Act:02-12 スタイル・チェンジ 1

 休日の店内はいつも通り、客の喧騒に満ちている。

 カウンターも、ボックス席も、ほとんど埋まっている。客同士が雑談や料理の味を楽しみ、有意義な休日を過ごしている真っ最中だった。


 休日の店内は忙しい。

 店内も、キッチンも、飛び回るようなタスクが舞い込んでくる。

 しかし、わたしはボックス席に座らされていた。


 向かいの席にはカールの友人であるヨナとレティシアが座っている。

 2人は鳥が餌を啄むように、コーラが入ったグラスをちまちまと飲んでいた。


 さっき聞いたばかりだが、どうやらカールが新作の料理を試食してもらいたいと頼み込んでいたらしい。

 偶然にも、同じ日にシフトだったわたしも共に試食に参加するようにカールから指示された。


 そして、その料理を2人と共に待っていたのだった。




「——そういえば、クロエさん。髪伸びましたよね、元々伸ばしてたんですか?」

 唐突に、レティシアが口を開く。


 そう言われてみれば、頭髪は肩に掛かるくらいに伸びている。

 普段は上官や年上のジュリエット・ナンバーの隊員が勝手に頭髪を切っていたから、気にも留めていなかった。

 切り落とした頭髪の処理もあるため、自分で切ってはいけないのだ。

 


 わたしたちジュリエット・ナンバーには軍服を与えられていない。

 だから、身だしなみというものを整えることをしてこなかった。

 

 今では多少は気にするようにしてはいるが、髪の長さまでは考えてはいなかった。



「……いや、特に気にしてなかった」


 どのように回答すればわからない。

 だから、あえて自然に答えることにする。



「あのな、長旅してたらオンナでも髪弄ったりする余裕なんかねーだろって」

「アンタには聞いてない」


「なんだと?!」

「なによ!?」


 2人が肘打ちで互いに攻撃を交わすのを見ていると、キッチンからカールが出てきたのが見えた。


 トレイの上には、細長いパンが皿に乗って人数分用意されている。

 そして、わたしたちが座るボックス席までやってきた。



「おまたせ、ホットドッグだよ」


 それぞれに配膳される。

 細長いパンに切り込みを入れて、保存加工された肉―—ソーセージ、もしくはウィンナーと呼ばれるものが収まっていた。

 赤いソース……刻んだオニオンらしき物体が含まれたものがかけられている。

 

「おお、これが例の——!」


「へぇ、意外とシンプルなのね」


 出されたものに関心を示す2人。

 だが、わたしはそれが何かはわからない。



「これは?」


 素直に疑問をぶつける。

 すると、3人の表情が固まっていた。


 ――まさか、一般人は誰でも知っている料理だったか!?


 しかし、他の飲食店や施設、自動販売機はもちろん。糧食の類でも見たことは無い。



「——ほ、ほら、クロエさんって金持ちセレブだったらしいじゃん? 古い映画とかアニメとか、そういうのとは無縁なのかも……」

「—―そうよね、なんでもかんでもあたしたちと一緒にしちゃマズイよね!」


 急に納得したような態度を取るヨナとレティシア、一方カールは気にしていないようだった。


 気を取り直して、わたしは目の前の『ホットドッグ』と呼ばれていたパンを手に取ってみる。

 パンの部分はふんわりとしていて、バゲットよりはトースト用のスライスパンに近いように感じた。


 思い切って、齧り付いてみる。

 グリルされたソーセージの外側は強い弾力があった。歯を立てると弾けるように割れ、中から熱い液体が溢れてくる。

 濃厚な『美味しい』と塩味、刻まれたオニオン入りのソース—―ケチャップらしきものが持つ『甘い』に近いような味、刻んだオニオンがそこに混ざり合って複雑な『美味しい』があった。


 『美味しい』の組み合わせは多種多様だが、これもまた面白い『美味しい』だ。

 それをパンのふんわりとした触感と『美味しい』が包み込み、一体化したような味わいとなる。


 ――これは、……!


 一口、二口、勢いのまま食べ進めてしまう。

 3人からの視線を感じ、半分だけ残ったホットドッグと呼ばれたパンを皿の上に置いた。


 ソーセージとソースの『美味しい』を咀嚼しつつ、姿勢を正す。

 すると、ヨナがホットドッグに齧り付く。

 モゴモゴと咀嚼しながら、言葉にならない感激を漏らしていた。


 同じくレティシアもホットドッグの『美味しい』に驚いているようだ。

 わたしやカールの視線に気付いて、ハッとしたような表情をする。


「ま、まあまあね。ハンバーガーには敵わないけど」


「何言ってんだ、地球じゃハンバーガーと肩を並べるフィンガーフードだぜ?」

 そう言って、ガツガツと食べ進めるヨナ。

 一方、レティシアは手を止めて、複雑そうな表情をしていた。



「2人とも、そんなにがっついていいのかな? 何か忘れてない?」


 ククク、と不敵に笑うカール。

 そして、手にしていた容器をテーブルの上に置いた。


 料理と一緒に出す時に用いる調味料ケース、チューブのようなそれには黄色の液体が充填されていた。

 透明度は全く無い。ケチャップのような、濃厚なソースなのだろうか?



