第46話 洗礼と告白 4

 日曜日の昼。清人は真子の家の前に立っていた。


 鎌倉駅から歩いて15分。潮風の香る、風光明媚な場所に真子の家はあった。大きく、どこか古風なその家は、真子のイメージにぴったりだと清人は思った。


 清人は何度もためらったが、深呼吸をして、覚悟を決めてチャイムを押した。


「ピンポーン」とチャイムの音が鳴り響いて数秒後、玄関のドアは開き、真子が出てきた。清人は真子が出てきてくれたので、正直ほっとした。


「おはよう、賀野君」と真子は言った。


 清人は真子に招かれて玄関へと入っていった。玄関先もとても綺麗で、隅々まで整理整頓されていた。


「今日はわざわざありがとう」


 玄関に上がってから、真子は言った。


「いや、大丈夫」


「家の場所はすぐに分かった?」


「うん。もらった地図も分かりやすかったよ」


「それなら良かったわ」


 二人はそんな会話をしながら、大広間の部屋の前まで来た。襖の前に立っているだけで、清人は中の重々しい雰囲気が分かるような気がした。


「お父さん、開けるね」


 真子がそう言うと、襖を開けて中に入っていった。清人も後に続いた。


 そこには真子の父・二階堂栄一が座っていた。大広間には新しく綺麗な畳が敷かれていて、栄一の後ろには高級そうな壺や掛け軸、日本刀まで置いてあった。


 清人と真子の二人は、栄一の前に敷かれている座布団の上に正座して座った。どこか説教を受ける前のような、重々しい雰囲気だったので清人は緊張した。


 二人が正座してから少し沈黙があった。この重々しい雰囲気の中で、栄一は清人をじっと見つめていた。


(本当に、春川さんの目力の強さは父親譲りなんだな)そう、清人は思った。


 清人がそんなことを考えていると、


「賀野君、よく来てくれたね」沈黙を破って、栄一は答えた。


「あ、はい。よろしくお願いします」


「そんな硬くならなくても大丈夫だよ」


「はい」


 清人としても自分がだいぶ硬くなっているのが分かった。自然体でいようと思っていても、やはり栄一の前ではそうはいかなかった。


「まず君に一つ、聞きたいことがあるんだが」


「はい。何ですか?」


「君のお母様が、夜川そら先生だというのは本当か?」


「ええ、まあ……母をご存知なんですか?」


「5、6年前だったかな。とある出版社のパーティーでお会いしたことがある。あまり多くは話せなかったけどね」


「そうなんですか」


「真子と同じくらいの年頃のお子さんがいらっしゃるとは聞いていたがね……まさか君だったとは」


 清人は真子の方をチラッと見た。真子もこちらをチラッと見ていて、バッチリと目が合ってしまったので、二人は慌てて目を逸らした。


「いや、世間は狭いね」栄一は言った。


 清人も正直驚いていた。同じ作家同士とはいえ、ノンフィクション作家と童話作家といった畑違いの二人で、出版社も異なっていたので二人に面識があるとは思っていなかったからだ。


「お互いペンネームしか知らなかったから君が息子さんだとは気付けなかったよ」栄一はさらに続けて言った。


「そうですね、名字も名前も違うので……」


「確か宮沢賢治から取られたペンネームだったね」


「はい。そう言っていました」


「確かに夜川先生の作品はどことなく賢治作品に雰囲気が似ているな……」


 そこからしばらく、宮沢賢治の話が続いた。最初の重苦しい雰囲気も消え、妙に和やかな雰囲気になっていた。清人は自分も宮沢賢治が好きだということを伝え、栄一と作品談義をするようになった。


「……いや、驚いたよ。ずいぶんと宮沢賢治に造詣が深いんだね」栄一は答えた。


「恐れ入ります」


「夜川先生とも少し話したかったな。学校の保護者会などではお会いしたことがなかったからね」


「そうですね」


「君のことも、保護者会なんかではよく話題に出るんだよ」


「僕のこと…ですか?」清人はキョトンとした。


「いや、悪い噂ではない。むしろ真逆と言うのかな。君が『聖人』と呼ばれていて、ボランティア活動などにも精を出しているということが伝わってきてね」


 清人はドキッとした。まさか保護者の間でも自分のことが取り沙汰されているとは思わなかったからだ。もちろん嬉しかったが、少し気恥ずかしさもあった。


「その件に関しては真子からも聞いていてね。立派な少年だと感心していたんだ」


「ありがとうございます」


 清人は栄一から率直に褒められて嬉しくなった。この前健次郎が言ったような『一発ぶん殴られる』ことも覚悟してこの会合に臨んだが、むしろ和やかなムードになってきたので拍子抜けしてしまった。


「おそらく父の立場としては、君のような子に娘の恋人になってほしいと思う人は多いだろうな。何せ『聖人』と呼ばれるほどの人格の持ち主なのだから」


「いや、そんな……」


「だが私は、そんな君にどうしても聞きたいことがあるんだ」


 急に深刻なトーンで栄一は言ったので、清人は驚いた。


「どれだけ時間を使ってもいい。一つ真剣に答えてほしい」


「何ですか」


 栄一は少し溜めてから


「君にとって真子とはどういう存在なのか、嘘偽り無く言ってくれ」はっきりとそう言い切った。

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