第15話 鎌倉のジョバンニ 1

 駅から家まで帰る間、清人はずっと考えていた。


(結局今日のデートは、成功だったのだろうか?)そう、清人は考えていた。


 事前に立てたプラン通りには全くいかなかったが、今回のデートの第一目標、『春川さんを喜ばせる』は成功したように思えた。


(今回のデートがつまらなかったら、わざわざ次のデートの誘いを春川さんがするはずはない)


 そう考えると清人は嬉しかった。


 さらに今日は自分の個人的な目標、『春川さんの意外な素顔を見る』というのも達成できたと清人は思った。歴史と文学に精通し、それを嬉々として語る真子の姿はとても新鮮で楽しかった。


 考えれば考えるほど楽しかった。短い時間ではあったが、カフェでの時間、山下公園での時間、そして最後の大船駅での会話……。


 何度も頭の中で思い返してみて、その度に笑みがこぼれた。


(ああ本当に楽しかった!)


 家に着く頃には、清人はすっかり舞い上がってしまった。スキップをしたくなるような、口笛を吹きたくなるような、そんな気分だった。


 しかし家の玄関を開けると、その楽しさが一気にトーンダウンしてしまった。


 そこにはどこかで見慣れた靴が置いてあった。


「ただいま」清人は一応言ってみた。


 すると玄関先に40代くらいの黒髪のショートで眼鏡をかけた女性が出てきた。その女性は両手に色々と荷物を持っていて、清人を見るなりその荷物ごと軽く手を上げた。


「母さん……いつ帰ってきたの?」


「ついさっき。いないからびっくりしたよ」


「ああごめん、ちょっと外出てて」


「はいこれ」母は清人にお土産の温泉まんじゅうを渡した。


「ああ、ありがとう……」


 母は清人に温泉まんじゅうを渡すとすぐに自室の書斎に向かっていった。


 清人は「またか」と思った。おそらく何かインスピレーションでも出てきたのだろうと清人は考えた。 


 清人の母、賀野秀子かのひでこはいつもこんな感じだった。常に仕事のことを考えていて、仕事のアイデアが生まれたら会話中でもそれをほっぽり出して書斎に向かうことがよくあった。


 そうは言っても、今日母と会ったのは3週間ぶりぐらいだったので


(もう少し話はないのか)と清人は思った。


(そもそもなぜ温泉まんじゅうなんだ。俺の好みなんか一度も聞いたことない。温泉地に行ったら温泉まんじゅうしか買ってこない。家に金さえ入れればそれで良いのか。二人しかいないのだからもっとコミュニケーションを取ろうだとか考えないのか……)


 清人は心の中で母への不満が一気に噴出してきているのが分かった。母と会うと、いつもこういったドロドロした感情が自分の中で渦巻くので、清人はあまり母親には会いたくなかった。


流歌るかがいる時は楽しかったな)そう清人は考えた。


 清人の1歳下の妹、流歌るかは半年前に全寮制の高校に進学するために家を出ていた。そのためこの家は清人一人で過ごす時間が半年前から多くなってしまっていた。


 清人の心の中はぐるぐるした。考えれば考えるほど暗黒面に自分が落ちていく感覚があった。


(ええい本を読もう!)清人も自分の部屋へと向かっていった。


 頭がごちゃごちゃした時はやはり本だ、と清人は考えた。


 清人は自分の部屋に入ると、すぐに本棚から『銀河鉄道の夜』を取り出した。しかし背表紙の『宮沢賢治』の名前を見た瞬間、今日の真子の言葉を思い出した。


『宮沢賢治の書簡集があるなら、保坂嘉内あての手紙を見るべきよ』


 確かそんなことを言っていた、と清人は思った。


(書簡集、書簡集……あ!)


 清人は本棚にある『宮沢賢治全集』の中から『書簡』の文字を見つけた。


 やはり自分は持っていた、と清人は思った。全集は全部読んだつもりだったが、読んだのは童話や詩だけで、全集の最後の方にあった賢治自身の書簡やノートなどは読んでいなかった。


(でもこれまで読みこなすって相当なマニアだぞ……)と清人は思った。


 清人は全集の『書簡』を手に取り、パラパラとめくってみた。一番古いのでは明治四十三(1910)年、新しいのでは賢治が亡くなった年の昭和八(1933)年の手紙があった。


(『保阪嘉内』はどこから登場するんだ……?)


 適当にパラパラとめくっていると、『保阪嘉内あて』の文字を清人は発見した。どうやら大正八(1919)年に賢治が嘉内に出した手紙らしい。清人はじっくりと読んでみた。


・・・しかしながら我友よ。保阪嘉内よ。あなたと均しく数々の淋しさを私は感じます。

保阪さん。化石しては我々はもう進めなくなりますから化石しないで下さい。祭り上げられてはもうあなたの考えていることができなくなりますから祭りあがらないで下さい。


・・・私の父はちかごろ毎日申します。

「きさまは世間のこの苦しい中で農林の学校を出ながら何のざまだ。何か考えろ。みんなのためになれ。錦絵なんかを折角ひねくりまわすとは不届千万。アメリカへ行こうのと考えるとは不見識の骨頂。きさまはとうとう人生の第一義を忘れて邪道にふみ入ったな。」

おお、邪道 O,JADO!  O,JADO! 私は邪道を行く。見よこの邪見者のすがた。学校でならったことはもう糞をくらえ。


・・・わが友よ。こうも考える。私の手紙は無茶苦茶である。このかなしみからどうしてそう整った本当の声が出よう。無茶苦茶な訳だ。しかしこの乱れたこころはふと青いたいらな野原を思いふっとやすらかになる。

あなたはこんな手紙を読まされて気の毒な人だ。そのために私は大分心持がよくなりました。

みだれるな。みだれるな。さあ保阪さん。すべてのものは悪にあらず。善にもあらず。

われはなし。われはなし。われはなし。われはなし。われはなし。すべてはわれにして、われといわるるものにしてわれにあらず総ておのおのなり。


(……………)


 清人はこの手紙を読み入った。最後まで読み入った後も、しばらく言葉にならなかった。


(凄まじいな……)


 そう清人は思った。それが率直な、第一の感想だった。


 ここまで激しい情念があり、かつそれをぶつけられる友『保阪嘉内』とはどういう存在なのか、清人はとても興味が湧いた。

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