Act:03-5 グリル・ファイア 2

 クロエの一言で、あっという間に屋外調理スペースが構築されていく。


 ベイサイドのホエールタウン、そこにある名物料理店。今では歴史文化的な調理方法であるバーベキュー、それを出すレストラン「テキスタン」に僕たちは訪れた。


 そこの料理人が、顔見知りであるミッキーさんの娘さんで、しかも同年代。

 あまりにも横柄で尊大な態度を取る態度に、僕は少なからず不快に思った。



 あれやこれやと事態が悪化した結果、こうして料理対決をすることになってしまった。




 テーブルの上には調理器具、木炭や練炭を使う伝統的なバーベキューコンロが用意され、火起こしも済んでいる。

 向かい合うようにして構築されたセット、その間に置かれたテーブルに食材が大量に置かれた皿や容器が並べられた。


 

 ――これじゃ、まるでアーカイブに残ってるようなバラエティ番組じゃないか。


 戦前に制作された放送番組の中には料理人同士を対決させるという内容のものがあった。これから行われようとしているのは、まさにそれだ。

 本来、そんなことで優劣を定めることは間違っている。

 だが、この流れを止めるのは難しいだろう。




「準備、出来ました!」

 ウェイターが大声を上げる。

 それを腕を組みながら眺めていたセイラ――対戦相手となる料理人が僕たちの前に歩み出た。

 そして、人差し指を突き付けるようにして言い放つ。



「白黒ハッキリさせようぜェ!!」

 それだけ言って、自分のブースへと戻っていく。

 去って行く背中に、微塵も不安は感じられない。その堂々とした態度に自信が表れているようだった。




「やるしかないのか……」


 目の前にある調理器具、バーベキューコンロ、扱ったことのないものばかりだ。



「大丈夫だ、しーけー」

 すぐ隣で、クロエが親指を立てる。



「しーけーなら、勝てる」


「そうかなぁ……」

 

 自分の店にあるキッチンとか、自分の部屋ならどうにでもできる。

 しかし、ここでは完全に素人同然である。



 ルールは事前に説明を受けた。

 細かな時間制限は無し、少なくとも日付が変わるまでに2~3品を用意すること。それをヨナとミッキーさんに試食してもらい、どちらが美味しいバーベキュー料理を出せたかを判定してもらう……という流れが決まる。



「それでは……調理を始めてください!」

 ウェイターの一声で、勝負が始まることとなった。



 バーベキュー料理は多少知っている。それを作るしかないだろう。

 相手がどう出るかは関係無い。やれることをやるだけだ。



 頭の中にあるレシピを分解し、必要な材料と調理器具をイメージ。

 山のように置かれた食材から、合金製のバット容器に取る。

 まずは1品目に必要な食材を自分のブースへと持ち帰ってきた。



「わたしは何をすればいい、しーけー?」


 ありがたいことに、僕には助手としてクロエがいてくれる。

 彼女にある程度仕事を振ることで、考える余裕ができるはずだ。



「じゃあ、この野菜をみじん切りにしてくれ」


「わかった」


 置かれていたナイフを手に取り、オニオンやニンジンを刻み始める。

 クロエは「カレーの日」のおかげで、野菜を切り刻むのに慣れていた。

 心配する要素は微塵も無い。


 

 ――さて、僕の方も準備をするか。


 再度、食材を調達。海鮮や野菜、大きめにカットされた肉を取ってきた。

 バーベキューの定番といえば、串焼きだ。

 調理そのものは簡単ではあるが、食材同士の組み合わせや火加減といった様々な要素が絡んでくる。

 

 ブースに用意された調理器具、その中に鉄串もあった。

 数は充分、状態も良い。初めて使う道具ではあるが問題無いだろう。


 食材をスライスし、並べる。

 色味とバランスを考慮しながら、鉄串を打つ。

 ついでにステーキの付け合わせ用の野菜もここで準備しておく。

   

 

