Act:03-7 ビーフ・プラクティス 1

 会話や食器の音、ラジオからの音楽、店内は相変わらず賑やかだった。

 人工太陽が隠れて夜間帯に入ろうとしている。


 夏期休暇期間サマーバケーションが終わり、客の入りも落ち着いてきた。

 

 

「――食器を片付けてくる」


「わかった!」


 わたしは食器洗いを中断し、店内へと向かう。

 キッチンはカールとルカが回している。わたしが何か手伝うようなことは無いはずだ。


 賑やかな店内に入ると、ベイサイドのレストランに行ったことを思い出す。

 自分だけでセントラルシティの飲食店に入ったときとは全く違う感覚、店内という環境に溶け込んでいる感触。一体感と言えばいいのだろうか、ベイサイドではそういったものがあったように思える。


 料理対決とやらの後はレティシアに連れられてホテルに戻ることになったが、カールは翌日まで働かせられたらしい。

 それほど繁盛したのだろう。あの夜は確かに異常なまでの盛り上がりだった。

   

 

 ボックス席に置かれたままの食器を回収。

 3人客が楽しく飲食した形跡、以前はただの片付けとしか思わなかったが、今はそう思わない。

 皿に食べ残しが無く、コップに入っていた氷が溶けきっている。それは店内で充実した時間を過ごせた証拠だ。

 わたしたちが適切なサービスを提供できたという証明だと言えるだろう。

 

 食器を手に、キッチンへ戻ろうとした矢先。カウンターの男性客がこちらを見ながら挙手していた。

 それは注文のサイン。物静かな客の主張の1つだ。


 食器をシンクに置いてから注文を取りに行く。

 すると、アルコール飲料の注文を受けた。連れの男性客も別の飲料を注文。それをクリップボードに挟んだ用紙に書き留め、キッチンへと戻る。


「カウンター席でボトルのビールとワインの注文だ」


「在庫は大丈夫そう? さっきもボトルのオーダーあったけど……」

「問題無い、今日補充したばかりだ」


 夏期休暇期間サマーバケーションでは飲酒客が異常に多かった。

 そのおかげで、食材や飲料の在庫管理を覚えることができた。経験値というのはどんなに大変でも得られるものなのだと思い知らされる。



 貯蔵庫に入り、酒瓶が入ったケースから目当てのものを取り出す。

 コロニー産のビール、輸入品のホワイトワイン、それを手に貯蔵庫を出ようとしたが視線にある物が入ってくる。

 白い紙に包まれた何か、貯蔵庫で最も温度が低くなるところに置かれたそれが気になってしまった。


 一度酒瓶を置き、梱包されたそれを開封。

 それは比較的大きな肉の塊だった。ベイサイドのレストランで見たものと比べて小さいが、それはまさしくビーフのステーキ用の食肉に間違いない。

 これを切り分ければ、4人分くらいにはなるだろうか。


 月末に父親のアントニオがステーキを注文する。これはそのためのものだ。

 しかし、これだけの肉があるというのにほとんどが挽肉にして転用されてしまう。それはもったいないことだ。


 

 ふと、ベイサイドでの料理対決を思い出す。

 大きな肉をそのまま焼く――グリルする料理「ステーキ」の調理、ただ焼くだけならわたしにも出来そうだ。

 おまけに、失敗しても余剰分がある。何も問題は無いだろう。


 ――これなら、わたしでも……!


 しかし、今は注文された飲料のボトルを持っていくことが仕事だ。


 再び酒瓶を手に取り、キッチンで洗浄済のグラスを回収。店内へ向かう。

 カウンター席の客に酒瓶とグラスを配膳。注文票に追加記入。これで作業は完了だ。



 キッチンへ戻ると、ちょうどカールの手が空いたタイミングだった。

 フライパンを取り出し、コンロの上に置く。

 そして、彼の元へ向かった。


 プラスチックコップに水を注ぎ、一気に飲み干すカール。

 ここ数時間で複数の注文が来ていた。連続で大量の調理を終えて、やっと一息つくことができるようになったのだろう。

 空になったコップがシンクに置かれたタイミングで、わたしは話し掛けることにした。



「CK、ステーキを焼いてみたい」


「――えっ? ステーキ? どうして急に……」

 驚いた様子のカールに、わたしは言葉を続ける。


「ステーキの焼き方を習得したい。興味がある」


 カールの焼いたステーキを食べた時、ただ焼くだけであれほどの「美味しい」になるとは思わなかった。

 料理対決で対峙した女店主が焼いた物とは比べものにならない。


 ただ焼くだけなら、材料や機材も少なくて済む。

 それに、人工物ではないタンパク質なら仲間達も喜ぶはずだ。


 

「興味を持ってもらえるのはいいけど……」

 言葉を濁すカール。その表情は険しい。



「肉、いっぱいあった」


「うーん、たしかに挽肉にしちゃうのはもったいないと思うけどさ」


 カールは腕を組んで唸り始めた。

 あと一押しで許可を貰えそうな雰囲気がある。


 だが、そうしている間に店内からの注文があったらしい。

 わたしの代わりに店内に向かっていたルカが受けた注文のメモを貼りだしていた。



「アニキ―、ポークのステーキって焼ける?」


「ああ、ロースの塊がまだあったはず――」


 ――ステーキ!? ならば、これは手を付けられるチャンスでは!?




