Act:02-6 ヴァリアブル・エッグ
慌ただしい朝の仕込みが一段落。
今日は大規模演習が明けての日曜日、たくさんの人が演習で休日を消費し、その分を大いに楽しもうとする1日になるはずだ。
だから、今日は妹のルカもシフトに入っていた。
彼女も友達と遊びに行きたいところだろうが、こういった日は『カレーの日』に匹敵するほど混雑する。
クロエも仕事を覚えてきて、キッチンでの補助や簡単な調理もできるようになってきた。
そのおかげで、僕らの負担も減っているように感じる。
ルカも、母も、彼女を信用して仕事を任せてくれているようだ。
「フライドチキンの仕込みが終わった」
「ありがとう!」
毎日やっている仕込み作業も、頼めば1人で出来るほど仕事を覚えてくれた。
まだ生肉に抵抗感があるみたいだが、業務に支障があるわけではないようだ。
さすがに調理全般は任せられないが、この調子なら簡単な調理も任せられるようになるかもしれない。
つい先日はフライをやった。まだ監督しなければいけないけど、クロエは覚えるのが早いから心配する必要は無さそうだ。
調理作業を観察していることが多いから、数回説明するだけで覚えてくれるだろう。
「アニキ―、そろそろ朝飯にした方がいいかもよ~」
「わかった!」
ルカが食器を手にしたままキッチンに戻ってくる。
ついさっき、店内で朝食を取ってもらっていた。
今度は僕とクロエが食事をする番だ。
――さて、今日は何にしようかな。
僕がいない時のことは知らないが、クロエは毎回「フライドチキン」とサラダやパンを食べていた。
おそらく、ホットスナックだからすぐに準備できるということが理由なのだろうが、そろそろ他のメニューにしてあげてもいいかもしれない。
ふと、クロエの様子を見ると、丁寧に手を洗っている。
おそらく、ルカに声を掛けられたのだろう。
僕も手を洗ってから、クロエに話し掛けた。
「今日の朝飯はどうする? たまには別の物にしてみない?」
クロエが俯いて、沈黙する。
彼女が考え事をする時は俯く癖があるようだ。
「わかった。別の物にする」
そう言うと、クロエはキッチンを出て行く。
そして、店内からメニュー表を手に戻って来た。
「これを食べてみたい」
メニュー表を広げ、指差したのはモーニングメニューの「Aセット」だった。
内容は、オムレツとサラダにトースト。オプションでコーヒーとポタージュかスープを選べるセット。
キッチンに僕がいる時に注文されることの多いモーニングセットだ。
理由は単純。僕が調理する時は粉末卵ではなく、ちゃんとした鶏卵を使うからである。
「わかった。作ってる間は店内で待っててね」
「見てみたいのだが、ダメだろうか?」
「いいけど……いつもと同じだよ?」
「普段は作業をしていたから、しっかりとは見学できていない」
――そう言われてみると、そうだよなぁ……
基本的に朝は忙しい。
クロエも仕事を覚えてきた分、割り当てられた作業も増えている。
いつも見ていると思っていても、本人からするとそうでもないのかもしれない。
「よし、じゃあ作りますか!」
彼女の要望通り、モーニングのAセットの準備を始めることにした。
「ここで見ていても、大丈夫か?」
「もちろん、大丈夫だよ!」
貯蔵庫から必要な材料を取りに行き、ルカにトーストとサラダを準備するように頼んだ。
キッチンに戻り、ボウルと
必要な調味料を取り出し、準備は完了した。
「しーけー、オムレツとは何だ」
卵を割り入れようとした矢先、クロエの疑問が飛んできた。
調理を見ていても、ある程度の知識が無いとわからないこともある。
以前、他のコロニーから来た男性客が鶏卵を割り入れる様子を見て、驚いたことがあった。
『卵は食べものじゃない!』
大声で怒鳴った客はそのまま店を出て行ってしまった。
事実、加工食品しか見ることができない人々もたくさんいる。それもこれも、きっと戦争のせいだ。
