Act:01-12 ブレッド・マーク
無機質な壁と床、タイル状の天井。
複数のレーンで区切られたそこは破裂音と金属製の部品が跳ねる音で満ちていた。
ここは自治軍の基地、その地下。射撃練習用のシューティングレンジ。
僕も、そのレーンの1つに立っていた。
目の前に置いたケースには、僕に与えられた
重量感のあるそれを手に取り、実弾が装填された
ハンマーを親指で引き起こし、拳銃の銃身部分——スライドを引く。
重たい手応えと共に、スライドが引き切ったところで止まった。
スライドストップを親指で降ろすと、ガチャンと勢いよくスライドが戻る。
これで、発砲が可能な状態になった。
天井から吊られているマンターゲット。その頭部中央にある赤い丸、そこに狙いを定める。
両手で拳銃のグリップを包むように構え、トリガーに指を掛けた。
人差し指に力を入れて、トリガーを引き絞る。
破裂音と共に手の中で拳銃が暴れる。
束の間、息が止まった。
そのままトリガーを何度も引いていると、スライドが後退したまま止まる。
トリガーの感触が軽くなり、拳銃の内部機構が動いていないのがわかった。
拳銃を置き、目の前のテーブルにあるスイッチを押す。
すると、正面の奥にあったマンターゲットが吊られたままこちらに寄ってくる。
すぐ目の前で止まった的には、風穴1つも空いていなかった。
「オイオイ、5メートルでかすりもしねえのかよ」
「うるさいな」
後ろからケタケタ笑いながらヨナが歩いてきたのがわかった。
銃声から鼓膜を護るためのヘッドギアをしていても、彼の小馬鹿にする笑い声はハッキリと聞こえていた。
むしろ、聞こえない方がありがたかったとすら思う。
僕は、武器が嫌いだ。
特に拳銃は苦手だった、単に取り扱いが下手だからというだけじゃない。
僕はパイロットであって、兵士ではない。
銃を手に戦うという状況はつまり、戦況が最悪の状態になっているということだ。そうなったら、もはや戦う意味は無い。
命令されているから射撃訓練に参加しているが、銃には触りたくなかった。
「腰が引けてるんだよ、腰が」
「苦手なんだよ、ピストルは……手の中で跳ねるというか、さ――」
拳銃は手だけ、発射時の
「オレが手本を見せてやるよ」
そう言って、腰のホルスターから自分の拳銃を抜くヨナ。
彼は自信満々のようで、笑みすら浮かべている。
武器が苦手な僕とは大違いだ。
入れ替わりでレーンに入り、テーブルに設置されているボタンを押す。
マンターゲットが遠ざかっていき、僕が射撃した時と同じく5メートル辺りで止まった。
弾倉を拳銃に叩き込んだヨナは身体を斜めにするように立ち、恰好つけるように右手を伸ばして、片手で拳銃を構えた。
そして、彼はトリガーを引く。
銃声と共に跳ね上がる右腕、連射ではなく1発ずつ構え直しながら発砲していた。
それは指導された撃ち方ではない。
何かの映画——アニメに影響されたのだろう、というのがすぐにわかった。
的を近づけてみると、端の方に2つだけ弾痕が入っている。
あんな撃ち方でも当たらないわけではないらしい……
「ほらよ、もう1回やってみな」
「あの撃ち方で?」
もし教官に見られたら厳重注意されるかもしれない。
これまでの成績が良くない以上、悪い方向で目立つことは避けたいのだが……
「拳銃くらい、片手で撃たないとな!」
「それは違うと思うだけど……」
新しい弾倉に入れ替え、ヨナがやっていたように片手で拳銃を構える。
拳銃の重さで腕が震えてしまい、照準が定まらない。
深呼吸しながら、意識を集中させる。
――ただ撃つだけ、難しく考えるな……
トリガーを引くために人差し指に力を入れる。
重いトリガーがゆっくりと動く途中、視界の隅に何かが移った。
次の瞬間、拳銃に何かの力が加わる。反動とは全く別のそれは僕がトリガーを引ききる前にスライドを後退させた。
自動拳銃は内部構造的にスライドが完全に戻っていないと発砲できない。
