゃうんだ」


「――どりっぷ?」


「肉の旨味に直結する液体だよ」

 カールは答えながら、肉をひっくり返した。

 焼いていた面にはまだ焼き目は付いていない。



「それに、片面だけ焼いてたら縮んだ時にバランスが悪くなる。肉が反っちゃうんだ」


 タンパク質に熱が入ることによる収縮。たしかに、わたしは片面を焼いている時間が長かったような気がした。


「だから、こうして何度もひっくり返すんだ」


 また肉がフライパンの上でひっくり返る。

 色は薄いが、焼き色が付いているように見えた。



「あとね、誰でもステーキが焼けるコツがあるんだよ」


「――だれでも!?」

「もちろん」


 すると、カールはわたしの手を握る。そのまま親指の付け根をぐいぐいと押してきた。  


「ヒントはここ、この硬さを感じてほしい」


 彼の手が離れてから、自分で親指の付け根を触る。

 確かな固さと弾力が感じられた。



 生肉は押し潰しても元の形に戻るほどの弾力は無い。

 加熱し、タンパク質が凝固・収縮することで固さと弾力が生まれる。

 

 つまり、ステーキは加熱のを意識する必要があるようだ。



 また肉がフライパンの上でひっくり返る。

 分厚いステーキ肉にしっかりと焦げ目が付いていた。



「あと、多分勘違いしてると思うよ」

 そう言いながら、カールはトングで肉を返し続ける。



「バーベキューグリルは下が炭だから、脂が落ちても煙になるけど。フライパンは脂が溜まってしまうんだ」


 ――そうか、そもそもの構造が違ったのか。


 熱の伝わり方ばかり考えていたが、調理器具の差を全く想定していなかった。

 料理のことはまだまだ知らないことばかりだ。 




 何度もひっくり返された肉に、カールはトングを突き立てた。

 ぐいぐいと押し潰すようにして、固さを確認しているらしい。



「右手の親指と人差し指をくっつけてみて」


 カールの言うとおりに、右手の親指と人差し指を合わせる。

 指でリングが出来た――と思ったら、さきほどと同じく親指の付け根を指で押してくる。



「それがだよ」


 ステーキの焼き加減、内部にどれだけ熱を通すかの指標。

 レアは段階の中でも、火があまり通ってない状態を指す単語だったはずだ。


 自分で親指の付け根の固さを確認。

 手を広げていた時より、若干固いような気がした。


 そして、カールからトングを受け取ってフライパンの上で焼かれている肉の弾力を確認してみた。

 生肉の時とは比べものにならない弾力、固さ、僅かに沈み込むような柔らかさはわたしが焼いたステーキには無かった感触だった。



「ステーキ肉は表面だけ焼けて、中はまだ生――つまり、レアの状態なんだ」


 中心まで加熱されているなら、沈み込むような柔らかさは失われる。

 火が通ってないからこそ、が存在するわけだ。



「なるほど……」


「じゃあ、次は中心部に火が入っていくように加熱していくよ」

 そう言って、フライパンに蓋をするカール。

 