 ――そろそろ、色々やっていかないとな……



 調理器具の中から鉄鍋とフライパンを取り出す。

 耐熱性のある作業用グローブも忘れてはならない。バーベキューコンロは普通の調理器具よりも遙かに高い火力と熱量を発揮する。油断すれば文字通り、大火傷だ。



「野菜、切り終わった」


「ありがとう。次はこれを頼むよ」


 手の空いたクロエの元に、エビや既に剥かれた貝類が入ったバットを置く。

 空のステンレスボウルを取り出して、バットの傍らに用意した。



「エビの殻剥きを頼んでもいい?」

 そう聞くと、クロエが目を大きく見開いた。

 エビと僕の顔を交互に見比べている。



「……無理そうなら、別の作業をやってもらうけど」

「だいじょうぶだ、しーけー」


 抑揚の無い返事をして、クロエは作業を開始する。

 カレーの日に合わせてエビのフリッターを作ることもあったので、何度か作業を経験してもらっていた。

 

 彼女は弾力のある食材に対して、苦手意識があるらしい。

 理由はわからないが、我慢して作業を終わらせてくれることが救いだ。



 食材が置かれたテーブルから、メインとなるステーキ用の牛肉を取りにいく。

 既にカットされてはいるが、脂身やスジがたくさん付いている。このまま焼いてしまうと、肉が丸まったり、嚙み切れない部分があったりと食べにくいステーキになってしまう。

 

 ――下処理が必要だな。


 脂身やスジを除去、取り切れないスジは包丁を刺すようにして「スジ切り」をする。

 包丁の背で叩くようにして、肉を伸ばす。肉の厚さを均一にすることを意識して肉を叩いていく。


 これをすることで肉が柔らかくなり、食べやすくなる。

 本当はミートハンマーやテンダライザーのような、ちゃんとした道具を使いたいところだが用意されていなかった。

 それに、そういったものを使ったこともない。慣れた手法が確実だ。



 ――そろそろ、本調理を始めるか。


 野菜と一緒に持ってきていた缶詰を片っ端から開封していく。

 カットトマト、スイートコーン、ミックスビーンズ。鉄鍋ポッドを取り出して、1品目の準備は終わった。


 

 だが、バーベキューコンロを使ったことはほとんどない。

 いきなり調理に臨めるか、自信は全くなかった。



 陽炎が揺らめくコンロの前で、僕は手が止まってしまう。

 目の前には鉄串に刺さった肉と野菜、下処理が終わったばかりのステーキ肉、それらを思い通りに調理できるだろうか?



 僕はたしかに、相手の料理人が作ったモノを酷評した。

 しかし、同じ道具でのクオリティの料理を出す技術があるとは思っていない。


 だからこそ、僕は過ちに気付いてしまった。



 僕は料理人だ。

 しかし、自分のキッチンから出てしまえば、僕はただの料理好きの一般人でしかない。

 

 客だから、サービスを評価する権利はある。

 そこに僕は、という見栄を差し込んでしまった。

 言うべきではなかった、とは思わない。それでも僕が浅はかだったのは間違いないだろう。





 ――試しに、焼いてみるか。


 ステーキ肉の下処理トリミングで取り除いた脂身やスジを、コンロの上に置かれた金網に広げる。

 高温の熱気で炙られた白い脂が液体化し、泡を立てる。



「——エビの処理が終わった」


 ボウルに入ったエビを見せてくるクロエ。

 彼女に返事が出来ず、ただ横目でそれを確認した。



「……焼かないのか?」

 クロエがコンロを覗き込む。

 

 金網の上で焼かれた脂身から雫が落ちる。

 すると、勢い良く炎が吹き上がった。瞬く間に金網の上にあった肉の欠片が炎に包まれ、形を小さくしていく。




 ――これは、やられた……!!


 

 僕は思わず、向かい合うように設置された相手のブースに視線を向ける。

 こちらをじっと見ていた女料理人、セイラが不敵に笑うのが遠目からでもわかった。




「どうした、しーけー。グリルするんじゃないのか」


「——ダメだ、このままじゃ」


 僕は道具の中から金属製のトングとバケツを手に取る。

 そして、金網を外した。



「しーけー?」


「火が強すぎる」


 コンロの中から熱と火の粉を振りまく炭を除去。

 トングを使っても、指が炭の熱に炙られる。その熱さに思わず呻いてしまう。



「しーけー、これを使え」


 僕の眼前に何かが突き出された。

 それは作業用グローブ、生地が分厚くて耐熱加工されているようだ。



「ありがとう」

  

 クロエが差し出してくれたグローブを手に取る。

 おそらく、道具と一緒に用意されていたものだ。


 グローブに手を入れてみると、生地が思っていた以上に厚い。

 これなら炭の熱波に耐えられる。



 ――ダメだ、視野が狭くなってる。



 焦っていると思考が硬直してしまう。僕の悪い癖だ。

 それで人に迷惑を掛けたことはないとは思うが、摸擬戦においてはそれが敗因に繋がることがしばしばあった。

 

 グローブだって、用意されていることはわかっていた。

 コンロの火力が強過ぎたことのせいで頭からすっかり抜け落ちてしまったらしい。 


 ――切り替えていかないと……!