「わたしにやらせてほしい」

 カールの腕を掴み、わたしは告げる。

 しかし、カールは首を横に振り、否定を示した。



「悪いけど、まだ任せられないな」

 そう言って、カールは貯蔵庫へ向かう。

  

 色々覚えられてきたと思ったが、なかなか厳しい。

 少なくとも、ただ焼くだけならわたしにだってできるはずだ。



「クロエさん、どうしたの?」


「大丈夫だ、なんでもない」


 ルカから声を掛けられたが、店内に戻ることにした。

 キッチンは手が足りている。留まっていても時間の無駄だ。


 空いた席の使用済みの食器を下げ、テーブルを清掃。

 次の客が来たら案内し、オーダーを取り、それをキッチンに伝える。

 店内での仕事は、もう身体が覚えていた。次に何をすればいいかを考えるまでもない。


 仕事を進めていると、また来客を知らせるドアベルが鳴った。

 ちょうど清掃を終えたばかりのボックス席、そこに常連の2人を案内する。




「うっす、オレはいつものヤツで」


「何が『いつもの』よ、アンタはいつもコロコロ注文変えてるじゃない。……アタシはで」

 

 来店してきたのはカールの友人であるレティシアとヨナだった。

 この2人はなんだかんだで一緒にいることが多いように思える。


「ハンバーガーセットが2つ、ドリンクはコーク」


 クリップボードに挟んだメモにオーダーを書き記そうとして、ペンを握る。

 2人の顔を見ると、ベイサイドの夜を思い出した。


 ――そうか、彼らに注文させれば……! 


 クリップボードをテーブルの上に置き、ヨナに視線を向ける。



「ヨナ、ステーキを食べたくないか」


「――急になんだよ……!」

「食べたいと言え」


 ヨナは目を細め、眉間に皺を寄せる。

 メニュー表を手にとって、それをわたしに見せるように広げた。



「問題が2つある」

「聞こう」



 ヨナはその浅黒い指でメニューの項目をなぞる。


「ステーキは高い」

「そうか」


 今度は携帯端末の画面を見せてきた。

 それはカレンダーのようだ。年、月、日が表になって並んでいる。


「月末は金が無い」

「そうか」



「――ヨナ、悪いけどクロエさんに何も伝わってないと思う」

 

「……勘弁してくれ、そりゃあCKのステーキは絶品だけどさ」

 やれやれと肩を竦めるヨナ。

 いつも着ているジャンプスーツのポケットから出てきたのは、数枚のクレジット紙幣。この額ではステーキの代金を払うことはできないだろう。 

 

 

「いや、焼くのはわたしだが?」

 思わず、ヨナの言葉に反応してしまった。

 自然に注文させようと思ったが、これでは失敗だ。





「へっ?」「えっ?」

 2人の顔が驚愕に染まる。




 

「じゃあ、ビーフステーキを2人前だな」

「――いやいや、ちょっと待ってくださいって」


 ペンを握る手を制止するように、ヨナが掴んできた。

 その表情に必死さが垣間見える。


「あのな、ビーフステーキは美味い。それを優雅に食うのは男の憧れでもある――でもよ、今のオレにはちょーーっと手が出ないのヨ」


は出ているようだが?」

「いやあのほんとすんません」


 慌てて手を引っ込めるヨナ。

 それを見たレティシアが大きな溜息を吐いた。


 いつも持ち歩いているバッグからポーチを取り出し、中身を確認。

 そうしてから、ヨナが取り出したメニュー表を元の場所に戻した。




「ビーフステーキ、2つ」

 レティシアが堂々と言い放つ。


「おいおい、オレのことがいくら嫌いだからって――」

「――代金はどっちもアタシが払う。でも、条件が1つあるわ」


 人差し指を立てるレティシア。

 そして、その指を向かいの席に座るヨナへと向ける。


「先にヨナの方から作って」

「了解だ」


 ヨナが疑問を投げてきたが無視してキッチンに戻る。

 ちょうど、カールが調理を終えたタイミングだった。



「ヨナとレッティ? ハンバーガーセットか、クロエはコークを――」

 カールに突き付けるようにオーダーのメモを見せる。


 すると、カールはあからさまに困ったような表情をしていた。



「……まさか、2人に注文を強制したの?」


「強制ではない」

 


 

「そこまでステーキを焼きたかったのか……」


 肩を落とすカールの姿に、わたしは言葉を失った。

 目的のためなら手段を選ばないつもりだ。


 だが、今回は越えてはいけない一線を踏み越えてしまったらしい。



「すまない」

 形だけにしか見えないだろうが、頭を下げておく。

 謝意が伝わるかはわからない。それでもやらないよりはいいはずだ。




「いいよ、今回だけだからね」


 そう言って、カールは貯蔵庫から肉塊を持ってきた。

 それをキッチンナイフで切り分ける。



「……今思ったんだけど、そんなにやってみたいならすればいいよ。それなら誰も文句は言えないしさ」


 ふと、メニューに書いてある『ステーキ』の値段を思い出してみた。

 付け合わせのグリルした野菜、ドリンクがセットで……ハンバーガーセットが4つくらいの価格だったはずだ。


 ――た、高い……!


