Act:00-5 サバイヴ
痛みで視界が揺らぐ中、真っ暗なコクピットでサバイバルパックを取り出す。
その中からスプレー缶を取り出し、負傷した箇所に吹き付けた。
ジェル状の薬液が患部に浸透して止血、同時に損傷したパイロットスーツの気密性を補うというものだ。
それでも痛みには効果が無い。
この機体の電装系はもう使い物にならないようだ。
敵機が使っていた武装のせいかもしれないが、敵パイロットが的確に攻撃してきたのが大きな要因だろう。
――わたしを殺せなかった、詰めの甘いヤツだ。
電装系が死んでいる以上、位置情報を知らせるビーコンや通信機は使い物にならない。
コクピットという狭い空間では、酸素を充填しても数時間で枯渇してしまう。
それに、損傷している以上は気密性が保たれている保証は無い。
少なくとも、真っ暗なコクピットにいても周辺の情報は集められないのだ。
だから、機外に出ることは決定事項である。
シートの格納部からバーニアパックを取り出し、背負うようにしてパイロットスーツに装着。
グリップ型コントローラーを引き出し、左手で握る。
これで機外に脱出する準備は完了。
破片が刺さった肩や腹部の痛みに耐えつつ、コクピットハッチの開閉レバーに手を掛ける。
電装系が使えない状態のレバーは非常に重い。動かせないことはないが、負傷した状態でやるようなものではないのは間違いないだろう。
深呼吸しながらレバーを引き起こす。
すると、鈍い音と共にコクピットに変化が起きた。
ゆっくりとハッチが開き、目の前に漆黒の世界が広がる。
極限環境の宇宙空間。敵だけでなく味方からも遠い位置、様々な残骸が彷徨う暗礁宙域――そんな環境での生還率はかなり低いのが現実だ。
わたしのような〈ジュリエット・ナンバー〉は道具だ。
使い捨ての兵士、パイロット、いくらでも代わりはいる。
――でも、死ぬわけにはいかない。
わたしはただの駒でしかない。
だが、わたしの使命は戦い続けることだ。
視界の中に見覚えのある形状の物体が流れてきた。
それは民間に普及している輸送船、ジュリエット08とわたしが拿捕しようとしたものだ。
船体の半分が崩壊しているが、まだ気密性を保っている区画が残っている可能性もある。
長距離航行をしている輸送船の客室には高速巡航の負荷軽減や回復を目的とした「メディカルポッド」の設置が義務づけられている。
ポッドそのものは緊急時にシェルターとして運用が可能だ。
迷っていられるほど、わたしに時間は残されていない。
パイロットスーツに装着されているものやサバイバルパックに積み込まれている酸素カプセルの総量は30時間分だけだ。
安全な場所で「鎮静剤」を使って、救助が来るまで耐えなければならない。
意を決して、コクピットから飛び出す。
コントローラーのトリガー・スロットルを引いて、バーニアパックからの推力を得る。
振り向くようにして、動かなくなった乗機を見ると――その惨状に思わず声を漏らしてしまった。
引き千切れたような四肢、頭部は根元から吹き飛び、胴体はコクピットのすぐそばまでを抉るような大きな風穴が空いていた。
やはり、敵機の武装は強力だ。射撃精度も凄まじかったが、威力もとんでもない。
交戦中に見た印象では、大口径の大砲のようには形状の火器ではなかった。
どちらかと言えば、扱いやすいマシンガンのような大きさだ。
――あの機体は、大きな脅威になる……!