輸送船の航路が寸断され、生産体制を崩され、地球を含めた多くの居住地では科学的に作られた『人工タンパク』が主流だと聞いたことがある。
「持続可能な消費サイクルのために」と、動物性タンパクの摂取を禁じたというコロニーもあるらしい。
だから、鳥の卵――生命そのものを調理することを
だが、これは遙か昔から行われてきた営みとも言える。
それに乾燥卵よりもちゃんとした鶏卵の方が、圧倒的に美味しいのは事実だ。
「卵料理だよ」
「たまご?」
僕は手にしていた鶏卵をクロエに手渡した。
彼女はその重さや質感を確かめるように眺めている。
「これは……壊れやすいから、丁重に扱うようにモニカから注意を受けている」
「そうだね、割れやすいし。ちょっと高いからね」
高いとは言ったものの、粉末卵が圧倒的に安いというだけで新鮮な鶏卵を手に入れるのは難しくない。スーパーで簡単に購入できるくらいだ。
ヒルサイドの契約農家しか鶏卵を生産できないから、価格としては高めなのは仕方無いことだと思う。
ボウルに卵を3個ほど割り入れ、そこに牛乳を少し入れる。
それをかき混ぜるためにウィスクを手に取ると、クロエが僕の手を掴んで作業を止めた。
「しーけー、たまごというのは一体何だ?」
彼女に卵を割ってもらったり、掻き混ぜてもらったりしたことはあるが、これまで気にしていた様子は無かった。
作業も覚えてきて、色んなことに興味を持てるようになったということなのだろう。
「これはね、鶏の卵だよ」
「にわとり、たまご……」
いつもと変わらず無表情だが、疑問を抱いているのはなんとなくわかった。
「クロエはいつも鶏肉触ってるよね? あれは『鶏』っていう鳥類の家畜の肉なんだよ」
「なるほど。では、たまごは?」
「鶏の……子供? いや、赤ちゃんかな」
「――とりにく……の、幼体……?」
クロエの言っていることは間違ってはいないが、単語の響き的には違うような気がしないでもない。
「……じゃあ、作るよ?」
「ああ、了解だ」
ウィスクでボウルの中身を素早く掻き混ぜる。
なるべく滑らかになるように、空気を含ませるように細かくウィスクを動かす。
白身と黄身が混ざり合い、やがて透明な白身が目立たなくなった。
卵液に塩をひとつまみ入れてから、フライパンの準備に移る。
「わたしも何か手伝う」
「大丈夫だよ、これは少し時間を置くものなんだ」
粉末卵なら水で溶かしてすぐに使わなければならないが、ちゃんとした卵は一工夫でより美味しくなる。
トレイを用意し、皿を並べる。
すると、そこにルカがサラダを盛り付けた。
コンロの上に置いていた鍋の蓋を取って、中に入ってるレードルでポタージュを掬う。
棚からマグカップを取り出し、ポタージュを注いだ。
湯気と一緒に、根菜の甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
既製品だとしても、美味しいものには代わりはない。
全部を調理して出すのは簡単ではないし、もっと人数も設備も必要だ。
僕は、それが正解だと思わない。
ルカがオーブントースターにスライスしたバケットを放り込むのを確認し、ようやくオムレツを焼く準備を始めることにした。
使い慣れたフライパンをコンロに置き、油を回す。
クッキングヒーターの温度設定を高めにし、フライパンから微かに煙が上がるのを確認してから卵液を注いだ。
高温のフライパンの上で、卵液が音を立てて固まっていく。
それを軟質樹脂のヘラで寄せて、固める。
「それにしても、たまごというのは不思議だ」
すぐ隣にクロエがいた。
フライパンの中で踊るように揺すられている卵を注意深く観察しているようだ。
「液体なのに加熱すると固体になる……どういう仕組みなんだ?」
「タンパク質の凝固温度だね」
「ぎょうこおんど……?」
僕はフライパンを振って、オムレツの形を整えながら説明を続ける。
「卵は大半が水分だけど、タンパク質もあるんだ。そして、タンパク質というのは熱によって固まる性質がある――グリルしたり、ボイルしたり、火を加えたら……って、クロエは見たことあるよね?」
