第30話 厭離穢土欣求浄土 2
清人は父の部屋の前まで来た。父の部屋は仕事場の隣にあり、仕事場の方は多くの本が乱雑に置かれていた。
「入るよ」清人はドアをノックしてから入っていった。
中に入ると、そこにはやはり多くの本が整然と並べられていた。仕事場と父の部屋の散らかりようの差に少し驚きつつも、清人はゆっくりと部屋に入っていった。
「おう、来たか」
清人を見るなり、椅子に座りながらぶっきらぼうに答えた男がいた。この男こそ清人の父・杉畑雅彦であった。営業帰りなのか、全身スーツ姿だった。
「何か仕事があったの?」
「そうだな。出版社のパーティーがあって、そこに参加してきた」
雅彦のスーツには高級ブランドのロゴがこれ見よがしに胸元に貼り付けられていた。いやスーツだけではなく、時計やネクタイ、靴下一つとってもブランド物であった。
(相変わらずの成金趣味だな)そう、清人は思った。
「元気そうだな」
「まあ何とか」
「この前ちょっと流歌が来たぞ」
「ああ、さっき聞いた」
「本人に言ってやったんだけどよ、あいつ茶髪にしてウェーブかけて、本当何考えてんだ」
「良いんじゃない。もう高校生だし」
「何のために全寮制の高校に通わせてると思ってるんだ」
「いや、あの高校は生徒の自主性を重んじるところがあるから……」
清人がフォローを入れてはみたものの、雅彦の怒りは治まらなかった。
またか、と清人は思った。
雅彦はいつもこんな感じだった。常に怒ったような表情をしていて、獲物を探すようなギョロっとした目をしていた。清人は父のこのギョロっとした目つきが苦手だった。
「まあ良い。ところでそっちの様子はどうだ? 夜川先生は?」
「母さんね。元気でやってんじゃない」
「何だ随分と他人事だな……まあ夜川先生は自由人だからな。気ままにやってんだろ」
(他人事とか、どの口が言ってんだ)そう清人は思った。
(自分だって元妻のことを『夜川先生』などと他人行儀に言ってるじゃないか。その幼稚な敵愾心は何なんだ)
清人の心はざわついた。心の中で父への不満が渦巻いているのが分かった。
元々父はこういう人だというのは知っていた。自分から離れていった人間に対して容赦が無いと。15年前に辞めていった元従業員の悪口を未だに言うくらいなのだから、母に対しても同様だというのは分かっていた。
だが、息子の前でそんな幼稚な敵愾心を見せる無神経さが清人には理解できなかった。
父にとってはすでに他人であっても、子供にとっては母なのだということも理解できないのだと思うと、清人は父に失望を感じざるを得なかった。
「まあ夜川先生のことは別に良い。お前はどうだ? ちゃんと勉強してるか?」
「まあぼちぼちかな」
「勉強だけは頑張れよ。俺だってちゃんと大学で経営を学んだからこそ、今こうやって『社長』としてやっていけてる訳だからな。そもそも俺は……」
雅彦は今度は自分のことを語り出した。自らの武勇伝、自らの栄光を。
(また始まった)そう清人は思った。
雅彦はすぐに自慢話をする癖があった。全然関係ない話題でも、無理くり自分の話題にこじつけて自慢話に持っていくことがよくあった。
清人からすれば何度も聞いたような話が多かった。よくもまあ飽きずに『自分凄い』という話をこれだけできるものだとある意味感心していた。
唐突かつ延々と語る自慢話、全身に身に付けたブランド品、妙な支配欲に見捨てられ不安の強さ……。
(この人は本当に、自分に自信が無いんだな)そう、清人は思った。
そう考えると可哀想な人だとも思った。おそらくこの人は、一生自分に満足することはできず、常に妬みと怒りで頭が一杯なのだろうと。
それが自分を高めるための『向上心』に繋がることも多いので、そのことを一概に『悪』と言い切るつもりは無かった。
だが、やはり父と自分はつくづく『価値観が合わない』と清人は思い知った。
どんな人でも自分が持っていない尊敬できる部分があるのだから、誰に対しても敬意と愛情を持って接し、学べるところは学んでいこうというのが清人の価値観。
どんな人でも自分より劣っている部分があるのだから、舐められないように粗探しをして人を見下し、自分のプライドを保っていこうと考えるのが雅彦の価値観だった。
別に清人は自分の価値観が絶対に正しいなどとは思っていなかった。あくまで自分の『信念』の問題であって、他の人から理解されなくても(それどころか罵倒と嘲笑を受けたとしても)、別に構わないと思っていた。
ただ、自分にとって一番近しい存在である『親』が、自分とはまるで違う価値観だという事実に清人は何とも言えぬ寂しさを感じた。
そんなことを考えていると、清人は少し上の空になった。
「おい清人、聞いてんのか」
雅彦は少し怒り気味に言った。清人はハッとして
「ああ、ごめん……」とだけ答えた。
「……まあ良い。別にこんな話をしたかった訳じゃない」
雅彦は腕を組み、清人のことをじっと見つめた。
清人は父からじっと見つめられるのは苦手だった。そのギョロっとした目で、じっくり品定めをされるような、どこか嘲笑を帯びた視線を向けられるのはとても良い気がしなかった。
「なあ清人……」
「何?」
「お前、彼女できたか?」
清人はドキッとした。父の口から、こんな言葉を耳にしたのは初めてだった。
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