Act:02-10 フィールド・レーション
流れていく景色は、普段見ているものとは大きく異なる。
地球の歴史、文化、日常とは無縁の工業的な景観。わたしにとっては見慣れたものだ。
市内を走り回るバスに乗り込んで、郊外の工業地帯に向かっていた。
レンタル車両やタクシーを使いたかったが、痕跡を残さないようにするために避けていた。政府が運営する公共交通機関でも『セントラルシティ・バス』はセキュリティが甘いのもあって、よく利用している。
特に古い車両は現金でしか清算できない上に、監視カメラも付いていない。
―—わたしのように、素性を知られたくない人間にはありがたいことだ。
目的地に到着したため、席を立ちあがりつつ紙幣を取り出す。
それを搭乗時に受け取ったチケットと共に精算機の中に放り込んだ。
車内から運転手の姿が見えないというのも、トラブルを回避するのに適しているのだろう。
それもまた、わたしにとって有益に思えた。
午前中はレストランで仕事していたため、時刻は午後を過ぎてしまった。
いつも通り、微妙な隙間を開けたままのゲートを通り抜け、わたしたちの拠点である『ライフキーパー社』の工場へ足を踏み入れる。
だが、いつもと様相が違う。
物音1つ聞こえず、誰も作業していない。
何かトラブルでも起きたのかと周囲を観察するが、特に問題は無さそうだった。
道具や工具はきちんと片付けられ、機械設備の電源も落ちている。
血痕や空薬莢も見当たらない。攻撃を受けたということはありえないだろう。
念のために武器庫として使っている倉庫に行ってみることにする。
金属製の扉を開けると、そこに数人が座り込んでいた。
よく見ると、見知った顔だ。
どうやら、ホワイト・セイバー隊のジュリエット・ナンバーがあつまっていたらしい。
「どうしたの、ジュリエット07」
「工場に誰もいないのかと思って……」
奥行きのある倉庫の一室。自動小銃や弾薬箱が立て掛けられ、消耗品を含めた様々な装備が入った
そして、隊員達はそこでパッケージされた
開けっ放しの箱を確認すると、隊員達が食べている糧食が入っていた。
携行型パッケージのEレーション。1食分の内容をプレート容器に封入したものだ。
内容物はゲル化した人工タンパクや食物繊維と合成デンプン。味も食感も無く、薬臭いだけのものだ。
しかし、わたしたちジュリエット・ナンバーにはそれしか与えられない。
「どうして、それを……?」
わたしの問いに答える者はいない。
倉庫の片隅に座り込み、付属しているプラスチックスプーンでEレーションの中身を口に運んでいる。
そんな仲間達の姿に、何故か違和感があった。
いや、これが当たり前だ。
これまでは上官達の管理下、ダミー会社の敷地の中しかわからなかった。
『――コロニーは地球からあらゆる物資を奪っている』
だからこそ、地球軍は困窮している。
だから、わたしたちは苦しんでいる。
だから、上官たちは貨幣でコロニー内の飲食物を手に入れている。
それならば、我々ジュリエット・ナンバーも同じように糧食以外の食料を得ても問題無いのではないだろか――――実際に、わたしがそのようにしている。
だから、そうした行為に問題は無いはずだ。
それに、このコロニーはとても楽しい。
多種多様な、たくさんの『美味しい』がある。部隊のみんなにそれを広めたい。
物資が不足しているなら、現地調達は必須だ。
だから、問題は無いだろう。
――わたしは、間違っていないはず。
わたしは倉庫を出て、オフィスに向かった。
扉を開けると、想像した通りにコロニー内で購入したと思われる飲食物を広げている上官たちの姿があった。
フォークが入ったままのプラスチックカップから、良い匂いが漂っている。
わたしが入ってきたのを見た上官が、怪訝な顔をした。
「どうした、遅かったじゃねぇか」
隊長がそう言いながら、プラスチックカップの中からフォークでヌードルをすくい上げる。それを音を立ててすすり、満足そうな表情を浮かべる。
上官たちが食べているのは、プラスチックのカップにスープヌードルが入った保存食だった。
フリーズドライ加工されたもので、お湯を注ぐだけで細長い食べ物――ヌードルが食べられるというものだ。
わたしも試しに食べてみたが、想像を絶する『美味しい』だった。
濃厚なスープの『美味しい』が絡んだヌードル……その味を思い出すだけで、口内が唾液でいっぱいになる。
――今はそれどころではない……
わたしは敬礼をしてから、口を開く。
「――隊長、進言します」
「いいだろう、話せ」
姿勢を正してから、わたしは上官たちに告げる。
「ジュリエット・ナンバーの隊員にも、現地調達した食料を分配すべきだと考えます」
わたしの言葉に、上官たちは明らかに嫌悪感を示すような表情をした。
ジュリエット・ナンバーは人間として扱われていない。
