最初のニュース

坂崎かおる

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 車が空を飛ぶようになって半世紀。随分と時が経つのは早い、と言うのは簡単ですけれど、そんなには軽やかではない人生だったように思います。一歩一歩はとても重く険しく、先の見えない暗いトンネルを歩いているようでした。でも、それでも、やはりこうして今、この立場になってから振り返ってみると、やはりそれは一瞬の、空を流れる雲のような、そんな一生だったかもしれません。

 私の名前は全く有名でないことは存じております。しかし、夫の名前は、検索をすればすぐに出てくることでしょう。取るに足らない雑学クイズにも、名前が流れることがあります。「空飛ぶ車の初めての交通死者は誰か」。不快かと言われれば否定ではできませんが、さすがにこの歳になって、あれこれと思うことは少なくなりました。

 私の夫は新しもの好きで、そしてその道楽を支えるだけの経済力がありました。空飛ぶ車が大手の自動車会社から出た当初も、いくつか所有していた車を売り払い、真っ先に手に入れました。そもそも、その前から、空飛ぶ車が運用できるようになると謳われた経済特区に引っ越しており、開発段階の車にも試乗して、それなりに人脈とコネを築き上げてもいました。私自身は、見てもらってもわかる通り、何の面白みもない人間です。趣味と言えば、お菓子作りを少し、嗜んでいるくらいです。ですから、ああ、またやっているなと、多少冷ややかに夫の様子を眺めていました。当時を知る人間ならおわかりかと思いますが、「空飛ぶ車」なんて、それが実用的になっていく世界を、容易に思い描けた人間はそうはいないのではないでしょうか。

 初期の頃、空の交通整理をしていたのは人間でした。今から考えると、何とも非効率なことをしていたと思われるかもしれません。けれど、地上を走る車だって、それが発明された時に、予め信号機やら横断歩道があったわけではないでしょう。技術はルールよりも先んじて形になり広まるのです。それは特区も例外ではありませんでした。

 交通整理の人間は、特区の場合は主に民間会社から派遣されていました。彼らは背中にホバリングの機械を背負って、不安定にふわふわ浮いていました。反射板のついたベストに、携帯型エアバッグ、そして片手に誘導灯と、確かにそれは工事現場の誘導員のようでしたし、給料もそこまでよくはなかったようで、それについては社会問題にもなったので、ご存じの方も多いでしょう。

「あいつらにはちょうどいい仕事だ」

 夫はそんな風に彼らを揶揄しました。根無し草のような連中だから、と。特区の空飛ぶ車の速度はかなり制限されていたのですが、夫は時々クラクションを鳴らし――そう、クラクションがあったんですよ――彼らの慌てる様子を見て楽しんでいました。

 先ほども言いましたが、私自身は空飛ぶ車自体にあまり興味はありませんでした。速度も遅いですし、「空」といっても、せいぜいビルの屋上よりちょっと上を飛ぶ程度です。法整備も十分とは言えず、これがこの先、本当に普及するのか、私は疑い深く眺めていました。

 私が興味があったのは、むしろ誘導員たちの方でした。特区の空を、クラゲのように漂う彼らは、私の住むマンションからもよく見えました。規則正しい動きや笛の響きは、新しい生活様式を感じさせ、少女のようにわくわくとしました。私たちの住む部屋は最上階にあったのですが、時々、目と鼻の先に彼らが浮いていることがありました。特区のルールは朝令暮改で、車のルートがたびたび変わることがあったのです。

 そのうちの一人に、トオルくんという子がいました。二十歳ぐらいの青年で、朴訥としたいい子でした。彼もまた、ある日、私たちのマンションの部屋の目の前で交通整理をしていたのですが、あまり要領のよくない子だったのか、珍しく渋滞を作ってしまいました。お察しの通り、あの特区に住んでいた住人は経済的に恵まれた人間が多く、そういう方たちは地位の高い場合もあります。そのような方たち全てとは言いませんが、往々にしてそういった類の方は特別扱いされないことに非常に不愉快になるものです。地上の混雑を避けて空を選んだのに、そこでも滞るのであれば我々の怒りは正当である、そういう理屈でしょうか、彼らは窓から顔を出し、大きな声で、トオルくんに怒鳴っていました。

