Act:01-2 パンケーキ・ララバイ 1

 わたしは〈クロエ・コーサカ〉になりすまし、カールというコロニーに住む青年の家族となり、一般人としてレストランで働くことになった。


 だが、状況は最悪——





「——いったい、アンタはどれだけポカやらかせば気が済むんだい!?」


 レストランのキッチン、その奥にある貯蔵庫でわたしは怒鳴られていた。

 相手はカールの母親、モニカという名前だ。



 今日は初日、カール不在のレストランで〈モニカ〉の指揮下、『業務』を遂行することになったのだが……



「客の注文を先送りにしたり、割った食器を片付けなかったり、挙句には客に声も掛けない……どうしたら、そんな接客ができるんだ!?」

 狭い貯蔵庫でモニカの声が反響する。その大柄な体躯が威圧感を放っていた。

 

 ——何が、いけなかったのだろう……?



 最初に来た客が「モーニングのAセット」とやらを頼んできた。

 見た目の印象としては、若い男——10代後半から20代。


 しかし、その次に訪れた客も同じく「モーニングのAセット」と言ってきた。

 恰幅の良い体格の壮年、明らかにこちらの男の方が年齢や立場が上。

 だから、階級——もしくは立場が上の者への配膳を優先したのだ。


 通常、配給や配膳は階級が上の者から行われる。

 つまり、先に頼んだとしても階級が低いと後回しにされるのは当然——だと、わたしは思っていた。


 続いて訪れた客が同じく中年——しかも、保安要員セキュリティの制服を着た男だったので、そちらを優先。

 だから、最初に入店した「若い男」は最も後回しにされるべきである。


 しかし、そうではなかったようだ。




 運搬中に食器を割ってしまった。それはたしかに、わたしの不注意である。

 だが、わたしに与えられた役割は「注文の受付と配膳」——つまり、清掃や片付けはわたしの担当ではない——わたしのフォロー、もしくは店内環境の整備を担当する者が行う『業務』のはずだった……が、違ったらしい。


 また、わたしの仕事は客の注文に対し、指定の品を提供することが目標だ。

 つまり、配膳先と内容が合致していればいい。


 わたしは注文を記憶していた。

 だから、配膳も間違っていない。

 配膳が忙しく、客に確認や声掛けをせずに品を置いたのが問題視されてしまった。




「……普通に仕事しろと、言っていたから——」


「——普通? あれが普通なもんか!!」


 業務開始時に『普通にやればいい』と説明を受けた。

 地球では様々なものが配給品として、個人に分配される。飲食物は特にその対象になっていた。

 地球とコロニーの環境は大きく異なるだろうが、コロニーのプラントで生産できる物資の総量が地球より多いなんてことはありえないはずだ。


 つまり、民間の飲食物を提供するサービスにおいても『配給ルール』は適用されるのではないだろうか?



 モニカはすっかり頭に血が上っているようだった。

 初日から認識の齟齬によってトラブルを起こしてしまったらしい。

 

 