 遥か彼方の記憶、幼少期に1度だけやったバーベキューの光景を手繰り寄せる。

 あの時、父はどうやっていたか。炭の熱気を顔面に浴びながら思い浮かべた。


 空のコンロ、そこにパチパチと音を立てる炭を並べる。

 そして、片側だけに炭を追加するように置いていた――気がする。





 理屈で考えればいい。


 火加減の基本は強火と弱火、それを1つのコンロで再現する。

 どうしてすぐにわからなかったのだろう。単純なことなのに……!



 コンロの中の炭を減らし、金網を置き直す。

 再び、トリミングで除去したスジ肉を焼いてみる。



 ジジジと音を立てながら縮んでいくスジ肉、脂が滴り落ちて煙を上げる。

 だが、炎が吹き上がることは無い――




「よし、調理開始だ!」


 コンロの上に鉄鍋を置き、そこに挽肉を入れる。

 クロエにそれを炒めるように指示し、僕は別の小さな鍋に油を注ぐ。

 それも同じようにコンロの上に置き、野菜と一緒に切っておいたポテトを冷たい油の中に投入。ここまできたら普段の調理と同じだ。



 クロエが剝いてくれたエビ、最初から剝かれていた貝類、これに下処理を施すことにした。

 調味料と一緒にフルーツを手に取る。色鮮やかな柑橘類、あとはスパイスだ。


 ボウルの中のエビを取り出し、背ワタを取ろうとするとクロエが駆け寄ってきた。

 僕が手にしたアイスピックをテーブルの上に置くと、彼女は木ベラを手にしたまま口を開く。



「背ワタは取った」


「——ありがとう!」


 まさか、やろうとしていた工程を先にやってくれていたとは……

 クロエが仕事を覚えてくれていて助かった。

 おかげで手間が減って、作業もスムーズに進みそうだ。


 

 剥きエビの入ったボウルに食塩を多めに入れ、浸かるくらいの水を注ぐ。

 手でかき混ぜていけば、エビの臭みやぬめりが取れる。この下処理をするのとしないのとではかなり違う。

 最後に汚れとぬめりが出た塩水を捨て、エビの水気を取ればエビの下処理は終了。


 エビと貝類を再びボウルに戻し、柑橘類を適当にカットして果汁を絞ってボウルの中に落とす。そこに香辛料を足して、混ぜ合わせる。

 あとはこれを鉄串に打って、火を通せば「海鮮焼き」の完成だ。

 


 一度、作業を中断。クロエが作業している鉄鍋の中を確認。

 牛と豚の合挽肉は火が通り、クロエがずっと掻き混ぜるように炒めてくれたおかげで良い感じにバラバラになっていた。

 溶け出た脂で挽肉自身がフライしたかのように焼き色が付いている。


 そこにクロエがカットしてくれた野菜、開封しておいたトマトとミックスビーンズの缶詰の中身を鉄鍋に放り込んだ。

 再び、クロエに掻き混ぜてもらうように頼んでから作業に戻る。


 中断していた海鮮焼きの仕込みに取り掛かりつつ、コンロで火にかけていた2つ目の鉄鍋に確認した。

 冷たい状態から入れていた輪切りのポテト、それが気泡に包まれながら浮かび上がってきている。

 ステーキの付け合わせになるフライドポテト。まだまだ時間はかかりそうだ。



 果汁ソースで下味を付けたエビや貝類を鉄串に刺し終えた。

 用意されていた蛇口付きのタンクで手を洗い、自分のコンロの前に立つ。


 ずっと鉄鍋を掻き混ぜているクロエはすっかり汗だくになっていた。

 つい最近切り揃えた頭髪が額に張り付き、何度も汗を拭っていただろう半袖のシャツは色が変わって見えるほどに湿っている。


 

 それもそのはずだ。

 炭の熱気、それを帯びた鉄鍋は怖気付くほどに熱い。耐熱グローブ無しでは大火傷だろう。



 ――よし、やるか。


 油の中で泳いでるフライドポテトをすくい上げ、金網を置いたバットの上に広げる。

 慎重に油の入った鉄鍋を降ろし、空いたスペースに2枚のステーキ肉を置く。

 炭が放つ熱量は凄まじい。悲鳴のような音を立てて肉が焼かれ始めた。



 ――次は……!