「――ダンナぁ、何か忘れてはいませんかねぇ?」

 普段とは違う声色、別人のマネをするかのようにカールが続けて話す。


 その仕草に、2人は何かに気付いたようだった。

 ヨナが咳払いをしてから、カールに続けてを始める。




「ドッグにマスタードがかかってないじゃないか、これじゃホットドッグではなく。コールドドッグになっちまう」


 そう言って、ヨナは黄色の液体が入った容器を手にして、食べかけのホットドッグにかけた。

 線状にホットドッグにかけられたそれは粘度が非常に高いためか、そのまま線のようにソースが形状を保っている。


 勢い良く、ヨナは再びホットドッグに齧り付く――


 すると、驚いたように目を見開いた。

 先ほどよりも騒々しい感激の声をまき散らし、ホットドッグを食べ終える。





「――やっべぇよ、これがマジのマスタードか!! 全然、印象変わるぜ、オイ!!!」


 どうやら、黄色の液体はマスタードと言うらしい。

 わたしも試してみようと手を伸ばした瞬間、先にレティシアに撮られてしまった。


 同じようにマスタードの線をホットドッグの上に描き、大口を開けてそれを一気に食べ進める。

 腕を組み、平静を装っているが『美味しい』で動揺しているのが傍目からでもわかる。



「……まぁ、これをハンバーガーに使ったら、もっと美味しくなるかもね」


「そうはならんだろ――」


 隣でヨナが肩を竦める。

 カールが苦笑する。


 そして、レティシアが手放したマスタードが入った容器を、わたしはようやく手にした。


 やはり、ケチャップのような濃度と粘度を持つソースのようだ。

 それを自分のホットドッグにかける。


 ――2人をあれだけ驚かせたんだ。かなり『美味しい』が強いに違いない。


 「美味しい」は多ければ、多いほどよりすごい『美味しい』になるに決まっている。


 わたしは半分しか残っていないホットドッグにかけられるだけマスタードをかけた。


 ――これなら、すごい『美味しい』だ!



 それを口にしようとした矢先、カールがわたしの方を見て驚いたような顔をしていた。 

 制止するかのように手を伸ばしている。



「――クロエ、かけ過ぎ!!」

 彼の言葉が耳に届く頃には、もうそれを口にしていた。


 口の中で何かが弾ける――いや、それは正しくない。

 カレーの時のような刺激、口内を刺すようなそれは、まさしく『辛い』だ。

 しかし、それだけではない。強烈な匂いと『辛い』とは全く異なる刺激が口内と鼻を突き抜けるような速度で浸食してきた。


 思わず、咳き込みそうになったので手元のコーラで一気に流し込む。

 カレーの時とは感じられなかった刺激に、わたしは唖然とした。



 ――なんだ、これはっ!?


 

「すっぱいだろ? なるべく抑えたんだけど、それでもたっぷりかけて使うものじゃないんだけどね」


 『辛い』とは違う刺激のことを言っているのだろう。

 あの強い刺激には、口内や頬の筋肉が収縮、または緊張するような感じがした。

 だが、それだけではない。


 マスタードには独特の匂いがあった。

 それがまだ鼻の奥に残っているような気がする……

 

 

「でもよ、これって輸入のマスタードソースじゃねェよナ? あれって、もっと薄かった気が……」


「さすがヨナ、よく気付いたね」

「――えっ? マスタードって輸入品なの?」


 どうやら、このマスタードというものはE2サイトでは生産していないらしい。

 しかし、とてもじゃないがこんなものが料理に『美味しい』を与えるとは思えない。

 きっと、何かの間違いだ――



「流通しているマスタード粉末だと水っぽくなるし、味も薄いんだ。だから別ルートのマスタードを取り寄せてみたんだけど、今度は辛みが無くてね……」


「――はーん、わかったぞ。調味料用のマスタードじゃなくて、加工品を使ったわけだな?」



「そういうこと、一般向けの製品じゃなくて。商用ルートに流れてる方、モールのストア99で頼み込んで仕入れたのさ」


 そう言われてみれば、この間の買い出しの際に肉の区画で色々とやりとりがあった。担当者の老人と長々と話をしていたと思ってたら、このためだったらしい。



「惣菜のマスタードチキン、うめーもんな。たしかにアレは正解だ」


「あれは僕が作ったのとかなり違うんだ。こっちは酢を多くしたり、ホットソースを混ぜたりしてるんだ。ほぼホットドッグ専用みたいな味になっちゃったけどね」



「酸味と辛みでパンチを強めたわけか、おまけにマスタードの香りにアクセントが付いて良い感じだよな」


「ベースのマスタードペーストが香りと風味を付けるためだけのものだから、調味料としての役割を意識したんだ。ちょっと癖があるけど、パンに合わせるならこの方がいいと思ってさ」

