Act:00-2 ブロークン・ダウン 2
退屈な毎日がずっと繰り返されている。
わたしはそれにすっかり飽きてしまった。
コロニー間移動はもう何回目かわからない。
アタッシュケースにありったけの地球貨幣を詰め込み、ボストンバッグに着替えを押し込み、大切なモノはバックパックに梱包して入れてある。
そんな大荷物で地球発のシャトルに乗り込んで、遙か彼方にある〈コロニー・E2サイト〉に向かっているのは、わたしが難民だからではない。
――むしろ、わたしが難民なわけないじゃない!
幼少の頃からペーパーメールでやりとりしていた親戚、その子の所に移住するためにこんな旅をしている。
地球とコロニーが戦争しているというのに、わたしたちは暢気なものだ。
唐突に、誰かがわたしの部屋のブザーを鳴らしていた。
今日はクリーニングサービスを利用してないし、デリバリーも頼んでいない。
そうなると、相手は限られてくる。
わたしは部屋着を脱いで、下着姿になる。
数ヶ月以上、この部屋と船内施設だけで過ごすのは非常に不愉快だ。
だが、それは他の乗客も同じ。
だから、乗客やスタッフの交流が絶えないし、船内でビジネスを始める者も出始める。
わたしは金に困っていない。
足りていないのは、刺激だ。
数日ぶりに気絶してしまうほど没頭できると思うと、今から興奮してきた。
期待を胸に、出入り口のドアを開閉させるスイッチを押す。
空気の漏れる音と共に、機密扉がスライドするとそこに立っていた男の姿で,
さっきまでの興奮があっという間に冷めてしまった。
「やあ、お嬢さん」
被っていた帽子を手に、男は一礼する。
隣の部屋に滞在している老紳士だった。2ヶ月前に一度相手をしてから、ずっと付きまとってくるようになった。
彼曰く『昔、愛していた女性の若い頃にそっくりだったから』『何度か、コロニー間輸送船で見掛けていた』という言い分だ。
複数の男と肉体関係を持っていることを、彼は心配しているらしい。
迷惑でしかないのだが、彼の紳士的な態度は魅力的ではあった。
ただ、無駄に長い前戯はわたしにとって、少しも楽しくなかったのだが。
「どうしたのミスター?」
「そろそろ、君の目的地だと思ってね。最後にお礼を伝えに来たんだ」
彼はそう言って、レトロなビジネススーツの懐から何かを取り出した。
わたしの手を取って、その何かを持たせる。
それはペンダントだった。
指の爪ほどの大きさをした青い宝石がはめ込まれている。
「これは地球産のサファイアだよ。君も、私も、同じ地球育ちだからね」
宝石にはそれほど詳しくないが、ペンダント自体は年季を感じる品だった。
おそらく、価値のある物なのだろう。
「これは……受け取れないわ」
「いいや、受け取って欲しい。君には本当に感謝しているし、出逢えて良かったと思っている」
何度か言葉を交わし、一緒に食事をして、たった1回だけ身体を重ねた女に何を感謝するというのだろうか?
「君のおかげで、妻のことを思い出すことができたんだ。仕事に没頭することで愛する人のことを忘れようとして……」
「もしかして、このペンダントは――」
「そうだ、妻の物だ」
そんな大切な物を他人に譲っていいわけがない。
それを突き返そうとするが、彼は首を横に振った。
「君のおかげで吹っ切れたんだ。私は忘れようとしたんじゃなくて、彼女をいなかったことにしようとしていたんだ。だけど、君のおかげでそれが間違っていることに気づけた」
彼の言うことはよくわからなかった。
それは忘れることと何が違うのだろうか。
「このペンダントは処分してくれてもいい。ただ、君の旅の終わりを何か形にするべきだと思ったんだ」
目的地が〈コロニー・E2サイト〉であることを話したことがあった。
地球のジャパンという国で富裕層の子供として生まれ、豪邸で育ち、貧困層のデモ隊に両親と家族を殺され、逃げ場を求めるようにして宇宙移民の親族の元へと向かっている。
そんな事情を、彼に明かしていた。
気を許していたわけではない。同情してほしかったわけでもない。
同じ地球生まれの人間として、共感してもらえる話題だった。それだけなのだ。
「これは迷惑料でもある、受け取ってくれないか……クロエ・コーサカ」
彼には何を言っても、無駄だ。
それに、彼の言うように旅の思い出として何か一品を持っていても悪くないかもしれない。
そう思うことにした。
「ありがとう、ミスター。わたしもあなたと話が出来て良かったわ」
彼は朗らかな笑みをしつつ、帽子を被る。
そして、1歩後退る。
「君の旅路に、良き終わりが訪れますよう……」
彼はそう言うと、ドアは閉じてしまう。
出会いと別れ、この旅で何度も繰り返してきた。
ただの通過点でしかないのに、たくさんの人と巡り会うことになった。
地球での生活では、家族以外の人間と直接出会うことは無かった。
通信教育の講師、ライフ・インストラクター、デリバリー・ポーター、何かしらのサービスを通じてでしか他人を知ることが出来なかった。
だからこそ、家族以外にどんな人が生活しているのかを知らない。
でも、この旅でそれを見ることができた。
それに、こんなわたしでも人に何かを与えることができる――
地球やコロニーで数々の料理を調べ、見聞きし、味わった。
それが出来たのも、手紙でやりとりしていた年下の親戚のおかげなのだ。
老紳士から受け取ったペンダントを身に付け、部屋の窓辺に座る。
椅子の上に放り投げたままのIDカードを手にして、ネックストラップに首を通す。
壁に付いているボタンを押し、覗き窓を覆っているカバーを解放した。
小さな四角の窓から見えるのは、何度も見てきた宇宙空間。
闇と何かの残骸、岩、そこに広がるのはただの虚無だ。
到着時刻は数時間後、この暗礁宙域を抜ければコロニーが見えてくるのだろうか。
硬い椅子に身を預けながら、窓から流れていくデブリを眺めていると、不意に違和感を覚えた。
窓から見える景色に、何かが見えた気がしたのだ。
もしかしたら、コロニー群かもしれないと覗き込んでみる。
それは青白い光だった。
ゆらゆらと揺れながら光るその色は、老紳士から貰ったペンダントの宝石の色に似ていた。
「旅の終わり、か」
この旅は生きるために必要だった。
ただ、コロニー・E2サイトに辿り着けさえすればよかった。
だけど、この旅はわたしにとって様々な出会いと体験を与えてくれた。
この思い出を、わたしを待っている子に聞かせてあげたい。
――カール・コーサカ、料理好きな男の子。
わたしより年下で、レストランで働いて、どんなことよりも料理のことばかり考えているおかしな子。
その子と家族と一緒に、新しい人生が始まる。
長年、手紙だけのやりとりだけをしてきたが、わたしにとって彼は他人ではない。
カールだけが、わたしにとって救いだった。
そして、この長い旅が終わる。
その先に、どんな日々が待っているのだろうか。
真っ暗闇の宇宙に輝くサファイア色の光の点を眺めながら、コロニーでの新しい生活を想像していた。
きっと、楽しい日々が待っているだろう。
仕事は大変だろうが、料理好きな彼を満足させられるだけの資料を用意している。
カールと共に色々な料理を作って、慌ただしくも充実した日常を過ごせるはずだ。
――カール、元気かな……。
顔も見たことのない男の子の様相をイメージしながら、わたしは瞼を閉じた。
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