 調理は全て同時進行だ。

 クロエの方で調理している鉄鍋は、もう全ての具材に火が通って汁気も減ってきていた。

 そうなると、もう仕上げの段階になる。


 調味料の中からケチャップ、ウスターソース、香辛料を取り出して鍋の中に加えていく。

 クロエが掻き混ぜてくれているから、手が止まらなくて済む。

 味見をしつつ、味や辛さを調整。

 それをしながら、ステーキ肉を調理用トングでひっくり返す。



 5度目の味見で、調整を終了。

 クロエと一緒に鍋を持って、コンロから降ろした。



 あとはだけだ。



「大皿とスープ皿を用意して!」


「わかった」


 クロエが手を洗いに行くのを横目に、用意していた海鮮串を準備。

 炭を減らして弱火にしているゾーンで焼いているステーキ肉を強火の方へ移し、弱火の方に肉と野菜を刺した串と海鮮串を並べていく。

 煙、熱、炭の匂い――そのどれもが僕の集中力を奪う。


 料理は火力、それこそ文明は火から生まれたというのを実感させられる。

 膨大で、わがままで、手に負えないような存在をコントロールして調理――バーベキューが料理の原点であるのは原始的だからではない、手に余るほどの火の力を自由自在に操ることがバーベキューの神髄だ。


 それを、今――体感している。

 スイッチを入れて、ノブを捻って、あるいはフライパンを宙に浮かせて……それは現代だからできる、つまりは誰にでもできることだ。

 炭、炎、風、それは自分の手で完全に制御できるものではない。


 ――だから、面白い!



 強火ゾーンで数回返し続けたステーキ肉は、見事な焼き色がついている。

 金網の模様、光沢、焼き縮んだことでできる張りと弾力、そのどれもが完全なビーフステーキに仕上がっていた。


 皿を手にしてクロエが戻ってきた。

 大皿を僕に突き出すようにして、待っている。



「——ごめん、まだなんだ」


「焼けているぞ」

「いや、これは表面だけだよ」



 ステーキの難しいところは見た目と中の火の通りが一致しないことだ。

 高温で焼けば、すぐに理想的な焼き色が付く。

 しかし、それでは肉の中心まで火が通ったかまではわからない。


 焼け具合は指定されてはいないが、肉質的にはレアよりもミディアムレアを目指した方が良いと感じた。



 海鮮串の方はもうすぐ焼き終わりそうだった。

 状態を確認しつつ、串焼きを回収。空いたスペースにステーキを移動。


 そして、コンロに専用の蓋を被せた。

 これで炭の熱をコンロの中に留め、肉を燻す。炭が使えるコンロだからこそできる芸当だ。

 香りの強い木材を炭と一緒に入れることで、食材に風味を与えるという調理法もある。煙で燻すことから「スモーク」と呼ばれているらしい。バーベキューコンロはそれ自体が様々な使い方ができる。



 クロエが用意してくれた大皿に盛り付けを開始。

 輪切りのフライドポテト、店で出しているようなくし切りウェッジカットのものとは違う。低温からフライしたおかげでガリガリザクザクだ。

 そこに串焼きを添える。さすがに皿からはみ出してしまうが、そこは見栄えのある盛り付けだということにしておこう。


 深みのあるスープ皿、そこにクロエが一生懸命作ってくれた「チリコンカン」を盛り付ける。

 地球の大陸、バーベキュー文化発祥の地の1つで郷土料理とされているものだ。

 

 肉と豆、野菜、それらを香辛料で刺激的に仕上げた一品。

 これは店で何度か作ったことがあったから、不安は無かった。

 