つまり、誰かが僕に発砲させないように止めたのだ。
ふと、右側を見ると険しい顔をしたレティシアが立っている。
彼女の手が、僕の拳銃を掴んでいる。どうやら、発射する直前にスライドを引いた……らしい。
「なにやってんの」
いつだったか思い出せないが、レティシアは怖い顔をすることがたまにあった。
「なにって、片手で拳銃を――」
話している途中で僕の手から拳銃が奪われる。
すると、レティシアは後退していたスライドを戻し、僕やヨナがやっていたように片手で拳銃を構えた――が、僕らとは何かが違うように見える。
「そういうことは、両手で当てられるようになってからやるものよ」
レティシアはそう言い放つと、トリガーを引く。
破裂音、発射炎。連続した発砲音。遠目からでも発射された弾丸が的を射抜いているのがわかった。
撃ちきった拳銃を置き、的を引き寄せるボタンを押す。
そのレティシアの射撃姿勢は少しも揺らがない。発砲時ですら反動を感じていないとでも言うかのように右腕が真っ直ぐ伸びている。
戻ってきた的には穴が1つ――
「おいおい、たった1発しか……って――もしかして」
レティシアが床に落ちている薬莢の1つを拾う。
否、それは薬莢ではない。
僕の発射を阻止した時、スライドを後退させたせいで手動排莢させられた弾薬だった。
発砲されていないので、弾頭が付いたままになっている。
その1発の銃弾をマンターゲットの頭部、穴の中に差し込む。
1発の弾痕にしては大きい、複数の弾が集中して命中したせいで弾痕が1つの穴のように見えていただけだった。
得意気な表情をするレティシア。
そんな彼女に、僕らはぐうの音も出ない。
彼女は優秀な成績を出している訓練生だった。
モビル・フレームの操縦だって射撃や回避機動の精度は高いし、武器の扱いも得意だ。
時々、僕らのような成績不良者と組んでいるのか不思議に思うことがある。それを教官に何度か尋ねたが、詳細を教えてもらうことはできなかった。
「じゃあ、へたっぴの諸君は退場してもらってもいいかな?」
そう言うと、レティシアは足下にあったハードケースを開封する。
中には3つに分割されたスコープ付きライフルが収められていた。
「……こいつ、えげつねぇ銃持ってやがる――」
ヨナの表情が青ざめていく。
どうやら、レティシアが手にしている銃はかなり特別なものらしい。
僕は重火器に詳しくない。
だが、目の前のライフルが普通のものとは大きく異なることだけはわかった。
あっという間にライフルを組み立て、ケース内に入っていた弾薬を弾倉の中に入れていく。
その銃弾はとても大きい。拳銃弾どころか、サバイバルキットに入っているマシンガンに使うものよりもずっと長くて太かった。
「――15.8ミリ、ソリッド・アームズ社製のマグナムカートリッジ弾だとォ!? お前、室内の射撃場でそんなものぶっ放すつもりか?!」
「なにそれ……」
分厚い辞書のような弾倉に弾薬を込め終えたレティシアは、それをライフルに差し込む。
そして、ライフルを構えてから、親指サイズくらいのレバーを引く。
スコープを覗き込み、トリガーに指を掛けていた。
「CK、離れろ」
ヨナに引っ張られるように、レティシアから距離を取る。
間もなくして、ライフルの銃口から銃声と共に硝煙と閃光が噴き出した。
思っていたよりも銃声や衝撃は少ないように見える。それでも拳銃とは別格だ、室内の空気がびりびりと震えているのがわかった。
レバーを引くとライフルから空薬莢が排出され、レティシアはそれを手で受け止めた、引いた所で止まっていたレバーを戻す。
その動作はとても自然で滑らかだ。機械の動作のように緻密で正確、時々レティシア自身がロボットなのではないかと思う時がある。
ヨナが顔を寄せてくる。ヘッドギアを外すと、ボソボソと何かを伝えてきた。
「あのライフルやべえゾ、ボルトロック機能が付いてる」
「ぼるとろっく……?」
銃の構造に関しては最低限度の知識しかない。
