Act:01-11 カラメル・メモリー

「新しい注文だ。ハンバーガーセットとコーク、マカロニチーズ――」


「わかった。クロエはコークを用意してくれるかい?」



 今日の店内はそこまで混んでいなかった。


 ヨナとレティシア、同じ訓練生仲間や妹の同級生が朝から居座っている。

 休日の昼にしてはそこまで忙しくない。注文するものも大体同じなので、あらかじめ用意できる。

 それがわかっているから、キッチンの仕事はそこまで大変なものではない。


 

 クロエも仕事をほとんど覚えてきて、キッチンでの仕事もいくらかは任せられるようになってきた。

 母や妹とも問題無くやりとりできているし、接客も以前ほどトラブルを起こさなくなっている。まだ言葉遣いが危うい感じがするが、特に問題無いだろう。



「アニキー、アタシがマカロニやっちゃうよ?」


「フライドポテト揚げとくからね!」



「ああ、頼むよ」


 今日はフルメンバー。妹のルカが同級生のいる席に遊びに行ったりするが、それでも充分に余裕がある。

 むしろ、母が暇しているくらいなので、今日は特に穏やかな日だった。


 僕はハンバーガー用のミートパティを取りに貯蔵庫に向かう。

 すると、いつも開けるのに苦労する機密扉が開いたままだった。

 中を覗き込むと、クロエがシロップ用の容器を抱えて立ち尽くしている。


「どうしたの?」

 僕は貯蔵庫に入りながら声を掛ける。

 ゆっくりと振り返ったクロエ、その顔は相変わらず無表情だった。


 彼女の手にしていたのはコーク用のシロップを入れていたはずの容器。

 両手で抱えるほどのサイズの硬質樹脂製の液体用保存容器、その底にカラメルの黒い雫がわずかに残っているだけだ。



「しーけー、コークのシロップが無い」



「えーと……残りが半分になったら教えて、って――伝えなかったっけ?」


「言われていない。『残りが少なくなったら教えて欲しい』とは言われたが」


 ――しまった、ちゃんと教えてなかった。



 おそらく、今日の店内に若い客層が多いせいだ。

 僕らみたいな若年層の労働者や学生はに飢えている。そのせいでやたらとコークが注文されていた。

 そして今現在、その在庫が枯渇してしまったということだろう。



「す、すまない……」


「いや、いいんだ。僕も在庫チェックを怠けてたからさ……」


 ここ最近は訓練やヨナの手伝いに忙しくて、店をルカに任せることが多かった。

 学校のイベントが落ち着いたから、と甘えてしまったというのもある。


 だが、この店にとって『コーク』は特別なものだ。

 それを切らすということは、色んな意味でマズい……




「注文のテーブルは?」


「ヨナとレティシアだ」

 ――あの2人なら、許してくれるか。


 貯蔵庫の奥にある冷蔵庫から市販の缶ジュースを取り出し、クロエに渡す。


「2人に、サービスだって伝えて。これ渡せばわかってくれるから」


 クロエは手渡された飲料缶を舐め回すように見てから、大きく頷く。

 そのまま店内へと戻っていった。



 ――さて、今から作るしかないか。


 今すぐ作っても、量は微々たるものだ。

 作れる時に作っておかなかった自分が悪い――――そもそも、コークシロップの材料は「祖父のレシピブック」にしか書いていないから、僕と父にしかこれは作れない。


 貯蔵庫の在庫を確認すると、必要な材料は足りていた。

 だが、備蓄分も作るには足りない。誰かに買い出しを頼むしかないだろう。

 

 必要な材料を両手で抱え、僕はキッチンに戻った。

 


 店内は相変わらずの喧騒だ。

 学生達は新学期後の待ち望んでいた連休、訓練生や労働者にとっては日曜は数少ない休日。そんな日は狭苦しい家より、気の置けない仲間と一緒に過ごした方が楽しいに決まっている。

