第1章:潜伏

Act:01-1 デイ・ドリーム

 電気自動車の窓から見える景色は、コロニー内の都市にしては古風だった。

 建造物にコンクリートや煉瓦、そうした古い素材が使われているせいだろうか。

 過去に潜入したコロニーはもっと、工業的な造形の建造物が多かった印象がある。



「――やっぱり、地球より古い街並みに見える?」


 不意に、隣から声を掛けられる。

 その声の主は、カール・コーサカ。これからわたしを――〈クロエ〉を家族の一員に迎えようとしている男だ。



「……そうは思わない」


 わたしはジュリエット・ナンバー。遺伝子調整を受けて、保育カプセルの中で育った。

 だから、地球の都市を見たことはない。


 だが、クロエ・コーサカという人物は地球出身。

 その設定を忘れるわけにはいかない、わたしは〈クロエ〉に扮してコロニーに潜り込んだのだから――



「やっぱりそうだよね、ジャパンってサイバー関係が凄い国だってヨナが言ってたけど、そうなの?」


「……覚えていない」


「ごめん、思い出したくない話だったよね……」


 かれこれ彼と話をしていてわかったことがある。


 クロエ・コーサカは地球の極東地域にあるジャパンの富裕層の出身、スラム出身者による暴動に巻き込まれて逃亡。その最中で宇宙へ出た。

 以降、カールと手紙をやりとりしながらコロニーを転々としていたらしい。


 地球のことは何も知らなかったが、宇宙移民コロニーサイドとの戦争以外にも問題があることは驚きだった。

 わたしが聞いている地球と、カールのような宇宙移民が知っている地球とは大きな差があるようだ。

 そもそも、地球のことを知っても移住することはできないのだから意味が無いと言えばそこまでなのだが……



 電気自動車が市街地の中心部に入った。

 敷地が等間隔で区切られているブロック型都市構造であることがすぐにわかった。方角さえわかれば、道に迷うことは無いだろう。


 大小様々な交差点を通り過ぎ、車両は車線の少ない道路へ進んでいく。

 どうやら、目的地は大きな道路から外れた場所にあるらしい。


 片側一車線の道を進んでいくと、周囲の建造物が低いことが気になった。

 大きな道路沿いにはビルがいくつも建っていたが、この付近は一般家屋が並んでいるらしい。


 

 道路標識を見ると、〈セントラルシティ〉という記載が複数あった。

 ここはコロニーの中枢都市なのだろう。区画のどこかにコロニー自治軍の司令センターや中央政府があるはずだ。

 潜入部隊は間違いなく〈セントラルシティ〉に潜伏している。最終段階になれば、この都市が戦場になる。そうなる前に合流しなければならない。

 巻き添えで死ぬことになるのは避けたい。



「もうすぐ着くよ」


 カールの運転は冷静で落ち着いている。

 車間距離を適切に保ち、加減速もゆるやかだ。

 複数車線の大型道路上でも、彼の運転に不安は感じられなかった。


 車両の運転というのは、パイロットの素養が滲み出る。

 周囲の状況認識、対象物との距離感、適切なアクセルワーク、いかに車両をコントロールできているかが乗っているだけでわかる。

 あくまで癖や性格がわかるというだけだが、隊長曰く『車を転がせないヤツなんかがモビル・フレームをぶっ飛ばせるわけが無いだろ』とのことだった。


 カール・コーサカは周囲をよく見ている。

 急な加減速は無く、アクセルペダルの踏み込みも浅くて細かい。まだ訓練兵と聞いていたが、エリートパイロット的な特性に近い。丁寧で柔軟な操縦をすることができるだろう。

 状況認識が優れたパイロットは生還率が高い、生き残れるということは成長して強くなる。

 つまり、厄介なパイロットということだ。

 可能ならば、開戦前に消しておきたい対象になるだろう。


 