 ――あとは、ステーキだけだな。


 トレイを用意して、配膳の準備だけ整えておく。

 そうしている間に相手側―—セイラの調理が終わったようだった。



 ミッキーさんとヨナが座っている席に、その料理が運ばれる。

 その皿の上が見える所まで近づいて様子を窺った。


 大皿の上に盛られたのは、どうやら麺のようだ。

 野菜、肉が細かく刻まれて麺と一緒に炒めたものらしい。

 しかし、僕が知ってる麺とはどこか違うような気がした。


 別の皿には、こちらと同じく海鮮を刺した鉄串が並んでいる。

 僕らが作ったものとは様相が異なる。向こうはエビを殻付きで調理、他にも何かをぶつ切りにしたもの、貝殻ごと焼いた貝類……と種類も多かった。



「おっしゃ、いただきます!」

 

「いつもありがとうな、セイラ」


 海鮮に手を出す2人。

 その表情は喜々としていた。



「うおおぉッ!! このエビ、殻も食える!!! うめえ!」


「やっぱり、エビは殻ごと食った方が美味いな」

 モリモリと食べ進め、あっという間に皿の上にあった海鮮が無くなってしまった。

 あの食いっぷりを見ると、相当クオリティが高かったことがわかる。

 普段から口うるさいヨナが一言も発さずに完食してしまったのがその証拠だ。

 


「——次は、セイラお得意のだな」


 ミッキーさんの言葉に、僕はハッとした。

 あの皿の上に盛り付けられた麺はパスタではない。

 わずかに捻りが加えられ、立体感がある。パスタ麺はストレートで太い、どんなに工夫した盛り付けをしても潰れて平らにしまうはずだ。



 ――だとしたら、あれは……!



「うお、これ……柔らかい!」


「これだ、これ。美味いな」


 フォークに麺を巻き付け、口に運び続けるヨナとミッキーさん。

 美味しい、と口にしながら食べ進め、満足そうな表情をしている。


 あの黒焦げステーキを出すような腕でミッキーさんはともかく、ヨナを満足させられていることに驚きだ。

 

 それに、あの麺は間違いなくだ。

 市販どころか、商用にすら出回っていない。自作も試してみたが、材料や製法が独特で作っても麺としてはクオリティがとても低いものになってしまった。



 ふと、視線を感じて、それを辿るようにキッチンブースを見る。

 セイラはまだブースの中にいた。腕を組み、僕を見ていた。

 遠目からでも、その自信たっぷりの表情を浮かべているのがわかる。

 どうやら、勝利を確信しているらしい。


 勝敗、クオリティがどうあっても、僕はベストを尽くすだけだ。



 自分のブースに戻り、バーベキューコンロの蓋を取り去る。

 香ばしい匂いのする白い煙の下、表面で脂が弾けて踊っているビーフステーキがあった。

 調理用トングで押しつぶすようにして、弾力と感触を確認。その手応えは僕が求めているそれと同じだ。



 ――よし、焼けた!


 ステーキをトングで持ち上げ、用意していた皿の上に置く。

 これで配膳の準備は整った。



「よし、持っていくぞ」

「——待って!!」


 料理の乗ったトレイを持ち上げようとしたクロエを制止。


 用意された調味料の中から、ミル容器を手に取る。

 中身は粗塩とブラックペッパー、それをステーキの上に振りかけた。

 これで味付けは充分だろう。



「あとはいいな?」

「まだ、もうちょっと」


 気持ちが逸るクロエ。無表情そうな顔にもどかしさが感じているのがわかった。

 申し訳ないとは思うが、まだ出すべきではない。



 焼いた直後のステーキは、たしかに熱々で美味しい。

 しかし、本当に美味しいステーキはもうちょっと手間と時間を掛ける必要がある。



 ステーキの表面で踊るように弾けていた脂が落ち着き、静かに立ち上っていた湯気が消える。

 そっと手をかざして、表面温度を確認――——良さそうだ。

 



「運ぼう、クロエ」


「了解だ」


 クロエと共に料理を乗せたトレイを持つ。

 満足気な表情を浮かべたまま、話し合うミッキーさんとヨナ。そのテーブルの上に料理を置く。



「お待たせしました。ビーフステーキ、海鮮焼き、チリコンカンです」


 肝心の料理が来ても、2人は顔を見合わせて困ったような表情をする。

 ナイフとフォークになかなか手が伸びなかった。 

 


「ワリィとは思うんだけどさ、CK……」


「……セイラの作った料理で腹いっぱいになっちまったなぁ」





「いやいや、審査するってわかってるんだからそこはセーブしといてよ!」


 しばらく腹を空かせていたヨナに酷な話ではあるが、審査をするという責任ある立場である以上はそこはしっかりして欲しかった。


 たしかに調理時間込みで考えれば、ずっと空腹で待たされてから出された料理にがっつかないわけがない。この点ではヨナやミッキーさんを攻めるわけにはいかないだろう。


 