火力が凄まじいだけでなく、何らかの装備でこちらの攻撃を無効化したことも気になる。
総力戦になれば、あの機体だけでも我々は甚大な被害を被るのは間違いない。
あれこれと考えている間に、わたしは損壊した輸送船に辿り付いた。
おそらく、生きている人間はいないだろう。
――生きててもらっても困るが……
今回の作戦は潜入が目的だったため、機体に搭載していたサバイバルパックには武器が入っていなかった。
武器として使えるのはパイロットスーツに固定しているコンバットナイフだけだ。
民間の輸送船にだって武装した警備員くらいはいる。
見つからないことを期待するしかない――
バーニアパックを操作し、船体上部へ回り込む。
船体は中央が分断されるように崩壊している。内部への侵入は難しくなさそうだ。
警戒しつつ、船内へ潜り込む。
重力制御ユニットが停止しているらしく、船体の破片や遺体が浮遊していた。
船内は複数の連絡通路、大量の個室によって構成されている。
詳しくは知らないが、乗客はそれぞれの個室で生活し、場合によっては広めのラウンジルームで交流したりすると聞いたことがある。
ここは輸送船の前半分、コクピットに近い区画だった。
怪我を治療するには気密が確保されている必要がある。
パイロットスーツを脱ぐには、酸素や室内気圧が無ければならない。
少なくとも、コクピットに向かえば各区画のステータスを確認できるはずだ。
壁面や床を蹴るようにして、連絡通路を進む。
そして、通路の突き当たりに気密ドアが現れた。
ドアには『関係者以外立ち入り禁止』と表記されている。
――ここだ。
ドアを開閉するためのコンソールは損傷していて、操作することはできない。
しかし、緊急時用のシステムが働いているせいか、ドアは僅かに開いている。
その隙間に手を掛け、爪先を滑り込ませた。
力を入れ、ドアをこじ開ける。
破片の刺さった箇所に鋭い痛みが走り、吹き付けた薬液のジェルが少しずつ剥がれ始めた。
赤い雫が負傷箇所から漏れ出し、痛みが増す。
こんなところで時間を無駄にするわけにはいかない。
パイロットスーツが壊れてしまえば止血することができないし、宇宙線による汚染を受けてしまう。
一刻も早く、気密性の確保された部屋で「メディカルポッド」を見つけなければならない。
機密ドアがゆっくりと開き、コクピットが見えた。
身体を滑り込ませるようにして侵入、目の前にある操縦席に取り付く。
操縦席には宇宙服を着たパイロットが座っている――が、死んでいるようだ。
コクピットの前面を保護しているシールドキャノピーは割れている。そのせいで小さな破片が操縦席にいるパイロット2名を穴だらけにしたのだろう。
彼らが着用していた汎用宇宙服、その真っ白な硬質樹脂製のスーツは複数の箇所に陥没や風穴があった。
パイロットの死体のすぐ横からコンソールを操作し、船内のチェックプログラムを確認。
すると、船体前部の居住区画は気密が確保されているらしい。
生存者が潜んでいる可能性もあったが、わたしに迷っている時間は無い。
コロニー軍と地球連合軍のパイロットスーツの差異を判別できないほど情勢に疎い民間人だったら騙せるかもしれないが、これ以上のリスクは冒せない。
再び通路へ戻り、コンソールで確認した区画へ向かう。
コクピットからすぐの左舷側、たった一部屋だけが損傷を免れていた。
その部屋にアクセスできる通路のエアロック部を通過し、酸素が残っている区画に侵入。
あくまで酸素が残っているというだけで、重力制御や環境維持機能は停止している。
小さな損傷で酸素が漏れている可能性や崩壊の危険性もあった。
ポッドのように安全を確保できなければ、待機や治療は不可能だ。
目的の部屋の前に辿り着く。
この区画の電源がまだ稼働しているおかげで、ドアを開けるのは難しくなさそうだ。
左舷区画の気密が保たれているから、ドアを開けても問題は無いだろう。
――中に生存者がいなければいいが……
コンバットナイフを手に取り、身構えたまま部屋のドアを開けて飛び込む。
その勢いのまま、部屋の中にあった人影に向けて吶喊――
ナイフの刃を突き立てようと構えたが、部屋の中にいた人間は明らかに死んでいた。
部屋の中で体勢を整え、その死体を観察する。
個室にいたのは下着姿の女性、年齢は判別不能だが若年層なのは間違いない。
そして、その女性は……頭が潰れていた。
重力制御ユニットが故障したせいで家具や荷物が宙を舞い、身体を挟まれてしまったのだろう。
生憎、挟まれたのが「頭部」だったのが運の尽きだったというところか。
部屋の中に設置されている「メディカルポッド」に問題は無い。
中の医薬品や酸素カプセルは使われた痕跡は見当たらない。
この状態なら使えるだろう。
パイロットスーツを脱ぎ捨て、サバイバルパックから医療キットを取り出す。
止血剤アンプルを注射器に装填し、負傷箇所に打つ。
スプレーと同じく、ジェル型止血剤が出血や炎症を防ぐものだ。
しかし、ジェルが固まるとかなり冷たくなってしまう。
このままでは体温と体力を消耗して動けなくなってしまうだろう。
確認できる負傷箇所に止血剤注射と医療用ホッチキスで応急処置。
あとはポッド内で救助が来るまで、眠って待機するだけだ。
装備を全て脱ぎ捨て、支給された肌着だけの姿でメディカルポッドの気密ドアを解放。
中にあるジェルベッド――低温睡眠のための装備を確認し、使用に問題が無いことを確認。
あとは専用の鎮静麻酔薬を服用して眠りにつくだけだ。
ジェルベッドに付属している酸素剤の容量的には、3ヶ月が限界だろう。