だが、糧食や飲料水はきちんと支給される。わたしたちは戦力の中核だからだ。
モビル・フレームの操縦、戦闘に最適化されたパイロット――それがジュリエット・ナンバーだ。そのことにわたしたちは誇りすら持っている。
しかし、今わたしが話すことはそれとは関係無い。
「糧食には限りがあります。現地調達した食料から優先して消費した方が、物資を節約することができるのではないかと」
隊長が鼻で笑う。
「――たしかに、お利口な理屈で考えればそうだな」
「それなら――」
突然、隊長は近くにあったダンボール箱を蹴り飛ばした。
中に入っていた軽食用スナックバーが床に散乱する。これも軍の支給品だ。
味も匂いもしない、人工タンパクと合成デンプンの粉末をブロック状に成形した携行食である。
「……戦場では、常に正解が正しいとは限らない」
そう言いながら、隊長は手にしているプラスチックカップを見せ付けるように掲げた。
「オレ達は危険を冒して、潜入任務をやってる。それは任務を与えられたとか、使命とかそんなもののためにやってんじゃねェ」
隊長を含めた『ホワイト・セイバー隊』の人員は素行が良いとは言えない。
だから、上官たちに軍への忠誠心があるとは思っていなかった。
そんな人間が、わざわざ危険な任務に就く理由。
それは考えるまでもない。
わたし自身も、薄々気付いていた。
その実感が最近まで無かっただけだ。
「艦隊に居たって、ろくなメシも無い。シガーも吸えない。狭苦しいし、娯楽も無え、女はガキしかいねェ――」
上官たちが同意するように頷く。
「だからよ、危険を冒すからこそ……相応の対価を頂くってのがオレ達のやり方だ」
「対価……」
潜入任務、コロニー内での活動。
現地調達によって得られる食料、軍の規則や罰則が存在しない環境――
――それが隊長たちが求めるものだというのか……?
「オレ達は自分で判断し、リスクを背負っている。……だがな、
「――それは……」
そんなことは無い――そう、言おうと思っていた。
だが、隊長の言うことは間違っていない。
わたしたちは命令されることが当然で、指示や命令が出るのを待っている。
そう訓練されているし、自分たちはそれが正しい姿だと信じていた。
しかし、それは隊長たちがわたしたちの分まで意思決定しているということだ。
「その点、お前はすごいじゃないか。自分で判断して、リスクまで背負っている」
「――――わたし、は……」
わたしは死にたくなかった。
その場で下せる判断を下したに過ぎない。
上官と連携できない状況だったからこそ、自分で考えるしかなかった。
それはわたしでなくても、そうするしかなかったはずだ。
「それに、お前もオレ達と同じだよ」
隊長がわたしにフォークを突きつけるように向ける。
――違う、そんなはずはない。
上官たちの言動に、少なからず不平等を感じていたのは事実だ。
わたしたちジュリエット・ナンバーは支給品しか手を付けられず、上官だけが現地食料や嗜好品を手にすることができる。
人為的に産み出された存在。つまり、人間以下――
それでも、戦隊を指揮する提督は違う。
ジュリエット・ナンバーの隊員を使い捨てるようなことはしなかった。
だから、地球連合軍全員が同じというわけではないはずだ。
上官には、理由が必要なのだろう。
自分たちが精神的優位を保ち、自分より戦える存在を部下として使うには……そういった見下すことが正当化される理屈があった方がいいということだ。
わたしは、誰も見下してなどいない。
――ただ……みんなにも『美味しい』を知って欲しいだけなのに。
「危険を冒す対価として、クロエとかいう女の権利を行使しているじゃねえか。給料もらって、メシ食って、公営アパートで贅沢に暮らして…………それはお前がリスクを承知で選択して得た対価なんだよ」
「これは偽装で――」
隊長がフォークをプラスチックカップに戻し、床に散らばったスナックを手に取った。
それを握ったままの拳を、わたしの眼前に伸ばす。
「――これを食ってみろ。吐かずに、美味そうに、満面の笑みでなァ!」
開封せずとも、その味や歯ごたえを思い出せる。
ぼそぼそ、ぼろぼろ、飲料水無くしては呑み込めないような乾燥したブロック。
それを隊長は開封し、わたしの口元へと運ぶ。
真っ白なブロックがわたしの唇に触れる。
口を閉じていたため、固い感触が前歯まで伝わってきた。
わたしはそれを、受け入れられない。
「ほらみろ、お前は――オレたちと一緒だ。もうクソみたいにマズい糧食なんか口にできねェだろ?」
上官たちが笑う。
その嘲笑に、わたしは心底うんざりした。
たしかに『美味しい』を求めてきた。
それは自分のためではない。仲間たちに伝えるためだ。
わたしも楽しんでいたのは間違いない。
だが、自己満足で完結しようとしていたわけじゃない……!