「店から出ていきな、もう二度と顔を見せるんじゃないよ!!」

 モニカに背中を押されるようにして貯蔵庫から追い出された。

 強い勢いで閉められたドアに、拒絶の意思を感じる。 


 店の裏手、貯蔵庫の分厚い扉に背を預けて、わたしはしばらく思考を整理した。





 ——まさか、初日から『仕事』に失敗するとは……


 わたしがコロニーで生活するには、カールの家族から信用が不可欠だ。

 このままだとアパートの部屋からも追い出されてしまうことだろう。


 想像以上に、働くということは難しい。

 厳密な手順や指揮系統が存在せず、個人の裁量で判断し、責任を背負う——

 そんな恐ろしい形式の作業体系があるとは知らなかった。



 追い出されてしまった以上、あの部屋を使える期間も残り少ないだろう。

 どうやら、あの部屋はコーサカ家のものではなく、〈セントラルシティ〉の住居管理センターというところから貸与されているだけらしい。

 つまり、利用料が必要になるのだ。


 初日から仕事を失ったわたしに、その利用料は払えない。

 明日以降、屋外で寝ることも検討しなければいけないだろう。

 〈クロエ〉になりすましたまま生活することはできないが、調査や潜入はできる。

 場合によっては、保安要員に追い回されながらの任務となるが、それも仕方ないだろう。



 ——ここで途方に暮れても仕方ない。


 まだこの周辺の地形を把握できていない。

 探してみたら意外と身を隠せる場所があるかもしれない。それを見つけるべきだろう。



 レストラン「フェー・ルトリカ」から離れるように歩き出す。

 特に方向や基準を決めず、ただ気まぐれに進む。


 〈セントラルシティ〉の街中は車両だけでなく、歩行者や動力の無い軽車両バイシクルも多い。

 もうすぐ夜間帯環境に移行するというのに、暢気なものだ。


 地球上の「夜」を再現するために人工太陽——つまりは都市照明を停止させる。

 本来なら、保安要員セキュリティによる外出制限を行うのだろうが、このコロニー・E2サイトでは時刻による制限は無いらしい。

 おそらく、危機管理や安全意識といったものが欠けているのだろう。



 歩き続ける体力はあったが、足を止めたくなった。

 公共施設周辺を歩き回ると、開けた土地——おそらく、広場に辿り着く。

 ランニング用のサーキットのような通路、天然の樹木、花や植物が植えられたプランター。

 そこにいくつも設置されたベンチの1つに、わたしは腰掛けた。


 硬質樹脂製のベンチは硬く、冷たい。

 その座り心地はモビル・フレームのコクピットシートを連想させる。

 

 

 ――——さて、どうするべきか……


 コーサカ家による支援が無ければ、〈クロエ〉は生きてはいけない。

 だが、わたしは地球連合軍の人造兵士である「ジュリエット・ナンバー」だ。

 住人を殺して回って、紙幣や食料を奪って生活すればいい。

 

 潜入しているだろう「ホワイト・セイバー隊」とコンタクトを取るのが難しくなるが、その点はなんとかなるだろう。

 保安要員セキュリティに追われ続けることになれば、任務を成功させるのはずっと難しくなる。


 〈クロエ〉は不自由だが、疑われることはない。

 身分証明が済み、コストは掛かるが安全でインフラが整っている部屋を拠点として使うことができる。

 疑われなければ、軍から監視や追跡を受けることもない。


 〈クロエ〉の身分が失われれば、拠点も行動も大きく制限されてしまう。

 常に高いリスクを抱えながらの任務は、物資だけでなく体力も消耗が激しい。できれば避けたい事態だ。

 

 


 たった1人で生きるには、安全が確保されていて、捜索を受けそうにない場所を見つける必要がある。

 そのためには〈セントラルシティ〉を隅々まで調べなければならない。

 数週間は飲まず食わずで歩き続けるしかない。その間に保安要員や軍から追跡されてしまえば、任務は失敗。

 身柄を拘束され、調査されてしまえば——わたしが〈クロエ〉でないことはすぐに明らかになるだろう。



 殺人や窃盗は静かに、かつ隠密に——

 発覚は許されず、痕跡が見つかって追跡されることもあってはならない。

 おそらく、レストランで働くよりも困難な選択を迫られることになるはずだ。


 この状況を切り抜ける自信は無い。

 だが、ジュリエット・ナンバーであることを調べるのは簡単だ。わたしたちの

のDNAには特定の遺伝子配列パターンと因子が刻まれている。

 それは解析に掛ければすぐに判明するらしい。

 つまり、わたしが拘束された時点でこのコロニーは連合軍の潜入を察知し、戦闘状態に移行してしまう。

 油断していなければ、破壊工作も降伏勧告も意味が無い。


 防備が整っている相手を攻めるには、1つの戦隊では足りないはずだ。













「……クロエ?」


 不意に声を掛けられ、その方向を見ると—―カール・コーサカがいた。

 

 今日はコロニー自治軍の基地施設で訓練だと聞いている。

 それが終わって、帰宅の途中だったのだろう。



 わたしがいる広場はプラント間を行き来するターミナル駅の目の前だった。

 視界も開けていて、白髪のわたしは目立つだろう。



「どうしたの? エプロン姿のままで……?」


 カールの指摘通り、わたしはレストランで働いていた時のままだ。

 支給された前掛けエプロンを着用した状態で街を歩いていたということになる。

 もしかしたら、わたしの目撃情報を誰かがカールに共有したのかもしれない。

 

