第14話 横浜クロニクル 6
「杉原千畝?」清人は首を傾げるようにして言った。
「知ってる?」
「名前は聞いたことあるような……」
「杉原千畝はね、第二次世界大戦中の1940年のリトアニアで、ナチス・ドイツに迫害されていたユダヤ人の避難民に対して『命のビザ』を発給した外交官なのよ」
「彼の行為で多くのユダヤ人が国外へ脱出できて、救われた命は6千人に及ぶとも言われているの」真子はまた熱っぽく話した。
「へえ…そんな凄い人なんだ」
清人は驚いた。杉原千畝の偉業もそうだが、真子が文学だけでなく歴史にも造詣が深いのには驚かされた。
「氷川丸はその杉原千畝と関係があるの?」
「そうよ、彼のビザを手にしたユダヤ人達を北米へと避難させた唯一現存する大型貨客船がこの『氷川丸』なの」
「へえ……」
「氷川丸自身の歴史も面白いのよね。元々は大型貨客船として太平洋を横断していたのだけれど、戦時中には病院船、戦後すぐには引き揚げ船として使用されて、今はこうして国の重要文化財として展示されているのだから」
「……凄く詳しいね春川さん」
「ごめんなさいね、つい熱くなっちゃったわ」
「いや、ためになったよ」
一通り真子の解説が終わると、二人はそのまま船内を見学した。船内の客室や社交室の内部は、レトロな家具や調度品が魅力的に鎮座しており、とても雰囲気が良かった。
「……大正浪漫って感じだね」清人が口を開いた。
「そうね、竣工が昭和5年だから山下公園の開園と同じ年なのよね」
「え、そうなんだ」
「そうよ、山下公園は関東大震災の時に発生した瓦礫などを埋め立てて造られた、日本初の臨海公園なのよ」
今度は山下公園に関するうんちくを真子は披露し始めた。話を聞きながら清人は少しクスッとした。
『豆知識を披露するようなデートは嫌われる』とネット上のデート指南では書いてあったが
(春川さんの場合、可愛らしいじゃないか)と清人は思った。
真子の熱く語る姿なら、いつまでも見ていたい気がした。
二人は最後に氷川丸の機関室を訪れた。機関室には多くのパイプが立ち並んでいて、圧巻の光景だった。
「凄いねこれ!」清人はテンションが上がった。
機関室だけは真子よりも真っ先に展示の方へ向かい、設備や案内板を食い入るように清人は見ていた。
「凄いなあ……」
「見てよ春川さん、氷川丸ってディーゼルエンジンなんだって!」清人は真子の方を振り返った。
振り返ると、真子はクスクス笑っていた。
クスクス笑う真子の姿を見て、清人は途端に恥ずかしくなった。真子のことを忘れ、子供のようにはしゃいでいた自分を思い出したからだ。
「いや、ごめん春川さん。これは……」
「なぜ謝るの?」
「いや、なんか……」
「あなたってやはり男の子なのね」
そう言われると、清人は何も言えなくなってしまった。普段理性的な行動を心がけている清人にとって、童心に帰った姿を見られたのは恥ずかしかった。
不注意だった、と思いつつそれを温かく受け入れてくれる真子の感じはありがたかった。ここで馬鹿にするような態度を取られる方が清人にとっては嫌だった。しかし
(春川さんはそういうことはしないだろう)という不思議な確信がなぜか清人にはあった。
こうして機関室を最後にして、氷川丸の船内見学は終わった。二人は階段を降りると、公園の時計はすでに4時を指していた。結局一時間以上船内見学に費やしていたようだった。
「結構長く楽しめたね」
「そうね、充実した内容だったわ」
「じゃあ次はどこ行こうか?」
清人は尋ねたが、真子は黙ってしまった。少し言いにくそうな顔をしてから真子は
「ごめんなさい、私はそろそろ帰らないといけないの」と口にした。
「え?」
「本当にごめんなさいね、私は門限が6時までと決められているの」
「あ、そうなんだ……」
「本当に楽しかったわ賀野君」
清人は一瞬何も言えなくなってしまった。結局自分のプランは最初のカフェ以外何もプラン通りにはいかなくなってしまった。
「……分かった、じゃあ駅まで一緒に帰ろうか」
こうして二人は駅へと歩き出した。真子の申し訳なさそうな顔が消えなかったので、清人は必死で話を振った。
「春川さんってそういえば兄弟とかいるの?」
「いいえ、私は一人っ子よ」
「そうなんだ。今からだと何時くらいに鎌倉駅に着くかな……」
清人はスマホを取り出して調べようとした。
「大丈夫よ、6時には絶対間に合うと思うから」真子は言った。
そうこうしている内に石川町駅に到着し、ちょうど到着していた大船行きの電車に二人は乗り込んだ。
清人は真子の気持ちを晴らそうと、また色々と話を振った。今日の氷川丸のこと、宮沢賢治のこと、杉原千畝のことなど……。
真子はちゃんと返事をしてくれたが、さっきのような熱っぽい、テンションの高い感じにはならなかった。
そして電車は大船駅に到着し、二人はホームへ降りた。
しばらく進むと、二人は改札前で立ち止まった。ここから清人は改札を出て家路に、真子は横須賀線に乗り換えて鎌倉駅に向かう必要があるからだ。
あっという間だった、と清人は思った。わざわざ下見をしたり、デートプランをあれこれ考えたりしたが、終わってしまうと本当にあっという間だった。
「じゃあまたね、春川さん」
「ごめんなさいね、急ぐような感じになってしまって」
「いやいや大丈夫だよ」
真子はしばらく清人をじっと見つめた。あまりにもじっと見つめてくるので、「何か悪いことでもしたかな?」と清人は不安になるぐらいだった。
「どうしたの?」
「……あなたの気遣い、本当に嬉しかったわ」
「え、気遣いって?」
「私が無理言って早く帰ろうとしたのに、それを責めずに私を励ましてくれたでしょう?」
「いや、それは……」またもや図星を突かれて清人はとっさに言い返せなかった。
「今度はゆっくりとデートしましょうね。午前集合でも私は構わないから」
「え?」
それだけ言い残すと、真子は横須賀線のホームへと歩いていった。ホームへの階段を降りる前に、真子はこちらを向いて手を振ってくれた。とても綺麗な笑顔だった。
清人は手を振り返しながら、しばらく改札前で佇んでいた。改札前は夕方になり活気が出てきていた。
『今度はゆっくりとデートしましょうね』
真子の言葉が清人の頭の中でいつまでもリフレインしていた。
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