第40話 二人の銀河鉄道 4

 真子は驚きの表情を見せた。そして、二人の間にしばし沈黙が流れた。


 真子は、清人が冗談でこういうことを言う人間でないことはよく知っていた。でもだからこそ、清人の唐突な発言にただただ驚いていた。


 清人は沈黙が流れている間、自分の発言を思い返してみた。おそらくもう少し冷静になっていたら、恥ずかしくなって穴に入りたい気分になったかもしれないが、この時の清人はとても高揚していて、どこまでも真剣だった。


「……突然こんなことを言ってごめん。でも、今後箱根に行くことが難しくなるなら、今行こう」清人は答えた。


 真子は驚きつつも、清人の真意が気になっていた。


 どこまでも理智的で温厚な彼がなぜこんな大胆な提案をするのか? それが気になっていた。しかし


「……良いわよ」と、真子は静かに言った。


 この時真子は決心した。清人のこの唐突な誘いに乗ってしまおうと。


 彼が何を考え、何のために行動するのか、それに身を委ねてしまおうと、そう考えた。


 この時の二人はどこまでも直感的に行動していた。二人とも理性的な人間であったのに、この時だけはあくまで本能的に、流れに身を任せていた。


 それが何を意味したのか、二人は終生考えることになった。


「……じゃあ、行こうか」清人は答えた。


 二人は黙って茅ヶ崎駅の方に歩いていった。


 茅ヶ崎駅にはすぐに到着し、二人はいつも乗る上りのホームへは向かわず、東海道線の下りのホームへと向かっていった。


 箱根に出るには、茅ヶ崎からはまず下りの電車に乗って小田原駅へと向かう必要があった。


 すぐに電車は到着して二人は乗り込んでいったが、その間も二人は無言だった。二人とも頭の中で色々と考え事をするのに手一杯で、お互いに和やかムードで談笑する雰囲気ではなかった。


 電車はすぐに出発し、小田原方面へと向かっていった。時刻は午後4時前でしかも下りだったので、車内はガラガラだった。


 車内でも沈黙が続いたが、その間に二人は大分冷静さを取り戻したようだった。


「……箱根は寒いかな」長い沈黙を破って、清人は言った。


「山の方に行かなければ大丈夫だと思うわ。まあ麓でもそれなりに寒さはあると思うけど」


「そうだね。それなら麓…箱根湯本にしようか」


「そうね」


 二人は冷静に話し合った。自分達が何をしているのかよく分かっているはずなのだが、なぜかどこまでも冷静になれた。


 清人はスマホを使って箱根湯本の情報を調べた。何しろあまりにも唐突な箱根行きなので、事前の情報などを何も調べてはいなかった。


(横浜デートの時は下見までしたのにな)清人は思った。


 清人はスマホを凝視した。まさか泊まる訳にはいかなかったので、箱根湯本の日帰り温泉について調べていた。


「春川さん、こことかどう?」清人は自分のスマホを見せた。


 そこには『天国園』という名の日帰り温泉施設があった。少し坂を登り施設も古いが、安くて駅にも近いところにある施設だった。


「良いわね。駅の真上にあるの? これ」


「なんかそうみたい。凄いね、真下に電車が通るのを見られるよ」清人は少し微笑んだ。


 清人の笑顔を見て、真子は少しほっとした。清人は半ば自暴自棄になってしまったのかと心配だったからだ。


 だが、清人にここまでの無茶をさせているのは他ならぬ自分のためなのだと思うと、真子はやはり心配になった。


 20分ほどして電車は小田原駅に到着した。箱根湯本へ向かうには、ここからさらに箱根登山鉄道に乗る必要があった。


 二人はホームを降りて、すぐに箱根登山鉄道のホームへと乗り換えた。平日の夕方の時間帯なので、東海道線よりもさらにガラガラであった。


「箱根登山鉄道で15分ぐらい乗ったら、箱根湯本駅だね」清人は言った。


「そうなの」


「でも、凄いね。この電車で山を登って、強羅の方まで行けるみたい」


「凄いわね。箱根駅伝とかだと宮ノ下辺りは有名だけど、それよりも上に行けるのね」


「後二ヶ月もすれば箱根駅伝だから、その時はこの電車もすごく混むんだろうな」


 二人は笑い合った。心配なこと、気がかりなことはたくさんあったが、この時ばかりはそれらを忘れて笑い合うことができた。


 そうして話している内に、電車は箱根湯本駅に到着した。二人はホームに降り、改札の方へ向かうと、そこには観光地らしい案内板や旗がたくさん見受けられた。


 さらに二人は改札を出てペデストリアンデッキを歩いた。


 箱根湯本駅は意外に近代的な建物であったが、デッキを抜けて下の出口へ降りると、そこはいかにもな『古い温泉街』であった。旅館や土産物屋が所狭しと並び、木造建築の匂いがそこら中で広がっていた。


「……良いねこの雰囲気」


「そうね」


 二人は箱根の古風な街並みを歩いた。観光地的な部分は大いにあるものの、どこか古臭い、昭和の香りがする街であった。二人はこういった雰囲気は好きだった。


 時刻は5時前でお店なども閉店準備をしていたが、二人は特に店に入る訳でもなく、ただただ箱根の街を歩いていた。どこかこの古風な雰囲気の中で、清人と真子の二人はどこまでも歩いていけるような気がした。

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