Act:00-8 ラスト・サバイバー 

 瞼越しに光を感じ、反射的に目を開ける。


 視界に映るのは、知らない部屋の天井――白色を基調とした内装とカーテン。

 そして、真っ白なベッド。



 ――わたしは、捕まった……?


 微かに薬品の匂いがする。

 それだけでなく、わたしの身体には医療用の投薬チューブが何本か刺さっていた。チューブを視線で辿っていくと、点滴用の輸液パックが吊されている。

 薬液は……よくわからないものだった。



 どうやら、拘束は受けていないらしい。

 ならば、として救助されたということだろうか?



 身体をゆっくり動かし、周囲を見回す。

 部屋の外には白い衣服を着た人員が行き交い、窓からはビルや道路が見える。


 つまり、コロニーの中に潜入できたということだ。


 あとは、なんとか抜け出して――――




 ベッドから出ようと上体を起こすと、ブザーが鳴り出した。

 

 ――しまった、拘束されるか!?


 窓から見える景色から察するに、この部屋はかなり高層にある。

 抜け出したとしても、見つからずに脱出できる保証はない。


 ――どうすれば……



 部屋の外から、数人の足音が迫ってくる。

 音の高さや反響具合から察するに、成人男が2人と、女性か若い男が1人。

 成人男性の片方はビジネスシューズ、一方は軍用のコンバットブーツ。残りは民生品のブーツのようだった。

 

 おそらく、医師と軍人と……付き添いの何者かだ。

 軍人による尋問――もしくは、聴取か。



 部屋を再度見回すが、武器になりそうなものは見当たらない。

 点滴用のチューブを使ったとしても、敵を絞殺するには強度が足りない。それに複数人を同時に無力化するには時間が掛かりすぎる。


 ――冷静になれ、何か手が……


 ふと、自分の枕元を確かめると、そこにはカードがあった。

 そこには氏名らしき文字列が記載されている。


 〈クロエ・コーサカ〉

 輸送船の船内で手に入れた乗客のIDカード。

 

 わたしが入れ替わる相手の名前――――



 ――そうだ、わたしは……〈クロエ〉。


 相手が何者であれ、破壊された輸送船に乗船していた民間人を装うだけだ。

 何も知らない、気が付いたらここにいた――そう言うしかないだろう。



 足音が部屋のすぐそこまで迫ってきていた。

 ドア越しに彼らの姿が見える。


 白衣を着たメガネの男、軍服の男、その後ろにもう1人。

 ドアがスライドし、男たちが入ってくる。

 

「怖がらないで、ここは安全な場所だよ」

 メガネの男が口を開く。

 軍服の男がその横に並ぶ、最後に入ってきたのは……成人にも満たない男のようだった。



「いくつか質問させてもらうが、いいかい?」

 軍服の男がベッドの柵に手を掛けながら言う。

 その動作の最中、着ていた軍服の胸部が不自然に揺れたのが見えた。


 おそらく、ショルダーホルスターに拳銃を忍ばせているのだろう。

 サイズまではわからないが、コロニー軍が採用している拳銃でショルダーホルスターが使えるものは限られる。


 

「氏名は?」


「……クロエ・コーサカ」


 軍服の男は柔らかな笑顔のまま、続けて質問を浴びせてくる。


「出身は?」


「覚えていない」



「乗っていた輸送船の名前や所属企業名は?」


「知らない」



「どこから乗ってきたか覚えているかい?」


「覚えていない」




 軍服の男がわざとらしく首を傾げ、メガネの男が手にしているクリップボードを覗き込む。


 ――適当過ぎたか……?


 答えようにも、それを調べる時間は無かった。

 誤魔化すために迂闊なことを口走るよりも、マシな選択肢のはずだ。



 

「……カールという名前に聞き覚えは?」


「知らない」



「ふむ……」

 軍服の男が考え込むような仕草をする。

 

 その〈カール〉が何者かは知らないが、〈クロエ・コーサカ〉に縁のある人物かもしれない。

 ただの乗客に人物名を質問するということは、もしかして〈クロエ・コーサカ〉は一般人ではなく、コロニー軍の重要人物だった可能性もある。

 その〈カール〉という人物は、同僚もしくは護衛対象者なのだろうか――――



「大尉、もしかしたら心因性ショックによる健忘症の可能性があります。無理に聴取はなさらない方が……」


「うむ、そうだな。あの惨劇から生還したんだ、それを思い出させるのも酷だろう」



 すると、今度はメガネの男が質問を始める。

 内容は現状の自覚症状や調子といったものだった。

 主に応急処置した負傷箇所について聞かれたが、既に痛みや違和感は無かった。

 特に問題が無いことを伝えると、わたしの回答を聞いて満足したのか、メガネの男は部屋を出て行く。

 


 そして、ずっとわたしを観察するように視線を向けていた軍服の男――大尉が再び口を開く。


「それにしても見事な応急処置だった。もしかして、どこかで訓練でも受けたのかい?」


 ――疑われているのか……?