「大丈夫なのか?」


 わたしが蓋をした時、肉から溢れ出た液体――あのブラウン色の液体は、カールが言うところのドリップというヤツなのだろう。

 だが、カールが焼いたものからは液体が染み出すこと無かった。



「表面を焼き固めることで、ドリップが出るのを抑えられるんだ。クロエは片面だけ焼きながら蓋したからね」


「表面処理……のようなものか?」

「そ、その表現が正しいかはわからないけど、そういうことだよ」



 たしかに表面を加熱して凝固させてしまえば、肉の組織から液体が染み出るのを防ぐことができるだろう。

 どうして、そこまで気が回らなかったのだろうか……なんだか、悔しく思えてきた。





 カールは蓋をしたまましばらく焼き、たまに蓋を取って肉をひっくり返し、また蓋をするという流れを何度か繰り返す。


 再び、肉の弾力を確認し始めた。



「次は親指と中指をくっつけてみて」


 言われた通りに親指と中指で輪を作る。

 親指の付け根を押してみると――さっきよりも固くなっていた。



「これがミディアムレアだよ」


 トングで肉を押してみると、今の親指の付け根と同じくらいの固さだ。

 つまり、中心部が過熱されての部分が小さくなっているということになる。



「もしかして、合わせる指を送っていくと……ステーキの焼き加減になるのか?」


「その通り、薬指はミディアムで小指はウェルダン――」


 分厚い肉の焼き加減なんて、断面を見なければわからないと思っていた。

 だが、この方法なら焼きながら確認できる。



 唐突に、カールはコンロを止めた。

 フライパンの上にはまだステーキ肉がある。



「よし、焼けたな」


「いいや、まだ」


 焼き上げたステーキに香辛料を振りかけ、しばらく待機。

 

 そういえば、ベイサイドでもこのようなやりとりがあったはずだ。



「どうしてすぐに持っていかないんだ?」


「説明がちょっと難しいけど、焼いてすぐだと肉汁が肉からすぐに出てしまうんだ。少しだけ休ませることで肉汁が留まるようになるんだよ」


 おそらく、温度が関係しているのだろう。

 温度が低下することで肉の組織に水分が定着し、肉汁が漏れ出なくなるの……のかもしれない。



 ようやく、カールはステーキを皿の上に載せた。

 これで配膳できる。


 

「次からは自分で注文してね」



「わかった」


 ステーキが載った皿を手に、店内へと戻る。

 ボックス席に向かうと、ナイフとフォークを手にレティシアが不機嫌そうな表情で待っていた。




「待たせた。ビーフステーキだ」

 彼女の前に皿を置く。


 その肉を見て、レティシアの目の色が変わった。



「今度はちゃんと美味しそうね」


「オレにも一切れ……いや、三切れくらいくれよ」

「しょうがないわね」


「やったゼ」


  

 2人が笑顔で談笑しながらステーキを頬張っている。

 その騒がしくも楽しそうなやりとり、それはわたしが焼いたステーキでは見ることはできなかった


 ビーフ、調理器具、皿、全く同じものを使っているはずなのに反応が異なる。

 これが、これこそが料理の力だ。


 同じモノが全く違う、もっと上のレベルの物へと変化する。

 だからこそ、料理は面白い。


 食べるのも、作るのも、どこまでも奥底が見えない。

 



 ――いつか、わたしも……


 人を笑顔にできる料理を、作ってみたい。


 仲間や身近な人、誰でもいい。

 誰の手助けも借りずに、自分で『美味しい』を作り上げたい。



 

 任務の準備も進めてはいるが、この〈クロエ〉という役回りは二度とやれないだろう。

 残された時間はそう多くない。そう思うからこそ、もっと料理を知りたいという欲求が出てくる。



 それはこの店が、カールが、彼の家族が、彼の友人達が、わたしに考える時間と余地をくれた。

 任務が第一なのは変わらない。


 任務以外のことも、少しずつ知ることができた。

 料理だけではない――他のコロニーの生活や地球、もっとたくさんのものを見たり、触れたりしたい。


 これまで考えたこともないようなが次々と思いつく。

 わたしはずっと任務のことだけを考えてきたはずなのに、たくさんのをしてみたいと考えている。



 〈コロニー・E2サイト〉での生活、任務はきっと忘れることはないだろう。

 

 ――この時間が、もっと続けばいいのに。


 また、欲求が増える。

 いっそ、任務のことなど忘れてしまいたい。


 だが、それができないことも知っている。

 わたしはジュリエット・ナンバー。戦うためだけに造られた。


 構成しているものは、コロニーの住人と何も変わらない。

 いっそ、誰かがわたしをして造り替えてくれないものだろうか。


 そんな夢みたいな事は起こりえない。

 だから、この考えも、感情も、忘れることにする。


 レストラン『フェー・ルトリカ』で流れる時間と穏やかな雰囲気は、憂鬱な気分に浸らせてくれることは許してくれない。

 今日もまた、時間が過ぎていく。わたしはただその流れに身を任せるしかできなかった。

   

 

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