 私はしばらくその様子を窓から眺めていたのですが、あまりにもいたたまれなくなり、少し助け舟を出してあげることにしました。夫の知り合いの方に連絡をとり、事故という体にして、技術スタッフを呼んだのです。

 駆けつけたスタッフは迅速に事態を解消し、ついでに試作型の誘導装置も私のマンションの近くに置いてくれました。そのスタッフとのやりとりを見ていたのでしょうか、トオルくんは仕事が終わる頃、私に礼を言いに来ました。私は何でもないことだと言って、また何かあったら連絡するように伝えました。幼い子供のように、彼は何度も私に頭を下げました。

 それからちょくちょく、私は彼とベランダ越しに会話をするようになりました。話してみると、私と同郷の出身で、通っていた中学校まで一緒でした。もちろん歳がだいぶ離れているので、同級生という訳でもありませんでしたが、私は懐かしく故郷の様子を語らうことができました。

「今度、母親が夏みかんを送ってくれるんですよ」

 ある日、トオルくんは私にそう言いました。彼はベランダの手すりに手をかけ、私の顔を横目で遠慮がちに見ていました。夏みかんは私の故郷の名産で、言葉を聞くだけでその香りが漂ってくるようでした。トオルくんは続けて、私に渡したいのだが構わないかと訊ねました。私は構わないと答え、自分は夏みかんのおいしいパウンドケーキの作り方を知っていると、彼に告げました。そうですか、とトオルくんは短く答え、私は彼を見つめました。空飛ぶ車が一台、のろのろと通り過ぎていきました。時間がかかるの、ジャムからつくるから。私はそう言いました。部屋で待ってもらうことになるけど。

「なら」トオルくんはおずおずと言いました。「お部屋にうかがいます」

 その翌週、彼は彼の足で歩いて、私の部屋に入ってきました。部屋の中での出来事は事細かには話しませんが、ご想像の通りです。もちろん、おいしいパウンドケーキも用意しました。

 私としては、初めのうちはそこまで自分が入れあげているつもりはなかったのですが、トオルくんの仕事の都合で数日会えない日が続くと、胸の中に焦燥のようなちくちくとした気持ちが湧いてくるのを感じました。彼に会う日はせっせと夏みかんのジャムを作り、ケーキやヨーグルトムースを仕上げました。彼はどれも、おいしそうに食べてくれました。

 だから、彼が衣装棚から貴金属類を盗んでいたことがわかった時は、かなりがっかりしました。怒りというより、落胆です。そこに少しの安堵もあったことは否めません。この秘密をこれ以上続けなくてもいいという、そういう安心です。この歳で恋や愛という言葉を使うのは恥ずかしさがありますが、トオルくんに対する感情は、そのような恋や愛というものとは、多少違ったものだと、自分の中で認識することができたからです。

 そのため、彼を轢き殺した時は、新しい感情は芽生えませんでした。自分の認識の再追認、と言ったところでしょうか。夫の空飛ぶ車から降り、隣のマンションの屋上のフェンスに風船のように引っかかる彼を見て、私は私の感情が誤っていないことを確かめることができました。

 ですから、「空飛ぶ車の初めての交通死者は誰か」という問いに、夫の名前を挙げるのは、本来であれば誤りなのです。それはトオルくんでした。私の同郷の、朴訥とした風情を見せる若者が、空飛ぶ車の最初の犠牲者なのです。私の夫は、私の起こした事を、手際よく片づけてくれた後、本当に運悪く、暴走した空飛ぶ車に轢かれてしまったのです。その報を受けた時、私は「天罰」という言葉が浮かびました。やはり、空に近い方が、罰を受ける可能性が高まるのだろうと、そんなことを思ったのです。夫には悪いことをしました。

 なぜ私が今更、こんな歳になって刑事さんにお話をしているのかというと、先日、「大気圏外での初めての交通事故」というニュースを見たからです。まさか生きている間に、宇宙空間で車が行き来する時代が来るとは思いもよりませんでした。そんな中、事故を起こした人、亡くなった人の詳らかな情報が流れていくのを眺めながら、やはり正しい話を語った方がよいだろうと感じたからです。些細なできごとではありますが、歴史には正しい情報を刻んでおきたいのです。

 ごめんなさいね、長々とお話をして。お気づきかと思うのですが、夏みかんがあるんです。いかがですか?

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