 僕にとって、そんな日は決まって仕事なわけだが……



 作業台に材料を置くと、クロエが駆け寄ってきた。

 僕のすぐ横で立ち止まり、何かを待つようにこちらを見上げている。


 彼女の方に顔を向けると、クロエは堂々と言い放つ。


「ヨナが『そんなちんけなサービスで時間稼ぎをするのやめろよな』って言ってた」


 彼女の声はよく通る。そのせいか、それは客席にまで届いていたらしい。

 ボックス席でヨナが立ち上がって何か言おうとしたところを、レティシアに席に引き戻されていた。



「……その報告はいらないかなぁ」

「わかった」


 メモ用紙に作り置き分のコークの材料を書き記し、それを妹のルカに渡す。

 何も言わずに察してくれたのか、すぐに買い出しの用意を始めた。


 ――気が利く妹で、ホントに助かるなぁ……



 シロップの材料を確認。

 必要なスパイス類、高価で希少なものは揃っている。買い出しで追加されることを加味しても、現状の材料分では半日も足りないくらいだ。



「僕がシロップを作っておくから、クロエはルカの仕事を引き継いでくれるかな?」


「了解だ」



 ――さて、始めるか。


 コークとは、多種多様なスパイスと砂糖を煮詰めたシロップを使った飲料だ。

 戦争が起きる前の地球では色んな形のコークが愛飲されていたらしいが、メーカーの倒産や軍による管理、材料の枯渇によってコークは作られなくなったらしい。


 祖父のレシピブックにある「コークシロップ」は、コークの数ある歴史の中でもかなり古いタイプのようだった。



 まずは、乾燥スパイスを用意。

 シナモン、クローブ、カルダモン、カレーにも使うスパイスを含め、様々なスパイスがコークシロップの材料となる。

 とても高価だし、流通も少ない。買える時に準備できなければずっと買えない。

 今は父の知り合いが販路を抑えてくれているおかげで、定期的に購入することができている。ありがたいことだ。



 風味と香りを加えるためのジンジャーとレモンをスライスし、手ごろな鍋に放り込む。

 そこに大量の砂糖、スパイス、水を入れて火にかける。

 砂糖が鍋底で焦げてしまうこともあるので、火加減に注意しつつ搔きまわしていかなければならない。


 コークシロップは他の作業を兼任しながら作れるようなものではない。

 ずっと付き添うように調理しなければならないのが問題だ。

 だが、母もいるし、クロエは簡単な調理ならできるようになった。2人の関係も改善されてきている。


 沸騰し、スライスしたレモンが崩れてきた。

 徐々に液体もカラメルの鮮やかな琥珀色に変化しつつある。

 火加減を調整し、弱火で煮込んでいく。

 

 

 ふと、横を見るとクロエが鍋の中を覗き込んでいた。

 僕の視線に気づいたのか、姿勢を正してから口を開く。

「わたしも、何か手伝えないか?」


 いつも通りの無表情、シロップを切らしたことに責任を感じていることが伝わってきた。どちらかといえば、僕の責任なのだが。


「大丈夫だよ、作ること自体は難しくないから」


 僕の言葉に、クロエが不服そうな表情を見せた。

 それは、僕が勝手に思い込んでいるだけなのかもしれない――が、クロエは責任感が強い性格を持っていることは、この短い期間でわかったことの1つだ。


「手が空いたら、見ててもいいよ」


 横目で母を見ると、わざとらしく溜息を吐いてからキッチンを出ていった。

 言わずとも、それとなく察してくれたらしい。



「シロップには様々なものが入っているんだな」

 クロエの興味が鍋から作業台の上へと移る。

 そこには残っているスパイスやレモン、大袋に入った砂糖が置かれているはずだ。


「そうだね、コークって色んなスパイスを入れるんだ。まるで薬みたいだな、って思う時があるよ」


「カレーにも同じものが入っていたと記憶している」

 クロエがスパイスの入った容器を手に取り、中身を観察していた。

 

「そうだね、いくつかはカレーにも使ってるよ」


「なるほど」


 鍋の中身、シロップにとろみが出てきた。

 ここまでくれば、完成間近だ。  



「しーけー、コークという飲料について確認しておきたい」


 ―—質問してくるとは、珍しいな……


 僕はクッキングヒーターの電源を止め、鍋を混ぜつつ、クロエの問いに答える準備をした。



「いいよ、どうしたの?」


「コークは実質、制作中のシロップと炭酸飲料で構成されている。ならば、市販のソーダではなく炭酸ガスを添加した飲料水……その、炭酸水とシロップを調合する作成方法でもいいのではないかと思った」


 ――なるほど、思っていたよりも鋭い質問が来たな……!