 しばらく進むと、電気自動車が駐車場に入った。

 どうやら、目的地付近に到着したようだ。


 カールが降車したので、わたしも続く。

 ドアを開けて車外に出た。すると、不可解な匂いが鼻腔を刺激する。


 艦内や他のコロニーでは常にオゾン臭がするのが当たり前だった。

 しかし、ここの環境は違う。


 病院を出た時は薬品の匂いで鼻が利かなかったが、今ならはっきりとわかる。

 道路のアスファルトやコンクリートが人工太陽で炙られて発する、ツンとした匂い。

 風に乗って流れてくる、青臭い匂いと湿った空気の匂い。


 それだけではない。流れている風に運ばれて、様々な音も聞こえてくる。

 電気自動車の走行音、誰かの話し声や笑い声、音楽、電子音のアラームやブザー、それは都市環境の全てだった。


 わたしが今まで知らなかった、コロニーの生活。

 見知らぬ世界そのものといっても過言ではない、それほどに鮮烈な印象を受けた。



「どうしたの? 大丈夫?」


 カールが不安そうな表情でわたしを見ている。

 医療施設から出たばかりの人間が惚けていたら、心配するのは当然のことだ。



「問題無い」


「よかった……じゃあ、行こうか」


 わたしの回答に安心したのか、移動を始めるカール。

 少し歩いた先に、文字が書かれた看板と……店らしき建造物に辿り着く。


 看板には「フェー・ルトリカ」、小さくレストランという表記もあった。



「ここが、僕たちの仕事場だよ」


 会話の中で出た『家族と経営している店』なのだろう。

 すぐ隣には集合住宅アパートメントがあり、周囲の見晴らしも良い。

 店の向かいにはベーカリー……別の店もあるようだ。



 窓から店内を覗き込むと、一般人が飲食をしている様子が垣間見える。

 人々の表情や雰囲気は明るく、外にいても喧騒が聞こえる気がした。

 


 ――飲食物を提供する……商業施設、ということか。


 基地や船内で言うところの食堂フード・ラウンジ売店PXのようなものだろう。それの個人経営版なのだろうか?


 まだ日中であるにも関わらず、店内の人々は食事を楽しんでいる。

 連合軍では食事の時間を短く済ませるように指導されるが、そのような緊張感は微塵も感じられない。

 コロニーの住人が口にしているものは本来、地球の資源となるはずのものだ。

 連合軍兵士ならば、目の前の光景に憤慨すべきなのだろう。


 だが、コロニーに住む人々が食事をしているのを見て――わたしは何故か、穏やかな気持ちになっていた。


 

 

 

「お腹、空いてる?」


「いいや、大丈夫だ」


 

 カールはそのまま、集合住宅の中へと入っていく。

 そして、わたし――クロエのために用意した部屋へ案内してくれる。


 集合住宅の一室。つまり、わたしの個室……家となる場所だ。



 コロニーの住環境というものを、わたしは勘違いしていたらしい。

 部屋には様々な施設が設備として用意されていて、衣食住をこの部屋だけで行えるようになっている。

 家具や機械設備も置かれ、さながら前線基地を集約したような光景だった。

 上官の個室とは比べものにならないほど、この部屋は広く、充実している。




「なんとか空き部屋を押さえられたんだ。家具や家電は家族みんなで買い揃えたものだから、安心していいよ」

  

 部屋を見て回ると、様々な点で驚くことになった。 

 水が自由に使えるだけでなく、水温も自由に変更できる水道設備やシャワー、簡易的な調理器具、おまけに放送受信装置まで用意されていた。

 これは士官どころか、将校並みの待遇だ。ジュリエット・ナンバーのわたしがこの部屋の設備を自由に使えると知ったら、他の隊員達は羨むことだろう。



「支払い用の口座も作ってる、それは後で渡すから」

 

 なんとか平静を保ちつつ、カールに応対する。

 だが、今にも飛び上がってしまいそうなくらいに嬉しかった。


 ――ここが、わたしの……拠点。


 この部屋は地上からそれなりの高さにある。

 窓から、この区画の一部を見渡すことができた。

 

 この部屋からさっき通過した大きな道路や高層ビル群が見える。その先に、もっと大規模で堅牢な建造物の存在を確認。

 形状から見ても、軍の施設――中央司令センターのように思える。

 


「クロエ、今手持ちが無いよね?」

 カールがわたしの隣に並ぶ。

 そして、着用しているジャケットのポケットから何かを取り出した。

 紙片のように見えるそれには、数字が刻まれている。



「今はこれしか持ってなかったけど、お金で困ったら相談してほしい。給料もちゃんと出すし」


「……きゅうりょう?」


 カールが紙片を手渡してきた。

 どうやら、それはこのコロニー内で使える貨幣のようだ。

 そうした専用通貨があることは知っていたが、本物を手にしたことは無い。ツルツルした手触りが、なんだか妙に心地よい。



「――覚えてる? 僕らのレストランで働くって約束……」

「覚えてる、覚えてるぞ」


 カールの表情が暗くなった。疑われるのはまずい。

 この男は嘘や冗談を使わない印象がある。約束というのも、本物の〈クロエ〉が手紙の中で交わしたものなのだろう。



「よかった……あっ、でもすぐに色々やってもらうわけじゃないから安心して。ちゃんと仕事を教えるからさ」


 ――仕事……!