講義で習ったことも忘れかけているが、発射に必要なメカニズムの1つなのは間違いないことはわかる。
「本来は自動で排莢されるようになるはずなんだけど、あのライフルはその機構を意図的にロックすることで精度や静音性を高めるヤツだよ」
「そんなにすごいの?」
ヨナが物凄い勢いで首を縦に振る。
首が千切れるのではないかと思うほどの肯定、メカや武器に詳しいヨナが言うことなのだから間違いはそんなに無いのだろう。
「だって、切り替えれば連射もできるってことだからな」
銃は動作部分が少ないほど精度が高くなると教わった。
自動小銃は連射ができる代わりに、セミオートライフルやスナイパーライフルのような連射ができない種類より命中精度が低い……と言われている。
今度は立て続けに発射するレティシア。ライフルから吐き出される空薬莢が床を跳ねていく。
拳銃弾のそれとは明らかに違うそれは、床に落ちた時の音も圧倒的な大きさを誇っていた。そのせいで、レティシアは注目を集めてしまっている。
それを気にすることもなく、彼女は自分が撃った的を眺めていた。
レーンに戻ってきた的を3人で確認する。ゆらゆらと揺れているマンターゲットにはいくつもの穴が空いていた。
だが、拳銃を使った時のように的の中心には命中していない。
「まぁ、いいか」
そう呟くと、レティシアはライフルを分解・分割してケースに入れていく。
ヨナが震えながらマンターゲットを凝視している。ライフルがケース内に収められた頃、ようやくヨナがレティシアに問うように言った。
「お前、線に当てるように撃ったのか?!」
興奮気味のヨナの問い、それをレティシアは鼻で笑う。
「さぁて、どうでしょうね?」
ケースを肩に担ぐようにして、レティシアはレーンから離れた。
その後を追い掛けるヨナ。
残された僕は、的を改めて確認する。
すると、ヨナの言うように的の中にある白線――命中スコアごとのレイヤーを示す識別線、その線そのものに大きな弾痕が空いていた。
ライフルで撃ってできたものは、拳銃とは明らかに違うからすぐにわかる。
適当に撃ったようにしか見えないライフルの弾痕、それは全て的の白線の中心に当たっているように見える。
彼女がどこを狙って撃ったかわからないが、もし狙って撃っていたならすごいことなのではないだろうか……?
――あれ、そういえば……このシューティングレンジってどのくらいの距離あるんだけっけ?
レティシアは的を1番奥まで動かしていた。
実際に動かしてみると、マンターゲットが点にしか見えなくなってしまう。
これの距離はさすがに拳銃程度では届かないだろう。
「――ピストルで800メートルを狙うのはさすがに無理だぞ、コーサカ訓練生」
すぐ後ろから声がして、僕は振り返る。
そこにいたのはシロー・カナタ教官だった。
「……800メートル? この距離って、ライフルだと簡単なんですか?」
「大口径でも難しい距離ではあるが、不可能ではない――といった感じかな。昔からすれば銃と装備が改良されているから、ずっと楽になっているのは間違いないだろう」
「な、なるほど……?」
教官の言葉を聞きながら、800メートル先の的から目を離せなかった。
いつも一緒にいるレティシア、彼女のことを何でも知っているわけではない。
それでも、彼女は僕たちと何も変わらない存在だと思っている。
だが、実はそうでないのかもしれない。
800メートル先にある的のように、僕はレティシアのことを本当の意味で理解できているのかわからない。
点に見えるようなマンターゲットのように、距離を置かれている時があるように感じることがある。
見えているのに、届かない。
800メートルなんて、大した距離じゃないはずだ。
歩いても、走っても、いずれは到達できる。
しかし、今の僕には果てしないほど遠い距離に思えた。
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