上官たちの笑い声を聞きながら、わたしはオフィスを出た。
ちょうど食事休憩を終えて出てきた仲間達を手伝うべく、みんなの元へと駆け寄る。
嫌なことは作業没頭することで忘れよう。
だが、上官たちの嘲笑が耳から離れることはなかった。
機械整備、装備や弾薬の点検。雑務を終えてからわたしは帰宅することにした。
バスを乗り継ぎ、レストラン「フェー・ルトリカ」のすぐ隣にある
エレベーターに乗り、
間もなくして、部屋のある階層に着く。スライドドアが開き、延々とドアが並ぶ廊下が現れる。
エレベーターから降りて、廊下を歩いていると奥から人の気配がする。
足早に自分の部屋へと向かったものの、人影が現れる前に部屋に滑り込むことはできなかった。
「あっ、クロエさん」
その声色は聞き覚えがあった。
人影の方を見ると、いつもレストランに来る常連客――しかも、カールの友人だった。
名前はたしか――
「――レティシア・イー……さん」
「呼び捨てでいいですよ?」
「了解だ」
レティシアに一礼して、自分の部屋のドアノブに手を掛けた。
そのまま部屋に逃げ込みたかったが、彼女からの視線を感じる。
「――クロエさん、どこに行ってたんですか?」
彼女の言葉、疑問がわたしの足を止めた。
振り向くと、レティシアがこちらをじろじろと見ている。その眼の動きは明らかにわたしを探っていた。
「……街の郊外だ」
「郊外、そこに何の用です?」
――声色が変わった?
普段の彼女とは、まるで別人だ。
目の前にいる女はレティシア・イーとは違う。もっと別の存在のように思えた。
「……ただ、興味があっただけだ」
迂闊なことは言えない。
郊外と言っても、それだけでは場所を特定できないはずだ。
わたしが郊外の工場で破壊工作の準備を手伝っていたと、少しも悟らせてはならない。
「——どうして、油汚れが?」
レティシアの手が伸びてきて、わたしの頭に触れた。
今のわたしに武器は無い。護身用として与えられた拳銃は隠し持てるような大きさではなかった。部屋にケースごと隠してある。
何事も無かったように、彼女の手が離れる。
そして、細くて白い指が黒く汚れていた。
機械整備の時に、煤や機械油が付着したのだろう。作業に没頭していて、全く気が付かなかった。
だが、それくらいで何をしていたかまではわからないはずだ。
「知らない。バスに乗ったから、整備士の作業着に触れたのかもしれない」
「――バスに乗ったんですね」
――しまった。情報を与えてしまった。
レティシアがもっと距離を詰めてくる。
わたしは後退るが、自分の部屋のドアに背中がぶつかってしまう。
バッグの中に手を入れるレティシア。
その中から、おそらく武器が出てくるに違いない。
――どうする?! 反撃すべきか!?
やらなければ、やられる。
相手が何者であっても、自分が死んだらそこで終わりだ。
そして、彼女はバッグから手を抜いた。
その手に握られているのは――――
「ダメですよ、機械油って頭髪に良くないですからね」
柔らかい布でわたしの頭を……拭いている。
「大丈夫だ、すぐにシャワーを浴びる」
「あっ、すみませんでした――」
わたしは「失礼する」と断りを入れて、部屋に飛び込んだ。
廊下にいるレティシアは何事も無かったように歩き出し、そのままエレベーターに乗ったようだ。
――もう大丈夫だな。
わたしは来ていた衣類を脱ぎ、部屋の床に放った。
レティシアが指摘した通り、あちこちに油と煤の汚れがある。
コーサカ家の古着を譲り受けたものだが、特に大切にしようとも思っていない。多少汚れるくらいなら……と考えていたが、何かの痕跡が刻まれていたら警戒されてしまうらしい。
想像以上に、自分の行動の痕跡を消せていなかった。
わたしはまだまだ詰めが甘いらしい。特定の何者かに成り済ます訓練など受けてないから、当たり前なのだが……
――今日は、とても疲れた。
そのまま、シャワールームへ向かう。
下着を脱ぎ捨て、蛇口を回す。湯気と一緒に心地よい温度のシャワーが降り注いできた。
ふと、隊長の言葉が脳裏に蘇る。
『――お前もオレ達と同じだ』
――違う。
わたしは、自分のために〈クロエ〉になったわけじゃない。
そうしなければ、任務は失敗していた可能性があったからだ。
『――危険を冒すからこそ……相応の対価を頂くってのがオレ達のやり方だ』
わたしは、〈クロエ〉として振る舞う必要があるから――コロニーの住人のように働き、住人のように食事を取っているだけだ。
それを対価として臨んだわけではない。
「……わたしは、何をしているんだ?」
時々、自分がわからなくなる。
わたしは戦うために、生きている。
否、生かされている。
任務のため、地球のため、軍のため、上官のため――
だけど、わたし以外は『何か』のために戦っているように思えない。
確かめたことは無いが、自分以外のために戦っているのは自分だけのような気がする。
それでも、わたしは司令官であるイークス提督の言葉を信じて戦ってきた。
――なんだか、馬鹿馬鹿しくなってきた。
コロニーを制圧するために、わたしはここにいる。
それなのに、ここでの暮らしがずっと続いていくような気がしていた。
願えばずっと、明日も明後日も……飽きるほど毎日が繰り返される――――
わたしたちは、コロニーの住人たちの生活を脅かすために来た。
それを、忘れたわけではない。
それなのに――――
わたしは、その実感を見失いかけていた。
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