その期間内に味方が発見してくれれば、わたしは生還できる。
そして、あの機体のことを伝えなければならない――
ポッドの中に身を潜めようと気密ドアのロックハンドルに手を掛けようとした時、作戦概要が脳裏に蘇った。
今回の作戦、〈ホワイト・セイバー隊〉による潜入工作任務。
それは通常、数ヶ月掛けて行われる。
コロニー管理会社に成りすまして様々な妨害やセキュリティに穴を開けるといった破壊工作を実施。
その間、艦隊はコロニー側の哨戒部隊を闇討ちしつつ、徐々にコロニーに接近。
潜入した〈ホワイト・セイバー隊〉が助けに来ることはありえない。
コロニーの中に入ってしまえば、周辺宙域まで出てくることは不可能だ。
また、潜入部隊の状況を本隊が知るには破壊工作の工程を全て終える必要があった。
つまり、わたしが味方に発見してもらえる可能性は限りなく少ない。
この輸送船が目的地である〈コロニー・E2サイト〉に向かっていたかは不明だ。
もし、コロニー側がこの輸送船を認知していれば生存者を探しにやってくるだろう。
その時に身分を偽る必要がある――
個室にいた女性の遺体、その首元にはアクセサリーとIDカードがあった。
激しく変形していて、カードに封入される身分証明用のDNAパッチは割れてしまっている。
顔写真もボロボロ、身分特定用のDNAパッチも使えないIDならば誤魔化すのは難しくないはずだ。
IDカードに刻まれている名前は『クロエ・コーサカ』。
年齢は20歳、出身は地球の極東地域。血液型はわたしと同じだ。
ペンダントと一緒にIDカードを手にし、首に掛ける。
パイロットスーツや装備を遺体と共に部屋から排除し、改めてメディカルポッドに身を隠す。
――大丈夫、なはずだ。
わたしには、身分を偽るための装備は無い。
救助しにきた人物が詮索好きじゃないことを祈るしかないだろう。
気密ドアを閉じ、ロックハンドルを回す。
これで輸送船が崩壊しても、メディカルポッド内の気密が保たれる状態になった。
あとは、ただ待つのみ。
ポッド内にある医療品を開封し、鎮静麻酔薬と飲用蒸留水のボトルを取り出す。
カプセル錠剤を口に放り込み、蒸留水で飲み下す。
薬の効果は数分で現れる、すぐにジェルベッドに入らなければいけない。
ポッドの壁面に固定されているカプセルユニット、棺のように見えるそれに身体を収める。
中にある酸素マスクを口にはめると、カプセルユニットのハッチが閉じた。
間もなくして、カプセル内にジェルが充填され始める。
痛みのように感じるほど冷たいジェルが全身を覆っていく。
負傷箇所はしっかり処置しているし、ジェルベッドの薬液が触れても大丈夫なはずだ。
だが、その冷たさに思わず身をよじらせてしまう。
鎮静麻酔薬が効けば、身体の感覚が消失して何も感じなくなる。
それまでは仮死状態になるまで耐えるしかない。
――それにしても、撃墜されてしまうとは……
あの翼を持った敵機は、チューニングした〈30式〉程度の機体では太刀打ちできない。
潜入して、あの機体を出撃できないようにすれば――勝ち目はあるはずだ。
そう考えれば、コロニーに潜入する方法として民間人として救助されるというのは悪くない手かもしれない。
『クロエ・コーサカ』
この名前を、覚えないといけない。
モビル・フレームを操縦したり、銃撃戦や潜入工作をするための兵器。
ヒトと同じ構造をしているだけの装備である「ジュリエット・ナンバー」のわたしは、民間人のフリなんてできるのだろうか?
これまでの潜入任務は、基本的にコロニー管理会社の作業員として過ごしてきた。
コロニーの街中に出る理由も無ければ、他人と接触することもない。
それは全て、部隊長の仕事だったからだ。
武器や装備の準備をし、搬入したモビル・フレームの整備をして、与えられた糧食を摂取するだけの日々。
それは平時も、潜入中も変わらない。
ヒトではないわたしが、ヒトのフリなんかできるのだろうか。
でも、やるしかない。
それが任務だからだ。
徐々にジェルの冷たさを感じなくなって、瞼が重くなってきた。
薬が効いたのか、それとも低体温症になったのか、どちらにしてもわたしは起きている必要が無い。
薄れゆく意識の中、ジェルの中を漂う何かが眼前で留まった。
IDカードに絡みつくように巻き付く、金属製の何か。それは女性の遺体からIDカードと共に奪い取った装飾品だった。
その装飾品には、青色の鉱物がはめ込まれている。
こんなモノに価値はあるとは思えない。
だが、不思議とその鉱物に視線が釘付けになっていた。
わたしは、地球連合軍に所属している。
しかし、その『地球』という星を見たことはない。
水や自然が豊富な、青い惑星。人類の故郷――
コロニー軍事連盟は地球の資源を奪おうと画策している。
その地球という星は、この鉱物のように青いのだろうか。
提督や隊長は『地球は美しい』と言っていた。
その『美しい』という感覚はわからない。
だが、目の前にある青い鉱物はいくらでも眺められる気がした。
ずっと、見ていたい。
そう思っていても、重たくなる瞼には耐えられなかった。
やがて、意識が闇に沈む。
不安はあったが、鎮静剤で鈍化した思考では何も考えられない。
宇宙空間のように、果てしない闇を見つめながら……わたしは眠りについた。
いつ助けに来るかもわからず、解決方法も無い。
それでも、なんとかなるようなイメージは描ける。
今は、それで充分だった。
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