第28話 一変聖人エデン 4
翌日の学校。清人はまたしても絶好調だった。
朝の通学時には迷子の子供を見つけ交番に連れていき、昼に違うクラスで喧嘩が起こった時は行って仲裁に入った。
「……やっぱあいつの『聖人センサー』は凄いな」
「健次郎も、『聖人センサー』という言葉を使っているではないか」善幸は突っ込んだ。
「ああ、意外と使いやすい言葉だな」健次郎は素直にそう言った。
「……しかし宮沢賢治に傾倒しているだけあって、それを体現しているな」
「どういうことだよ?」
「『雨ニモマケズ』の一節に確かあっただろ? 「東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ、北ニケンカヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ」とか何とか」
「ああ、そういえばそんな箇所があったな。ていうか善幸よく覚えてるな」
「春川さんも昨日言っていたが、清人の価値観を形成したものが何なのか、俺も興味あるのだよ」
「なるほどな」
二人は清人の様子を観察した。するとちょうど目の前でクラスメートの女子が消しゴムを忘れたらしく、清人は彼女に自分の筆箱に入っていた余りの消しゴムを渡した。
清人はクラスメートが色々と忘れ物をした時に対応できるよう、文房具や資料など多めに持ってくることが多かった。
「……何かおかしいな」善幸は言った。
「何が?」
「いや、上手く言えないんだが清人の雰囲気がいつもと違うというか……」
善幸は首を捻った。もう少し観察をしたい気分だったが、次の授業のチャイムが鳴り、先生がクラスに入ってきたので観察は途中で中断せざるを得なかった。
そして放課後。清人と真子は一緒に帰っていた。すでに二人は一緒に帰ることが自然になっていた。
「第二回の勉強会、何時にしようか?」
「私はいつでも大丈夫よ。蘇我さんも明日以降なら大丈夫みたいなことを言っていたけど」
「どうしよう。平日の放課後が良いかな? 休日にやった方が良い気もしてきた」
「そうね。休日の方がより長い時間できるものね」
「ああ、でも土曜は予定があるな。日曜じゃないと」
真子は立ち止まった。清人は少し先に歩いてから、真子が立ち止まったのに気づいて振り返った。真子は少し溜めてから
「何かあったの?」そう尋ねた。
真子は清人の「土曜は予定がある」と言った時の、苦虫を噛み潰したような顔を見逃さなかった。清人がそのような顔をするのは非常に珍しいからだ。
「ああ、いや、別に……」
清人は突然だったのでしどろもどろになってしまった。
「本当に? 賀野君、今日は様子がおかしかったわよ。何か強迫観念に駆られているような……」
真子はまたとても真っ直ぐな目で清人を見つめた。真子にここまで真っ直ぐ見つめられると、清人はとても嘘を言えなかった。
「……実は土曜に父さんの所に行くことになって」
「ああ、お父様って今どこに住んでいるの?」
「川崎の方なんだ」
「遠いわね」
真子はそう言ったが、清人にとっては距離はそこまで問題ではなかった。距離以前の懸念事項が山ほどあったからだ。
「……そうだね、正直あまり行きたくないんだ」
「なぜ?」
「上手く言えないんだけど、あまり父さんとは価値観が合わなくてね」
清人は寂しそうな、少し怒っているような表情だった。
以前のデートの時もそうだったが、『親』の話をすると彼はいつもこんな表情をすると真子は思った。また、不用意に親の話題を追及してしまったことを真子は後悔していた。
しかしそれは清人も同様だった。特に『父』に対して複雑な思いを抱いているであろう真子に対して、不用意に父の話題(それも合わないだとかそういう話)をしてしまったことを、清人は後悔していた。
だが、ここまで話しておいて今更不自然に話題を変えるのもおかしいと清人は考えた。
「……まあ、頑張って行ってくるよ。お父さんはお父さんだしね」
「そうね、話し合って分かる部分はあるものね」
そこからしばらく沈黙が続いた。清人がまた何を言おうか、どう言おうかと考えていると
「……私の父も過保護なのよ」
真子は急にそんなことを口にした。
清人は驚いた。自分は心の中でたびたび思っていたことであったが、真子本人の口からその言葉を聞けるとは思わなかったからだ。清人は何も言えずただ黙っていた。
「一人娘だからということもあるのかしらね。高校に上がっても門限は6時で、夜にどこか外出することも許されない。父にも色々あったから気持ちは分かるのだけど、やっぱり世間的に見たら過保護と言われてしまうわよね」
「私は正直、一人旅とかしてみたい。電車に乗って、免許を取ったら車に乗って、日本の観光名所を色々見ていきたい」
「……大人になれば、父は許してくれるかしら」
真子は静かにそう言った。
清人は何も言えずただ黙っていたが、声を振り絞って
「行けるよ、きっと」それだけ言うことができた。
「ありがとう。ごめんなさいね、こんな話して」
「いや、大丈夫だよ」
「色々と余計なことを言ってしまったけど、私も父とは話してみようと思うの。今後のこととか、私自身のことを」
清人は黙って頷いた。唐突だったので驚いたが、真子が率直に父への思いを言ってくれたことで、清人は少し気が楽になった。真子には真子なりに、父への思いと決意があったのだ。
しかしそう考えると
(これは、春川さんなりのエールなのだろうか?)と清人は思った。
清人は父のことと真子のことを考えつつ、二人は銀杏並木が軒を連ねる通学路をただひたすらに歩いていった。
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