 わたしはこれまで兵士として、命令されたことを忠実に遂行してきた。

 だが、一般人の「仕事」というものは知らない。


 〈クロエ〉の素性がどうあれ、「仕事」を完璧にこなさなければ、信用は得られないだろう。

 わたしにとって、「仕事」の評価は生死に直結することになるはずだ。



「あと、これ」


 続けて、カールが取り出したのは携帯端末のようだった。

 軍の無線機とは異なる、シンプルな造形で多機能な端末らしい。

 電源を入れてみると、様々なアプリケーションが用意されていた。



「何かあったら、気軽に連絡して欲しい。こっちからも連絡すると思うから」


「ああ、わかった」


 携帯端末には簡易的なテキストの送受信機能、音声通信機能、地図情報や報道情報の確認もできるようだ。

 こんな端末が母艦や基地でも使えたら、もっと色々楽に――――



「クロエ?」


「扱い方は大丈夫だ、問題無い」


 余計な心配をさせてしまったらしい。

 カールがわたしの顔色を窺っていた。



「疲れてるのかもね、少し休んだ方がいいかもしれない」


「……そうだな、少し休むことにする」

 わたしがそう言うと、彼は部屋の入り口へと向かっていく。


 このまま見送ってもいいが、ほんの僅かだが気まずさがあった。

 言うべきことを、まだ言っていない。

 だが、それが何かはわからなかった――





「かーるっ!」


 わたしの呼びかけに、彼は振り向く。



「CKでいいよ」


「しーけー?」

「そう呼ぶ人もいるし、好きな呼び方で」



「わかった」


 彼が背を向け、部屋を出て行こうとドアノブに手を掛ける。

 喉元まで出掛かった言葉をなんとか形にしようとするが、声にはならない。


 そして、そのままカールは部屋を出て行ってしまった。

 彼に何を言うべきだったか、まだわからない。 

 しかし、そんなことでわたしが〈クロエ〉でないことが露呈するわけではないはずだ。


 たった一言を吐き出せない、そんなことでモヤモヤするなんて想像したことも無かった。

 やはり、何者かになりすますというのは大変だ。


 だが、始めた以上はやり遂げねばならない。



 

 気を紛らわすために窓を開ける。

 外からは適度に湿度のある風が入ってきた。


 わたしは支援を受けずに、単独で任務を遂行しなければならない。

 潜入部隊の「ホワイト・セイバー隊」が潜伏しているはずだが、無事に合流できるという保証はどこにもない。

 もしも、潜入部隊がコロニーに侵入できていなければ、破壊工作を含めて全ての任務をわたしだけで行う必要がある。



 ただの一般人女性、地球からの移民である〈クロエ・コーサカ〉に出来ることはない。


 まずは、この都市の規模や構成を把握するべきだろう。

 武器や装備を揃えても、ロケーションの情報が不足してしまうと勝つことは難しい。




 ――情報を集めなければ……



 明日からクロエとしてのコロニー生活が始まる。

 一般人としての暮らしを知らないが、それでもやるしかない。


 

 今日はやるべきことはない。

 医療施設から出たばかりで、体力も回復できていない。

 

 ベッドで横になり、瞼を閉じる。

 窓から吹き込んでくる風が心地よい。外から入り込んでくる雑音も、今は何故かずっと聞いていられる気がした。

 艦内は恐ろしく静かで、聞こえるとしたら上官や士官の怒声や罵声だけだ。


 だが、様々な環境音を聞いていると、自分だけではなく別の誰かも存在しているという安心感があった。


 誰にも疑われずに、〈クロエ〉として生きる。

 もし、わたしがジュリエット・ナンバーではなく、女性の子宮から生まれ落ちた人間だったなら――どんな生き方ができただろうか?


 想像しようとしても、思い描くことはできない。

 わたしは人間ではない。いくら同じヒトであっても、「人間」としての生き方を知らない。

 武器を持ち、機動兵器に乗り込み、ただ戦うことしか教育されていない。


 壊す、奪う、その生き方しか知らないわたしが、それ以外の生き方ができるのだろうか?



 彼らの言う、「普通に働き、普通に生活する」というイメージを想像できない。

 だが、想起出来ないからといって、不可能なわけではない。

 とりあえずは、やってみるしかないのだ。



 ――それに、わたしには……選択肢が無い。


 〈クロエ〉という偽装が無ければ、わたしはすぐに殺されるだろう。

 ジュリエット・ナンバーの存在はコロニー軍も把握しているはずだ。機密情報や権限が与えられていない隊員で、人権が保障されていないとなれば……すぐに抹殺するだろう。


 だから、わたしは〈クロエ〉という皮を被り続けなければならない。

 任務の途中それを辞めるなら、その時は死ぬときだ。



 徐々に思考が鈍っていく。

 いくら考えても答えが出るわけがない。

 

 そうして考え事をしているうちに、眠気が意識を刈り取る。

 意識が闇に沈む中、不思議なことに不安は少しも感じなかった。

 

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