第5話 うらら

 歩き続けること1日。

 足はガクガクだし、喉もカラカラ。

 スタミナはとうに底を尽き、中年は死にそうである。

 日はすでに暮れようとしている。

 こっちに来てから二度目の夕焼け。

 遮るもののない空は真っ赤に染まり、悠然とした太陽がゆっくりと沈んでいく。

 胸を打つ絶景だった。

 極度の疲労さえなければ。


「うー!」


 少女は、小高い丘の上で俺を呼んでいた。

 美しい金髪を、風に棚引かせながら。

 あの丘を登れと!?

 一日連れ回して、疲れ切った中年になんという仕打ちを。

 何度も付いてくのをやめようと思った。

 しかし、目の前でプリッとした生尻が揺れると、オスの本能で付いてきてしまった。

 腹筋を5回でやめる俺を1日歩かせるとは。

 生尻恐るべしである。


「ぜひーぜひー」


 妙な呼吸をしながら、丘を登りきる。

 もうダメだった。

 水飲みたい。

 むしろビール飲みたい。

 というかこんな脱水状態で丘に登って良いんだろうか。

 俺が目指すべきは、丘ではなく水場だったのでは。

 でも、丘の上に生尻があったから……。


「う! う!」


 少女が何かを指していた。

 ちょろちょろとした透明な音が聞こえる。

 岩から漏れ出すように、水が溜っていた。

 湧き水。

 まじか。

 考える前に、顔を突っ込んでいた。

 冷たい。

 溺れそうになるのも構わずに、水をごくごく飲む。

 甘かった。

 想像を絶する旨さだった。

 夏場のビールを余裕で超える。

 疲労した肉体に、水が染み込んでいく。

 乾きが、どんどん潤っていく。


「あー生き返った!」


 ざばっと水から顔を上げる。

 岩には大きめの洗面器くらいの水が溜っていた。

 細菌とかいるかも、なんて考えられないレベルの透明さだった。

 おっさんが顔を付けたばかりなので、なんか浮いているが。

 岩の器から溢れ出した湧き水は、ちょろちょろと丘を流れていく。

 そういえば、丘の上にいたんだった。

 水が旨すぎて忘れていた。

 丘の上は、岩だらけだった。

 しかも俺より大きな巨岩ばかり。

 湧き水の岩も含めて、巨大な岩がいくつもあり、それが小さな山を形成していた。


「うらら!」


 岩の間から、少女が顔を出している。

 中に入れるのだろうか。

 てててと近づいてきた少女は、その手にこん棒を持っていた。

 かつて俺を襲ってきた時に持っていたものに似ている。

 そうだ俺、こいつに襲われたんだった。

 思い出される嫌な記憶。


「う!」


 こん棒を俺に見せつけるようにして、ドヤッとした顔をしていた。

 あーはいはい。

 かっこいいかっこいい。

 こん棒を持ってどやれる少女ってどうなんだろうとは思うが。


「うらー」


 少女は俺の手を引いて、岩山の中に入っていく。

 そこにはぽっかりとした空間が広がっていた。

 岩に囲まれた空間。

 広さは6畳ほど。

 天井も岩だったが、僅かに隙間もあって、夕焼けの赤い光が差し込んでいた。

 岩屋とでも言うんだろうか。

 それとも岩戸?

 アマテラスさんが引きこもったのは、こんな空間だったのかもしれない。

 壁には数本のこん棒が立てかけられていて、床には毛皮のようなものが敷かれている。

 岩屋に繋がる入り口の地面には焚き火の跡があった。

 ここで生活している跡だった。


「もしかして、ここお前んち?」


「うらら!」


 少女は元気よく答える。

 まじかよ。

 美少女のお家に俺が来ていんだろうか。

 自分を犯した男を家に招くとか。

 おじさんちょっとこの子の将来が心配になっちゃうなー。


「うらー」


 少女は俺の手を引いて、岩屋から連れ出す。

 やっぱり許せないから警察に突き出す、のではなく他に連れて行くところがあるらしい。

 このノリでこの子についていって丸一日歩かされたのだ。

 俺は戦々恐々とした。

 しかし、少女に連れてこられたのはすぐそこだった。

 岩屋の裏手。

 1本の大きな木が生えていた。

 俺が両手を広げても掴みきれない太さの幹。

 高く伸びた枝には、葉っぱがみっちりと生えている。

 そんな木の根元。

 こんもりと盛り上がった土の跡が2つ。

 土の色が濃く、まだ新しい。

 墓だった。

 サッカーボールくらいの大きさの岩が、ぽんぽんと2つ置かれている。


「うらら……」


 墓の前に膝をつく少女。

 青い瞳を潤ませながら、新しい墓を見つめている。

 その時吹いた風は、冷たかった。

 とりあえず、墓に向かって両手を合わせる。

 きっとこの子の両親だろうから。



 この日の晩御飯は、昼間獲ったうりぼーだった。

 手際よくさばいた少女が焚き火で焼いてくれた。

 噛み付くと脂がじわりと溢れてきて、美味かった。

 欲を言えば塩気が欲しいところだが。

 歩き疲れた身体に、肉の栄養は嬉しい。


 岩屋の入り口付近で、俺達は火にあたっていた。

 パチパチと焚き火が小さく爆ぜる。

 辺りは闇に包まれていた。

 昨夜と同じくぼーっと焚き火を眺めながら。

 俺は少女の両親の墓のことを思い出していた。

 隣で同じくぼーっと焚き火にあたる少女。

 なんでこの少女が、俺を構うのか、少しわかったような気がした。

 父と死別したのは10年前、母は5年前。

 恋人と別れたのは3年前だったか。

 兄弟姉妹はいない。

 孤独になったが、辛さは感じなかった。

 ただ、寂しさは。


「うらー?」


 少女が心配そうな顔で、俺を見ていた。

 天涯孤独のおっさんはなんとか生きてきたが、天涯孤独の少女はどうなんだろうか。

 火に照らされたあどけない顔。

 握ったら壊れてしまいそうな程、小さな手。

 この子を一人にしておくのは、良くないと思った。


「……俺も、しばらくここにいていいか?」


 言いながら、キモイと思った。

 36歳の太ったおっさんが、女子高生くらいの女の子に何を言ってんだと。

 しかし、少女は。


「うらら!」


 そう言って、嬉しそうに笑ってくれた。

 意味が通じているのかは怪しいが。

 ここに来て、右も左もわからないのだ。

 美少女の同居人になるのもいい。


「うーん」


 改めて少女に挨拶でもしようかと思って、悩んだ。

 少女とかこの子とか呼んでいるが。

 名前なんていうんだろう。

 名前なんてないのかもしれないが。

 これから一緒に暮らすのだ。

 名前くらい付けてやろう。

 一つしか思いつかないが。


「うらら。お前の名前はうららだ」


 これ以外にない名前だった。

 少女をそう呼ぶと、最初から決まっていたのかってくらいしっくりと来た。


「うらら!」


 うららはそう言って嬉しそうにはにかんだ。

 かわいい。

 しかも、自分の名前がちゃんと言えて偉い。


「俺は達也な。タ・ツ・ヤ」


「う・う・ら?」


 首をこてんとさせながら反芻するうらら。

 まさかの二音で再現。

 まあ、語感は近い。


「ううら! ううら!」


 うららは嬉しそうにそう言って、大輪の花が咲いたような笑顔を浮かべたのだった。

 見惚れるような笑顔を。

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