 身分を偽るなら、入念に対象人物の素性や経歴を把握する必要がある。

 わたしはそういった任務の経験が無い。それなのに思いつきで「入れ替わり」を実行してしまったのが裏目に出てしまったのかもしれない。



「……シロー教官、もういいじゃないですか」


 未成年の男が声を上げる。

 すると、大尉は肩を竦めるようにしてベッドから離れた。



「――もう、大丈夫だからね。クロエ」


 そう言って、未成年の男がわたしに手を伸ばしてくる。

 反射的に身を引いてしまった後、彼の表情が強張ったのがわかった。

 おそらく、彼は〈クロエ・コーサカ〉と親しい関係にあったのだろう。


 わたしはクロエ、だから触れようとしてきたに違いない――



「本当に、カールという名前に聞き覚えはないか?」


「教官、もういいです……もう、大丈夫ですから」

 未成年の男がそう言うと、大尉は『わかった』と返事をして部屋から出て行った。



 残った未成年の男は、わたしに笑いかけてくる。

 だが、その表情は硬い。




「クロエ、君は地球から遠い旅をして、ここまでやってきたんだ」

 男の手が伸びて、わたしの手に触れる。

 そして、そっと包み込むように握ってきた。



「地球での暮らしとか、コロニーを転々とする旅は大変だったと思う。輸送船のことだって、酷い光景を見たかもしれない」


 彼の言う内容は〈クロエ・コーサカ〉に関連する内容だろう。

 親しい関係なのは間違いないようだが、どこか違和感があった。



「僕のことを思い出せなくてもいいんだ……君が、生きていてくれるなら」



 この男を殺して逃げ出すという案が思い浮かんだが、言葉にできない違和感のせいで決断まで至らない。


 感傷的になっている彼の言葉を黙って聞くのが、最善の選択なのだろう。




「コロニーでの暮らしは地球ほど酷くない。でも、仕事とパイロットの訓練の両方を続けるのは、けっこう疲れるんだ。それでも、君との手紙のやりとりで励まされて、続けられたんだ」


 彼の言葉でようやく、違和感が払拭できた。

 この男は〈クロエ・コーサカ〉と文通というものをしていたのだ。


 親しいには違いないが、顔は知らない。

 だから、わたしがクロエではないことに気付かないのだ。



「コロニーの外での暮らしを、この〈E2サイト〉以外での世界を教えてくれたのは君だ。いくら感謝してもしきれない、そんな君を家族として招き入れることができて、本当に嬉しいんだ」


 ――家族に、招き入れる?


 疑問が顔に出てしまったらしい。

 すぐに、彼が答えを教えてくれた。



「君がジャパンという国で生まれ育って、そこから逃げ出さないといけなくなって――その時、僕から提案したんだ。両親を説得するのは大変だったけど……みんな、君が来るのを待ってるよ。家族だけじゃない、一緒に君を救助しに出てくれた親友もいる――」


 彼の言葉をうまく呑み込めていない。

 〈クロエ・コーサカ〉は、この男の家族に――その一員に加わる予定だった。ということがはっきりした。


 この医療施設を出てからは、彼の世話になるしかない。

 そこから情報収集して、潜入している「ホワイト・セイバー隊」と接触。そこでようやく、わたしの任務が始まる。


 まずは、メガネの男の言っていた「健忘症」のフリを続けなければならないだろう。



「――ごめん、その……まだ、何も思い出せないのに、一方的に話してしまって……」


「大丈夫、だ」


 彼の表情が明るくなった。

 わたしのことをクロエだと信じ切ってくれているらしい。


 それはわたしにとって、色々と都合が良い。

 状況としては最悪だが、悪くない展開ではある。


 少なくとも、何かトラブルを起こさない限り、彼がわたしを〈クロエ〉であると保証してくれる。



「今日のところは、一旦帰るね。すぐに退院できるらしいから、その時に迎えに来るよ」


「……わかった」


 彼の手が離れ、ベッドから離れる。

 そして、ポケットから何かを取り出した。



「これ、返すよ」


 彼の手の中には、青い石がはめられた装飾品。ペンダントがあった。

 輸送船の中で、本物の〈クロエ・コーサカ〉の死体からIDカードと共に盗んだものだった。



「ちょっと興味があったから調べてみたんだけど、その宝石はブルーサファイアって言うんだって。成分分析したら地球産のものらしいよ」


「これが、地球のもの……」


 彼からペンダントを受け取り、光に透かしてみる。

 小さな青い石は複雑な光り方をして、何故か目を離せなかった。

 