 事実、この店のコークは純粋な「コーク」と呼べるものとは少し違うかもしれない。

 クロエの言うように、コーク・シロップは普通の炭酸水で割ったものが「オリジナル」に近い。


 しかし、それは戦前――宇宙移民が始まる前のレシピだ。

 現状、安定供給されているとはいっても砂糖は高級品には変わらない。昔通りの……つまり、「祖父のレシピブック」に沿って作っていてはコストが掛かり過ぎてしまうのが問題だった。

 今のコークの形に落ち着くまで、父が何度も試作し、レシピを作り直している。



「確かにそうかもね。でも、この砂糖の量はソーダと合わせることを前提とした分量なんだよ」


「……入れすぎではないか?」

「市販のソーダ缶に記載している成分表示を見てごらん、結構入ってるよ」


 空き缶入れからソーダ缶を取り出し、表記を確認するクロエ。

 計量器に砂糖を入れ、分量を確かめていた。


 実際、加工品の添加物は想像しているよりも分量が多い。

 味や保存、そうした問題は昔からあったらしい。

 事実、コーク自体もを摂取してしまうということで健康上の問題があることが度々議論されていたようだ。

 それでも、美味しいことには変わりはない。


 僕らは必要限度量の砂糖を使い、肝心の甘味や炭酸は市販のソーダに頼ることにした。

 また、炭酸水を作る「ソーダ・メーカー」という機器は非常に高価であることと、大気リソースを使うということで許可証の発行が必要になるということが問題だった。

 それはさすがに、僕らでは手が出ない。  



「……これにシロップの糖分も入るのか」


「でも、オリジナルのコークは倍以上の砂糖を使ってるんだ。今のはその半分も無いよ」

 

 味の印象は料理の状態――つまり、形状によって異なる。

 固形物は砂糖や塩の結晶がそのまま舌で感じられるから、まだいい。

 液体は固形物以上に調味料を入れなければならない。溶けてしまうと少しの量では「味」としての輪郭が弱くなってしまう。

 だから、塩分も糖分も多くなる。「味」の輪郭が強ければ、人は「美味しい」と錯覚してしまうのだ。

 しかし、それが料理全ての正解とは言えない。



 「味」は甘味や塩味だけではない。

 香りや舌ざわり、口に残る余韻だって「味」だ。

 僕が求めるのは、安直に「甘い」「しょっぱい」というものであってはいけない。 

 そして、祖父のレシピブックにはその答えがちゃんと記されてある。



 ―—料理は化学。

 熱が食材に変化を与え、食材の性質を理解し、調味料や添加物による効果をどのように活かすのか――


 歴史と文化でもあり、人類の英知でもある化学。

 だからこそ、僕は料理が面白いと思うことができた。





 僕にとって、コークは特別な一品だ。


 まだキッチンに立つ前、いつも父は悩んでいた。

 いつもボロボロのノート—―祖父のレシピブックを手に、何かを作っていたのを覚えている。

 

 それはコークだった。

 父は地球にいたことがあったと言っていたことから、本物のコークを飲んだことがあったのだろう。レシピブックにあるコークがそれと違うせいで、作るのに苦労していたはずだ。


 ある日、店が休みであることを利用してキッチンに忍び込んだ。

 父がいつも見ていたノートを勝手に開き、コークを実際に作ってみた。

 

 もちろん、上手くいくわけがない。

 それに、父によってレシピブックの内容が変更されていたのだ。

 砂糖の分量を抑えるためにあれこれと修正され、書き足されている。


 結果的に、父と同じくいつまで経ってもコークを作れることはなかった。

 そして、ようやく店を手伝い始めるようになってから、僕は色々考え始める。

 


 レシピブックのコーク・シロップはあまりにも濃度が濃すぎた。

 炭酸水で割ることが前提であり、父は出来を試すために普通ので割っていたことも完成に至らない理由であった。


 だから、改変されたレシピをさらに直し、市販のソーダで割ることにした。

 事実、レシピブックの内容には「サイダー」を使うようにと記載されている。本来なら果実酒を指す単語ではあるが、宇宙移民が始まる前の時代では炭酸飲料を示す言葉であったことを調べものをして理解していた。


