第23話 イコンな二人 5
「そういえば、お母様の本読んだわよ」
コーヒーカップを手に取りながら、真子は言った。
「本当に? ありがとう」
「面白いわね。猫のキャラクターが可愛らしいと思ったわ」
「母さんは猫好きだからね」
「動物の可愛らしさもあるけど、妙な人間臭さが良かったわ。宮沢賢治の影響があるんだなって」
「それは俺も思った」
二人はそこからしばらく宮沢賢治の話をしていた。隣の席の三人は声を殺して聞いていた。
「……何か宮沢賢治の話をしているな」
「ああ、確かに。やっぱ文学談義をするんだな」
「二人とも本が好きなんだね」
三人は小声で会話をした。三人はあまり声を出すこともできないので、飲み物一つ注文するのも一苦労だった。
「……今日の鎌倉観光は楽しかったよ。ありがとう」清人は軽く頭を下げた。
「あら、そんなにかしこまらなくても良いのに」
「いや、春川さんが案内してくれたおかげで何倍も楽しめた。地元なのに知らないことだらけなんだなって痛感したよ」
「ふふ、ありがとう。いくら地元でも、ただ通り過ぎるだけじゃなくて『観光』として周りを見ていけば色々と新しい発見があるものよ」
「本当にそうだね」
「地元のお店や神社仏閣、地名一つにしても深く調べていけば楽しいのよね。これこそが歴史の醍醐味だと思うわ」
「……春川さんは本当に歴史が好きなんだね」
「そうね」
「それは、昔からなの? 昔から歴史や文学が好きだったとか……」
「わりと昔からね。父の仕事の影響もあるし……あなただってそうでしょう?」
清人は一瞬たじろいだ。真子の方から父に対する言及があったからだ。それと同時に、清人は不思議に思った。
(彼女は父からの影響も多分に受けているし、一体父親の何が彼女に『陰』をもたらしているのだろう)そう考えた。
「……まあ俺が宮沢賢治好きなのは、母さんの影響もあるかな。でもきっかけはそうだったとしても、見方や楽しみ方はやっぱり俺と母さんで違ってくると思うんだよ」
「確かにそうね」
「……影響を受けたくないって思っても、親からの影響っていうのはどうしてもあるんだろうけどね」
清人は少し寂しげな表情で言った。
真子は清人の寂しげな表情を見逃さなかったが、何も言わず黙っていた。軽々しくそこに首を突っ込んではいけないと感じていたからだ。
そういう意味で、この時の二人の思いは共通していた。彼は(彼女は)何かしら親に対して複雑な思いを抱いていて、不用意にその問題に突っ込む訳にはいかないと。
「……そういえばあなたには、妹さんがいるのよね?」
真子は清人に『親』の話をするのはまずいと思い、妹の方へ話題を振った。
「ああ、いるよ」
「確か今高校一年生って」
「そうだね、一歳下だから」
「名前は何て言うの?」
「
「へえ、可愛らしい名前ね」
「そうかな、ありがとう」清人は少し照れ気味に答えた。
「ご兄弟は妹さんだけなの?」
「いや、実は下にもう一人妹がいるんだ」
「え、そうなの?」
「うん、父が再婚した女性との子供で……名前は
「そうなの。妹さんが二人もいるのね」
「まあね。真理亜の方は14歳も離れているから、ほとんど娘みたいな感じだけど」
「良いじゃない。妹と娘がいるってあなたらしいわ」
真子は珍しく冗談めいたことを言った。
「どういう意味だよ、それ……」清人は苦笑した。
「それに、『ルカ』に『マリア』ってとても聖人らしいじゃない」
「まあそうだけどさ」
「羨ましいと思うわ。私なんて一人っ子だから」
「俺からすれば一人っ子って羨ましいけどな」
「結構大変なのよ。色々と重圧を感じることも多くって」
清人は真子からこんな愚痴っぽい言葉を聞くのは初めてだった。
(そうか、そういえば彼女は一人っ子だったな)
そう清人は思った。そう考えると、真子が言う『重圧』も何となく分かるような気がした。
そもそも高校生で『門限が6時』というのも厳しいと思うし、今まで車で送り迎えされていたのも少々過保護だなと思っていた。
でも真子を見ると、真子の父の気持ちは分からないでもなかった。こんな綺麗な娘(しかも一人娘)がいるのなら、どうしても過保護になってしまうかなと清人は父親目線で考えた。
「……まあ何かあったら、俺は相談に乗るよ」
「本当に?」
「長男は長男で『重圧』があるからね。分かり合える部分はあると思うよ」
「嬉しいわ、ありがとう」
しばらくそんな話をしていて、二人は笑い合った。一通り文学のことや今日のことを話し終えると、学校のことが話題になった。
「そういえばもうすぐ中間テストね」
「ああ、そうだった…嫌だな……」
「今度勉強会でもしましょうか」
「本当に?」清人はグイッと身を乗り出した。
「ええ」
「嬉しいよ! 春川さんが教えてくれるなら良い点取れそう」
「五人で勉強会でもやりましょう」
「五人って、健次郎と善幸と……あと蘇我さん?」
隣の席の三人はピクッとなった。
「ええ。多い方が楽しいでしょう?」
「ああ、まあね」
真子は少し黙ってコーヒーを口にした。飲み終わってコーヒーカップを手元に置くと、清人の目を真っ直ぐに見つめた。
清人は真子のこの真っ直ぐな目にはいつまでも慣れなかった。
「徳井君や村岡君とは一年の時から同じクラスだったの?」
「え、うん」
「どういうきっかけで仲良くなったのか教えてもらって良い?」真子は真っ直ぐな目で尋ねた。
清人はドキッとした。真子の真っ直ぐな目からは、「適当に答えないでね」という無言の圧力を感じた。
しかしそれ以上に隣の席の三人はドキッとしていた。三人は清人が何を言うのか、固唾を呑んで聞いていた。
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