 払えないこともないが、ここ最近はあちこちで食べ歩いているせいで所有しているクレジットに余裕が無くなっていた。

 カールが言うように、ステーキを焼くために自分で注文していたら……残り僅かなクレジットも底を突くことになるだろう。



「じゃあ、1枚ずつ焼いてみようか」

 コンロの上に用意していたフライパン、そこに調理油を注ぐ。

 焼いた肉をひっくり返すのに使う樹脂製のトングを手に戻って来ると、カールは切り分けた肉に調味料をかけていた。

 容器は塩、コショウ、いつも使っているものだ。



「よし、焼き方は……」


「大丈夫だ、やらせてほしい」


 わたしの言葉に表情を曇らせるカール。

 初挑戦でいきなり助言を不要と言うのは早計過ぎただろうか。



「ベイサイドで焼いているのを見た。だから、問題無い」


「そうか、あれの影響か……」


 考え込む様子のカール。間もなくして、顔を上げてコンロのスイッチを入れた。

 火力を調節するスイッチノブを回す。



「いいよ、とりあえずチャレンジしてみて」

「わかった」


 カールが調味料をかけたステーキ肉をトングで掴もうとした矢先、肩に手が置かれる。それは隣にいたカールの手だ。


「もし、不安なことやわからないことがあったらすぐに聞いてね」


「わかった」


 熱されたフライパンから微かに煙が上がるのが見えた。

 そこにトングで持ち上げたステーキ肉を載せた。音を立てて、分厚いビーフが焼かれる。


 ――よし、焼くぞ。


 フライパンの蓋を被せ、熱を籠もらせる。

 バーベキューの時にカールはグリルに蓋をして焼いていた。

 こうすれば熱がフライパン表面からではなく、全体を包むようになるはずだ。


 透明な蓋越しに肉の様子を確認していると、跳ねた脂や湯気ですぐに蓋が曇ってしまう。

 肉の周囲に液体が滲み出しているような気がした。



 ――問題無い……はずだ。


 そっと蓋を開けてみると、湯気の向こうでブラウンの液体が広がっていた。

 肉も調理前の赤色は失せ、白っぽくなっている。これは加熱されたせいだろう。


 しかし、なんだか妙な感じがする。

 

 蓋を取り、トングで肉をひっくり返す。

 無事に肉が反対の面を向いたが、焼き色はついていない。

 おまけに、肉が反り返っていた。


 肉が変形してしまっては、均等に火を通すことが難しくなる。

 このままではマズい……


 トングで肉をフライパンに押し付ける。肉の悲鳴がより一層大きくなった。

 歪になってしまった肉に焼き色をつけるにはこれくらいしか思いつかない。

 

 染みだした液体は減らないし、その液体のせいか焼き色が入らない。

 これではどれだけ焼けているかがわからない。このままでは永遠に焼き続けることになってしまう。



 ――ならば、これだ!


 コンロのスイッチノブを限界まで回す。

 最大火力で一気に焼き上げる。フライパンの上に広がる液体を蒸発させれば、肉に熱が伝わって焼き色が入るだろう。


 狙い通り、肉から染みだした液体が蒸発。

 だが、フライパンの底が焦げてしまった。液体の成分だろう。


 ここまで来たら、何があっても焼くしかない。

 肉を押し付けるようにしばらく焼いてから、ひっくり返す。

 それを何度か続けていると、肉に色が付いてきた。


 それはまさしく、ベイサイドのレストランで見たものと全く同じものだった。



「焼けたぞ」


「今、お皿持っていくね」

 付け合わせのグリル野菜が載った皿をカールから受け取る。

 肉をトングで持ち上げ、皿の上に置いた。


 仕上げに、とカールがステーキにソースをかける。

 これで完了。あとは、配膳するだけになった。




 ステーキが載った皿をトレーに置いて、わたしは店内へ向かう。

 フォークとナイフを手にして待っていたヨナの前に置いた。



「待たせたな、ステーキだ」


 見た目はきちんとビーフステーキ。

 焼き色も付いているし、反ってはいるが火は通っているはずだ。



「……い、いただきます」


 ヨナが肉にフォークを突き立て、ナイフを入れる。

 その動作、光景をわたしはじっと見ていた。


 そして、切り分けた肉片を口へ放り込むヨナ。

 何回か咀嚼した後、ヨナはこう言った。














「――まずい」 

 

 

 

 


 

 


 

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