 任務や状況のことで頭を動かしていなければずっと眺めていられる、そんな気さえした。この小さな青い鉱物に、何か特殊な力があるのかもしれない。



「――削ったりしてないから大丈夫だよ。電子顕微鏡とかスキャンとかに掛けただけだからね……その、僕が言い出したんじゃないんだ。えーと、その……レッティって友達が……」


 あたふたと慌て始める彼を余所に、わたしはペンダントを眺めていた。

 

 わたしが守るべき地球。それと同じ色であり、そこから産み出された鉱物。

 他人から奪ったものではあったが、わたしにとって何か特別な物のように思えた。


 まだ、言葉にできない何か――少なくとも、わたしにとって悪いものではないような気がする。




「じゃあ、あとは帰るよ」


 彼は背を向け、部屋から出て行こうとする――が、突然こちらに振り返った。





「僕は、カール」



「――えっ?」

 わたしは思わず聞き返してしまう。


 だが、彼は微笑みながら言い直した。



「僕の名前は、カール・コーサカ。君の……家族だよ」

 彼はそれだけ言うと、部屋から出て行ってしまった。



 軍服の男――大尉が何度も聞き返した名前、それはあの未成年の男の名前だった。

 それの問いにどんな意味があったのかは知らない。


 単純に〈カール〉が〈クロエ・コーサカ〉と知り合いであるということを把握していた、その確認の質問だったのかもしれない。



 少なくとも、大尉と〈カール〉には訓練生と教官以上の繋がりがあるのは間違いない。

 彼の言う『救助』がどのように行われたのかも気になるが、それは重要ではない。



 〈カール・コーサカ〉という未成年の男は、少なくともただの一般人ではない。

 パイロット訓練生がどういったものかは知らないが、軍上層部と何らかのコネクションを持っているのは間違いない。


 それと同時に、わたしの言動は『大尉』に筒抜けになる可能性がある。

 一般人になりすますにしても、小さなミスで偽装を見破られるかもしれない。

 行動には細心の注意を払う必要があるようだ。



 だが、許容できるリスクだ。

 軍から監視されたとしても、期間はそれほど長くないだろう。

 最初は住環境や人間関係の把握に尽力しなければいけないのだから、潜入部隊の動向を調べる余裕は無い。


 よって、監視や報告があったとしても、素性が割れることは心配しなくてもいいはずだ。




 そこまで考えてから、わたしは横になった。

 真っ白な天井を見上げながら、彼が――カール・コーサカの言っていた『家族』のことを考え始めていた。



 わたしは人為的に産み出されたヒトの形式を保った兵器だ。

 白兵戦やモビル・フレームの操縦に適した因子を持つ遺伝子を掛け合わせ、保育ポッドの中で造られたバイオ・ソルジャー。


 当然、わたしたちのような「ジュリエット・ナンバー」に親はいない。

 元になった人物はいるかもしれないが、その遺伝子は調整を受けているはずだ。

 

 家族という概念は知っている。

 男と女、自然界で言うところのオスとメスが生殖行為をした結果、生まれる関係性だ。

 異性同士の親とそこから産み出される子、その子の連なりを兄弟や姉妹と呼ぶ。


 または、結束の強いグループやコミュニティを『家族』と評する事例もあると聞いている。



 ならば、遺伝子的には全く関連性のないはカールたちの家族になれるのだろうか?

 そもそも、家族という集団は何を目的として活動しているのか。


 


 ――わからないことだらけだ。



 少なくとも、カールは誰かの親――のようには見えない。

 ならば、彼は『家族』におけるの位置にいるはずだ。


 つまり、彼の信用を得ても、から疑われては意味が無いということになるのだろうか?




 途端に疲労感が押し寄せてきて、瞼が重くなる。

 覚醒後、状況把握まで時間が掛かったせいか、身体が緊張していたらしい。そのせいで体力を消耗していたようだ。



 ――どうせ、退院とやらが来るまで身動きは取れないんだ。


 

 軍や大尉、この医療施設の人間から疑われているかもしれないが、強引な手段は使ってこないだろう。

 もし、使われたとしても――その時は、素直に諦めるしかない。


 ジュリエット・ナンバーには、最低限の情報しか与えられない。

 わたしが自供できるとしたら、このコロニーに仲間がいると口走ることだけだ。



 少し眠って、体力を回復しよう。それをする時間は充分にある。

 今はただ、待つのみだ。



 本来なら警戒すべき敵地。気を抜くことはあってはならないはずだ。

 それなのに、この医療施設のベッドは――恐ろしいほどに寝心地が良かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る