第10話 横浜クロニクル 2
清人は大船駅のホームに降り立った。いつもなら改札を出てそのまま家路へと急ぐのだが、今日は京浜東北・根岸線の上りのホームへと向かって行った。
ホームには大船始発の電車が既に待機していて、清人はそのまま電車に乗り込んだ。
(今ならまだ引き返せるけど、どうしようか)と清人は考えた。
そもそも升宮先生から頂いた貴重な回数券を、『デートの下見』などという軽薄な理由で使っても良いものなのだろうかという考えが根底にあった。
自分の中で幾度か自問自答をして、結局電車に乗り込んでしまったのだが、あれこれ考え込んでいるうちに電車のドアは閉まり、そのまま出発してしまった。
(もう引き返せないな)
そう清人は思ったが、内心それを望んでいたのが自分でも分かった。
電車に揺られながら、清人は自分のスマホで山下公園について色々調べてみた。
(石川町駅からだと結構離れているけど、中華街で少し食べ歩きしてから山下公園に向かうルートも良いな……)
(もしくは赤レンガ倉庫で少しぶらついてから山下公園に向かうルートは……)
大船から石川町までは三十分近くかかるのだが、結局その間清人はスマホとにらめっこをしていて終わった。
石川町駅に着いた時は既に夜の8時を過ぎていた。
清人はホームを降りるとそのまま南口の改札へと向かった。下見である以上、そんなにのんびりはできないと考えた。南口を出てすぐに『元町ショッピングストリート』が見えたので、その中を歩いて山下公園に向かうことにした。
(この通りで買い物をしたら春川さんは喜んでくれるだろうか)
そう清人は考えたが、そもそも真子はどんな店を喜んでくれるかがあまり分からないので、当日は臨機応変に対応していこうとも考えた。
残念ながら今はほとんど店が閉まっていたが、閉店後の商店街というのもなかなか趣があると清人は思った。
(昼間は賑わっていたこの通りも、夜になれば本当に静かになるんだな)
清人はこの『祭りの後の静けさ』のような雰囲気が好きだった。その町や地域の本当の姿を見られるような気がするからだ。
(昼と夜で違う顔を見せるんだな……)
そう清人は考えたが、なんかキザっぽい感じがして少し恥ずかしくなった。
(でも、本当に横浜は昼と夜で見せる顔が違う)
そんなことを考えながらストリートを抜けて、山下公園に到着した。山下公園は綺麗にライトアップされていて、その幻想的な雰囲気に清人は魅了された。
係留されている山下公園のシンボル『氷川丸』、左手に見えるランドマークタワー、そしてコスモワールドの大観覧車は虹色に輝いていた。
本当に綺麗だ、と清人は思った。氷川丸も夜の海もみなとみらいの夜景も全て美しかった。
小さい頃に山下公園には来たことがあるのだが、その時に感じた感動とは違う感動を抱いたのを清人は感じた。おそらく十年後、二十年後にはまた違う種類の感動を覚えるのだろうと清人は思った。
(来て良かった)
心からそう思えた。デート当日は昼だから、この感動は今日下見に来たからこそ味わえるものなのだと清人は感じた。
それから清人は10分ほど氷川丸の前でみなとみらいの夜景を見ながら佇んでいた。
もはや『デートの下見』という当初の目的は忘れかけていたが、ふとスマホを見ると時計は9時近くを指していたので、一気に現実に引き戻された。
(そろそろ戻らないと)
そう清人は思ったが、ふと冷静になって周りを見渡すと、周りはカップルだらけなのに気が付いた。
カップルだらけの中一人で氷川丸の前という目立つ位置で佇んでいたのかと思うと、清人は少し恥ずかしくなった。
(さすが横浜随一のデートスポット)
そう思いながら清人はそそくさと山下公園を後にして、駅の方へと向かっていった。
(平日の夜であれだけのカップルがいるのなら、日曜の昼はどれぐらいいるんだろう)
そんなことを考えながら歩いていくとすぐに駅に着いた。清人はまた回数券を使って駅に入り、大船行きの電車に乗り込んでいった。
清人は電車に揺られながらまた色々考えてみた。思えばカップルの人達は、ベンチで何かイチャイチャしている人が多かった。
自分と真子に置き換えて考えてみたが、ベンチで二人でイチャイチャする姿はあまり想像できなかった。自分もそういう柄ではないし、春川真子もそういうタイプではない。
(ただそれで良いのだろうか?)
ひょっとしたらお互い無言のまま山下公園デートを終了するという最悪の事態も考えられると清人は思った。
(山下公園に関する知識を仕入れて案内する時に説明しようか? でもそんな豆知識を披露するようなデートのやり方は嫌われるとネット上の『デートの心得』にも書いてあったし……)
清人の頭の中はぐるぐるした。だが『正しいデート』のあり方などは、正直どんなに考えても分からなかった。
あれこれ考えていても答えは出なそうだったので、とにかく
(春川さんが喜んでくれればそれで良い)そう、清人は考えた。
それを至上命題として、日曜日のデートに臨もうと清人は決意を固めた。
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