「すげェよ。お前は天才だゼ、CKェ!!」 





「――盛り上がってるところ、悪いんだけど……」



 ヨナとカールがマスタードで語り合う中、遮るようにレティシアが手を上げる。

 2人は会話を中断し、レティシアを見る。



 間を置くように、少々の沈黙。

 レティシアが改めて、言葉を放つ。



「ハンバーガーとコーク、それと――」


 いつも通りの注文、いつも通りの流れ。

 だが、それだけではなかった。



「――そろそろ、クロエさんに服とか買ってあげたら?」


 わたしを指差すクロエ。困ったような顔をするカール、唖然とするヨナ。

 店の奥、キッチンで洗い物をしていたモニカの動きが止まった。


 騒がしかった店内が、突然静寂に包まれる。

 まるで、レティシアの言葉が周囲の人間に影響した――かのように見えた。




「うーん、それは僕も考えてたんだけど」


「カールの場合、考えてたでしょ。それを実行しなければ何もしないのと同じ」

「おいおい、そこまで責めてやるなって――」

「――アンタは黙りなさい」

「お、おう……」



 どうやら、わたしの服装についてレティシアが苦言を呈しているようだ。

 しかし、衣服を新調する理由は無い。

 それに資金的余裕も存在しない……



「いや、わたしは大丈夫だ」


「大丈夫じゃないです!」


 前のめりになるレティシア、わたしの服装のどこが問題なのだろうか。

 毎日洗濯しているし、汚れやほつれも見当たらない。

 サイズが多少あってないくらいしか、わたしにとっては問題に感じないのだが――




「良い素材をこのままにしちゃうの、もったいないです!」

「――素材?」


 わたしの手を取り、立ち上がるレティシア。

 その勢いに、わたしはどうすることもできない。



「あたしに任せてください、クロエさんを可愛くしてみせます! ちょっとカッコ良さも入れますけど、でも今よりもっと輝かせてみせますからっ!」


 彼女の瞳が光り輝いているように見えた。

 なんだか、これは……嫌な展開のような気がする。



「いや、輝く必要は無い」


「ダメですよー、女の子は可愛くなくちゃ。それに男物の服をずっと着てるのも良くないですからね」


 ふと、視線がカールの方を向く。

 それは明らかに、彼を責める眼だった。



「ははは……ルカがあんまり服持ってなかったし、サイズも合わなくてさ」


「だからって、自分の古着を押し付けることは無いでしょ」

「――すみませんでしたァッ!!」


 深々と頭を下げるカール。

 それを見て満足したのか、レティシアはわたしに向き直った。



「あたしに、全部任せてください!」

 自信満々に言い放つレティシア。

 

 おそらく、誰も彼女を止めることはしない。

 そして、わたしはされるがままになってしまうのだろうか……?



「じゃあ、今から行きましょう」



「――い、いや、わたしとカールには仕事が……」


 視線をキッチンにいるモニカに向ける。

 すると、相変わらずの無愛想な表情のままで親指を立てる仕草をしていた。




「店を1人にするわけにいかないはずだ。そうだろう、しーけー?」


 なんだかよくわからないが、このままレティシアの思い通りにさせてはならない気がする。

 しかし、カールは表情を曇らせたまま返事をしない。



 その時、出入り口のドアベルの音が鳴り響いた。

 それは来客を告げるもの――つまり、仕事に逃げられる。


 



 ――はず、なのだが……





「ただいまー、あれ? クロエさんとアニキ、どしたの?」


 入ってきたのは、カールの妹のルカ。

 それが意味することは……



「ルカちゃん、良かったちょうどいいところに」


「レティ姉さん、どうしたんです?」


 掴んだままの手を引っ張り上げるようにして、わたしを立たせる。


「ちょっと、クロエさんとカールを借りていってもいい?」


「あー、例の件ですか。いいですよ、今から仕事しようと思ってたんで」


 ルカに向けていた笑みを、わたしに見せる。

 そして、わたしの手をがっちりと両手で保持した。



「これで大丈夫ですよ、クロエさん?」




「い、いや……あの、そうだ。さっきの注文はどうした?! あれを提供するまでは店を出られない――」

「――あれはテイクアウト用なので、戻ってきたら受け取ります……出来るよね? カール?」






























「ウン、デキルヨー」



 凄まじい棒読みだった。誰が聞いても、レティシアに言わされているのがわかるだろう。


 

「じゃあ、行きますよ」


 彼女に手を引かれて、わたしは店から連れ出される。

 これからどうなってしまうのか。何をされてしまうのか。何一つとしてわからない。


 殺される――ことは無いかもしれないが、それでも何か恐ろしいことが起きる予感があった。







「だれか、だれかっ!!」



「観念してください。女の子は可愛くあるべきなんですよ」

 レティシアがニヤリと笑う。

 その笑みには、悪意しか感じない。



「じゃあ、オレはハンバーガーを……」


「アンタは運転手!! 4人乗れる車はアンタのだけでしょうが!!」

「――いやだぁッ! 女の買い物なんかに付き合いたかァねェッッッ!!」





「さすがに諦めようよ、ヨナ」




 わたしはレティシアに、ヨナはカールに、引き摺られるようにして車に乗せられる。

 逃げ出すこともできずに、車はシティの中心部へと向かっていくのだった。 

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