「そうか、タンパク質か……理解した」
大きく頷くように、クロエが首を縦に振った。
どうやら、科学的な知識を持ち合わせているらしい。
「そして、温度を適切にコントロールすると、このように美味しいオムレツが焼けるんだ。練習はたくさんしないといけないけどね」
「温度をコントロール? コンロで調節するんじゃないのか」
「それだけじゃ足りないよ、火力だけじゃなくて手際とか計算とかもしないといけないんだ。卵料理は日々の積み重ね、練習の機会と基礎知識はたくさんあった方がいいね」
フライパンの奥側に寄せた卵にヘラを差し込み、手首のスナップを利かせてフライパンを振る。
半熟卵の塊を優しくひっくり返せば、もうオムレツは出来上がったも同然。
あとは火が入りすぎないように、温度を下げつつ焼き固めるだけだ。
「焦げ目が無い……」
固まった上面を見て、クロエが言葉を零す。
――今日もまた、完璧なオムレツだな。
「そんなに作るのが難しいのか? そうは見えないが」
「今度、クロエもやってみる? 面白いよ」
「訓練か……材料が無駄になってしまうのでは?」
「失敗したら自分で食べてもらうから大丈夫だよ」
話をしている間に、オムレツが焼き上がった。
すぐに皿の上にオムレツを移し、付け合わせの蒸し野菜を添える。
冷蔵庫からケチャップソースの容器を取り出すことを、忘れてはいけない。
トレイの上にオムレツを載せた皿を加え、店内へと運ぶ。
クロエは僕を追い越すように、いつものカウンター席に座った。
「どうぞ、召し上がれ」
「ありがとう、しーけー」
スプーンを手に取り、早速オムレツに切り込むクロエ。
そして、断面からどろりと半熟の卵液が崩れてきた。
――よし、成功だな。
粉末卵でも半熟には出来る。
しかし、水っぽくて風味や味が薄い卵液では、半熟にしても美味しくはない。
溶かす量を増やしたとしても、今度は油っぽさが強くなるだけだ。
美味しいオムレツにするには、ちゃんとした卵でないといけない。
スプーンでオムレツを口に運ぶクロエ。
すぐに、仮面のような無表情が崩れ去った。
「これは……おいしい!」
「ケチャップをかけても美味しいよ」
一緒に持ってきたケチャップソースの容器を手渡す。
オムレツに赤い線を引くようにケチャップをかけ、再びオムレツをスプーンで切り込む。
それを口にして、またクロエは表情を変える。
「おいしい……と、おいしい――」
いつだか、ハンバーガーを食べた時に見せた恍惚とした顔。
思わず笑いそうになるが、純粋に感動してくれているのだろう。それを笑うのは彼女に失礼だ。
「食べ終わったら持ってきてね」
クロエに告げてから、僕はキッチンに戻る。
――さて、僕もオムレツにしようかな。
ふと、時刻を確認すると……今から凝ったものを作る余裕は無さそうだった。
今日はホットスナックを多めに準備している。
朝飯は適当にホットスナックとパンにすることにした。
――今日も頑張ろう。
フライドチキンとトーストを頬張りながら、今日の客入りを想像する。
きっと、夜になる頃にはへとへとになっているだろう。
明日もシフトだから、なるべく体力を温存しなければならない。
間もなく開店時間。
トーストとチキンを水で流し込み、洗い物に取りかかる。
そして、来客を知らせるドアベルが鳴り響く。
人工太陽の日差しが外から入り込んでくる。その温かさと一緒に喧騒が店内になだれ込んできた。
――営業開始だ!
僕はエプロンの紐を締め直しつつ、注文を確認する。
モーニングのオーダーは、やはり卵料理。
次々とやってくるオーダーのメモを横目に、ボウルに卵を割り入れた。
ルカも、母さんも、状況を見て動いてくれる。
忙しい1日になるのは、考えるまでもなかった。
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