第44話 洗礼と告白 2
放課後。清人は真子の席にやってきた。いつもは真子の方から清人の席に来るのだが、今日は違った。
「……校門まで、一緒に行こう」清人は言った。
「ええ」真子は静かに答えた。
清人と真子は二人で静かに教室を出た。教室を出てからも、しばらく沈黙は続いた。
清人は昨夜のことを思い出すと少々気恥ずかしい思いがあったが、今自分たちは『恋人同士』なのだという実感が、おぼろげながらも出てきていた。
『彼女』として真子を見ると、清人は妙に意識してしまっていた。清人がそんな風に悶々としていると、
「昨日は、本当にありがとう」
真子は静かだがはっきりとした口調でそう言った。
「ああ、俺こそだよ」
「……ごめんなさいね、一緒に帰れなくて」
「いや、気にしないで」
「また私の方で、お父さんを説得してみるから」
「ああ、そのことなんだけど……」
清人はここまで言って、言葉に詰まった。
(春川さんのお父さんと直談判するにしても、具体的にどうすれば良いんだ?)
そう考えた。そもそも相手は『二階堂栄一』というノンフィクション作家の大先生で、自分のような一高校生が気軽に会えるような相手ではなかった。
それにここまで娘に対して過保護な父親なのだから、『娘の彼氏』という自分の存在を許してくれるのか? まずそこが疑問であった。
清人が神妙な顔をして考えていると
「ねえ、どうしたの?」と真子が尋ねてきた。
「ああ、ごめん……」
真子は思い悩む清人の様子を見て
「お父さんの説得は大変だと思うけど、何とか粘り強くやってみるわ」と答えた。
清人は真子に気を遣わせてしまったのを感じた。しかし改めて考えてみると、真子の父に直談判することのハードルの高さが、如実に感じられたと清人は思った。
そうこうしている内に、二人は校門のすぐ外まで来た。真子は名残惜しそうにして
「じゃあ、私はここで……」と言った。
「ああ、また明日」
「真子」
急に男の声で、そう呼ぶ声が聞こえた。
二人は驚いて声のした方を振り向くと、そこには黒のジャケットに身を包んだ、40代くらいの男性が立っていた。
「お父さん……」
真子は驚いた表情でその男を見つめた。
「お父さん?」清人は驚いて答えた。
「君にお父さんと言われる筋合いは無いな」男は静かにそう言った。
「ああ、いえ、すいません。そういう意味じゃ……」
清人はドギマギしながら答えた。
清人は軽くパニックになっていたが、それは真子も同様だった。真子にとって、父に二人でいるところを見られるのは誤算だった。
いつもは校門から少し離れたコインパーキングに車を停めて車内で待機しているのに、なぜか今日は校門の前までわざわざ出迎えに来てくれていたからだ。
「その子は誰だ?」
「お父さん、これは……」真子は言葉に詰まってしまった。
清人はうろたえている真子を見て、少し冷静さを取り戻した。そして、ここは自分がしっかり言わなければならないと思った。
「その、二階堂栄一先生ですか?」
「ああ」
清人は少し深呼吸をして、覚悟を決めて
「お会いできて光栄です。真子さんとお付き合いをさせていただいております、賀野清人と申します」
はっきりと言ってから、深々とお辞儀をした。
少し沈黙があった。清人は結構長めに頭を下げていたが、沈黙に耐えきれず、ゆっくりと頭を上げてみた。栄一の目は、怒っている訳でもなくどこまでも真っ直ぐに清人を見つめていた。
「そうか、君が賀野清人君か……」
やっとのことで、栄一は答えた。清人としてはその長い沈黙の間、生きた心地がしなかった。
「いや、君のことは真子から聞いている」
「本当ですか」
「私も君に会いたかったんだ」
「はあ……」
「ここだと何だな。悪いが君、今度の土日のいずれか空いているか?」
「土曜日はちょっとボランティアがあるので難しいですが、日曜日であれば空いています」
「そうか。いや、ボランティアとは感心するよ。それだったら日曜日のお昼頃に私の家に来なさい」
「え、伺ってもよろしいんですか?」
「ああ、君と話したいんだ」栄一ははっきりと言った。
(彼女のお父さんと、彼女の家でお話……)
清人は嬉しさと恐怖が入り混じった不思議な感覚になった。いきなり家にお呼ばれされるとは全く思っていなかったからだ。
「分かりました」
「よし、じゃあまた日曜日に会おう。時間も無いし、今日はこれで失礼するよ」
栄一はそれだけ言い残すと、パーキングの方に向かっていった。
「真子、行くぞ」栄一は振り返りもせずに言った。
「ああ、うん。お父さん」
真子は慌てて父の後をついていった。しかし真子は清人の方に一旦振り返って、
「ありがとう」
小さな声で、そう言った。その顔は喜びと感謝に満ちていた。
清人も軽く挨拶をした。真子と栄一の二人がそのまま視界から見えなくなるまで清人は佇んでいたが、しばらくして清人は我に返った。
清人は、栄一の真子そっくりな強い目力を思い出しながら、日曜日の『直談判』に向けてどうすれば良いのか、それをまた考えていた。
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