 

 ――なにやってんだ、僕は……




 よく考えれば、この勝負はタイミングに指定が無い。

 だから、先に出してしまえば審査員を満足させやすいという利点があるわけだ。


 そして、相手の料理人――セイラはそこを突くためにステーキを焼かなかった。

 食肉の中では、ビーフは芯まで火を通さなくても大丈夫ではあるが、肉を焼くというのは想像以上に時間が掛かってしまう。

 ならば、鉄板で麺や海鮮を焼いた方が圧倒的に調理時間が短くなる。



 つまり、肝心のビーフステーキに手を付けた方がになる勝負だったのだ。

 

 


「審査員が食えねぇってんじゃ、勝負は決まったもんだな」


 勝ち誇った笑みを浮かべながら、セイラが近づいてくる。

 腕を組み、勝敗は決したと言わんばかりの態度。


 思い返せば、この勝負は初めから色々と仕組まれていた。



 そもそも認可が必要なバーベキュー調理に関する知識を、誰もが知っているわけではない。

 だから、相手のコンロを超強火にしていたり、勝負の審査が公平にならないようにしていたり、食材に関しても珍しいものが多かった印象だ。


 セイラという女料理人の性根がどうあれ、この対決に悪意を持ち込んだのは疑いようもない。





「セイラ、そりゃあ都合の良い物言いってもんだろ」


 不敵に笑うのは、ミッキーさん。

 その手にはナイフとフォークが握られている。



「せっかく、汗水垂らして作ってくれたメシに手を付けんわけにはいかんだろ」


 ステーキにフォークを刺し、ナイフを入れる。

 切り分けた肉の断面を見て、口角が吊りあがっていた。


 そして、口に肉片を入れて咀嚼を始める。

 瞼を閉じ、味わうことに集中するような素振り。それからゆっくりと嚥下した。



 目を見開き、ミッキーさんが叫ぶように言った。


「——コイツは、今まで食ったステーキの中で2番目に美味いッっ!!」


 それから海鮮焼き、チリコンカンに手を付けていく。

 美味い美味いとむさぼるように食べる様子は、先ほど満腹だと言い訳していた男とは思えないほどだ。

 そして、遅れてヨナも僕の料理に手を付けた。


「すげえよッ! 肉汁が溢れ出てくるゼッ!!」


  

 2人の食べっぷりはとても味わっているようには見えない。

 だが、その表情は陽が落ちた中でも輝くような笑顔だった。


 勝負をしていることすら忘れていそうなほど、2人は料理に夢中になっている。

 それは、僕が料理を続ける理由の1つでもあった。


 この笑顔を、この体験を、僕はずっと続けていきたい。

 美味しい料理、それを食べられる体験、そうした場所と時間――僕が寝る間を惜しんで料理を研究しているのは、今の時代では多額のクレジットを積み上げたとしても巡り合うことができるわけじゃないということを知っているからだ。


 だからこそ、僕が目指しているものと相反しているように思えたセイラを許せなかったのかもしれない。



 

「——こんな素人がアタイより美味いステーキが焼けるわけがない!!」


 セイラがミッキーさんの手からナイフとフォークを取り上げる。

 そして、僕が焼いたビーフステーキを口にした。


 咀嚼するごとに、彼女のしかめっ面が崩れて驚愕の色へと変わっていく。

 肉を飲み込むと、目に溜まった涙が静かに零れ落ちる。




「——し、えろ……」


 涙目のセイラが肩を震わせながら迫ってくる。

 その様子は、とてもじゃないが友好的な態度とは思えない。




「——アタイに、焼き方を教えろ!!」


 胸倉を掴まれ、覗き込むようにセイラが睨んでくる。

 僕が拘束から解放されるには、彼女の無礼なに首を縦に振るしか方法がなかった。


 そして、僕はミッキーさんの店で一晩中ステーキを焼かされることになる。

 

 次から次へと注文されるビーフステーキと僕の料理に、店内もキッチンもお祭り騒ぎだった。



 最後の客が店を出たのは、人工太陽が昇り始めた頃。

 こうして、僕の夏季休暇でもっとも長い夜がおわったのだった。 

 

 

 

  


 

 

 

 







 

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