 だが、今となってはどうでもいい……




「追い出された」


「……追い出された?! どうして?」


 カールが驚いた表情をする。

 やはり、仕事ができないのは一般的におかしいことなのだろう。


「モニカが『二度と顔を見せるな』と」

「――えっ、そんなことを!?」


 カールはすぐに携帯端末を取り出し、音声通話を始める。

 おそらく、相手は母親であるモニカなのだろう。

 通話はすぐに終了。すると突然、カールは頭を下げた。



「本当に、ごめん」


 それは謝罪の言葉らしい。

 だが、彼から謝意を伝えられる理由は無い。



「クロエは今まで働いたこと無かったのに、僕の母がそれを理解してなかったんた。ちゃんと説明したつもりだったんだけど……」


 わたしがなりすましているクロエ・コーサカは地球の富裕層出身。カールの言葉通りなら、有り余る金でコロニーを転々として、様々な料理を食べ歩いていたということだった。


 顔を上げたカールは申し訳なさそうに、表情を曇らせていた。



「君はが専門だったのに――」



「わたしが仕事ができなかったのが悪い」

「――そんなこと無いよ、本当なら君まで働くことは無かったんだ。手荷物というか、君の資産が紛失しちゃったから、こんなことになっちゃったんだ」


 おそらく、クロエは地球から出てくる時に持てるだけのクレジットを荷物に詰めてきたのだろう。

 輸送船内の個室にあった荷物は、装備と一緒に部屋から移動させてしまった。

 わたしが救出された後、輸送船はデブリと衝突して崩壊したらしい。

 つまり、わたしがこうして仕事をすることになったのは自分自身の行動の結果だ。



「母さんは頑固で融通が利かなくて……本当にごめん。次からは僕がシフトに入っている時だけ、店に出てもらえるように調整するよ」


「しかし、わたしは……」


 責任者の『二度と来るな』という発言――つまり、解雇を言い渡されている。

 そんなわたしが、あの店でまた働いてもいいのだろうか?



「事務仕事は僕と妹でやってるから大丈夫。クロエは働けるよ」 


 ――本当にいいのだろうか?


 たしかに、あの部屋や〈クロエ〉という身分は簡単には手に入らない。

 わざわざ手放す必要は無いはずだ。


 仕事は大変だが、安全は保証されている。

 潜入部隊との接触が確立されていない以上、潜入期間がどれだけ長くなるかは予想もできない。

 ならば、仕事をしている限り、この都市に潜伏できる状況の方がリスクも少ないだろう。




「――そうだ! クロエも料理をしてみようよ」


「……りょうり?」


 カールの表情が明るくなった。

 彼の言う「りょうり」が何を指すのかは知らないが、仕事に関することなのだろう。



「レストランで仕事するならキッチンもやらないと面白くないよ! いきなりは出来ないけど、少しずつ色々覚えていこう」



 ベンチに座っているわたしに、カールが手を伸ばしてくる。

 レストランでの仕事は、わたしにとっても何の意味も無い。

 生き残るには――きっと、それが正しい選択なのだ。



 

 彼の手を取り、立ち上がる。

 2人で歩いて、レストランへ向かう。


 もうすぐ夜間帯時刻へ切り替わろうとしている街並みは、どこか不思議な印象を感じた。

 昼間とは全く違う景色に、驚きが隠せない。


 他のコロニーでの夜間帯時刻への切り替えはただ単に暗くなるだけだった。

 〈E2サイト〉では、少し違うらしい。


 人工太陽に僅かだが、色が付いている。

 その赤い光が街を照らしていた。

 それにどんな意味があるかはわからないが、少なくとも他のコロニーよりも――印象に残るような光景だった。



 レストランに辿り着く頃には、もう夜間帯になっていて薄暗くなっていた。

 街灯や店舗、住居の灯りが至る所にあって、闇は深くない。そのせいか、夜でも不安は感じなかった。


 おそらく、セントラルシティは治安が良いのだろう。

 夜間帯であっても、歩いている一般人の顔色は明るく、住居や施設から賑やかな声が聞こえてくる。



 わたしはそれほど多くのコロニーを見たわけではないが、この〈E2サイト〉は特別な感じがした。

 だが、それを言語化できない。


 そうしている間にも、レストランとアパートが見えてきた。

 




 そして、わたしたちはレストラン「フェー・ルトリカ」の入り口のドアを開ける。

 

 

 

   

 

 

 

 



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