 今のコークは祖父、父、僕の3人が作り上げたものだ。

 父はレシピブックを修繕し、僕に託してくれた。

 以降、このキッチンに立たせてもらっている。




「アニキ―、戻ったよ」

 買い物袋を手に、妹が帰ってきた。

 作業台の上にコーク・シロップの材料が並べられていく。


「いつ見ても、金のかかる飲み物だよね」

 溜息混じりにルカが言った。 


「それには何も言い返せないなぁ……」

 スパイスは流通も少なく、供給もほとんどない。

 いくら市販のソーダで割って使うとはいっても、シロップ単体の材料費は破格だ。

 それでもコークを高値で出すつもりはない。


 コークは単体でも十分美味しいが、味の濃かったり、脂っこい料理と抜群に相性がいい。

 「食べ合わせ」や「調理」は組み合わせ次第でより高い効果を発揮するものだ。

 その点でコークは材料費以上の価値がある。

 

 

「この材料でどれくらいコークが作れるんだ?」

 材料を整理していたルカに、クロエが質問を投げる。

 僕が答えようとしたが、ルカがこちらにウィンクでサインを送ってくる。

 どうやら、作業に集中させてくれるらしい。

 

「えーと……30回分くらいかな?」

「——思っていたより少ない……」


「だから作り置きするの。あと、お客さんから『シロップ売ってくれ』って言われても出しちゃダメだからね?」

「了解だ」


 コンロから鍋を降ろし、シロップ用の容器を用意。

 シロップが冷めているのを確認してから、そのまま容器へと流し込む。

 まずはこれを冷蔵庫で半日くらい寝かせてから、スパイスとスライスしたレモンを取り除けばシロップの完成。貯蔵庫に置けるようになる。



 シロップ容器に蓋をしようとした時、ドアのベルが鳴り響いた。

 来客を告げる音色と共に現れたのは屈強な体躯の男——僕の父だ。


 キッチンに向かって手を振りながら、カウンター席にどっかりを座り込む。

 市内で個人タクシーを営んでいる父は、ほぼ休みなしだ。そこにおまけでデリバリーもやってもらっている。仕事量的には店にいる僕らよりも忙しいはずだ。


 注文を取りに行くまでもない。

 仕事から戻った父が求めるのは、コークだ。



 早速作ったシロップとソーダ缶をグラスの中で合わせ、氷を浮かべる。

 硬質樹脂のグラスの中はソーダ缶の炭酸とシロップのカラメルで鮮やかな様相だった。

 それを手に、店内へ向かう。


 母から渡されたタオルで顔や手を拭っていた父の前に、コークのグラスを置く。


「お疲れ様」


「ありがとうカール、いつもすまないな」


 歯を見せるように笑ってから、グラスに手を伸ばした。

 すると、コークを一気に飲み干す。


 氷だけしか入ってないグラスをカウンターテーブルの上に置いて、父は大きく息を吐いた。


「やっぱ、これだなぁ。カールの作ったコークは最高だ」


 とびきりの笑顔を輝かせる父。

 身内でも、自分の作ったもので喜んでもらえるのは素直に嬉しく思える。



「父さん、僕の……じゃないよ。ウチの、だよ」


「まぁーたそんなこと言ってるのか、このコークはお前が俺の親父のレシピブックを見て作ったんだ。だから、お前が作ったことになるんだよ」


 いつも通りの返事。

 父が失敗したから、僕の成功がある。それを頑なに認めようとしない父。

 それでもいつか、このコークよりずっと美味しい『コーク』を見つけてみたいと思える。

 それでようやく僕は自分でコークを作ったと胸を張って言えるような気がするのだ。


 その時は、真っ先に父に飲んでもらいたい。



「おかわり、いいかな?」

 ニッカリと笑う父。

 だが、そんな父に悲しい知らせを伝えなければならない。





「ごめん、シロップの在庫無いんだ。これから作るとこ」


 わざとらしく肩を落として、落ち込むような素振りをする父を無視して僕はキッチンに戻る。

 いつも通り慌ただしく時間が過ぎていき、閉店の時間まで客足が途絶えることは無かった。

 

 この日以降、クロエがシロップの在庫を確認してくれるようになったらしい。

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