第8話 欲は無く、決して怒らず 4
電車は藤沢駅を出発して数十秒経過した。
清人は昨日のようにただ呆然となる訳にはいかないと考えた。真子がどんなことを言おうと、真摯に向き合って答えていこうという考えだった。
「蘇我さんってどう思う?」真子はいきなり質問から始めた。
「蘇我さん?」
「とても良い子よね」
「うん、まあ……」
「今朝も仲良さそうに話していたじゃない」
「ああ、昨日春川さんとどんな話をしたのって聞かれて……」
「全部答えたの?」
「言える訳ないだろ」
「ふふ、そうよね」
相変わらず妖艶な微笑だと清人は思った。
「蘇我さんは…とにかく真面目で良い人って印象かな。学級委員としての仕事も真面目にやっていて、皆のケアも上手というか…とにかく話してて嫌な思いをしたことは一度も無い」
「なるほどね、私はあなたが蘇我さんと話しているのを見て、少し感心していたのよ」
「感心? なぜ?」
「蘇我さんって胸が大きいでしょう?」
(まさか春川さんからこんな言葉が出るとは)清人は正直驚いた。
「蘇我さんと話している男子って、時々胸の方をチラ見しているのよ。無理もないと思うわ、女性の私でも見てしまうことがあるから」
「でもあなたはチラ見とかは一回もしていなかった。ちゃんと意識して見ないようにしているんだなって感じたの。あなたは本当に気を遣うから」
清人は黙った。思いきり図星を突かれたからだ。
「正直偉いなと思ったのよ、とても紳士的だと。誰に対しても敬意を持って接していて、言葉や態度に気をつけて相手を不快にさせないようにしている。あなたが後輩から慕われるのも分かるわ」
事実、清人は特に後輩からの人気が絶大だった。一部の先輩・同級生からは『偽善者』『猫かぶり』と陰口を叩かれることもあるが、清人の温和で分け隔てのない態度は、特に後輩という立場からすればとても好ましいものだったからだ。
清人は何だかこそばゆい感じがした。だがこのまま黙って聞いていては、昨日と同じだと考えた。
「……春川さんは、昨日何故あんなことを言ったの?」清人は思い切って聞いてみた。
「嫌だった?」
「嫌じゃないよ」
清人はきっぱりと言い切った。
「本当に嬉しかった。正直買いかぶり過ぎじゃないかと思うくらいに嬉しい言葉だった。でもあまりにも突然だったから驚いたんだよ。嬉しいけど、春川さんのことがよく分からなくなってしまった」
清人はありのままに感じたことを正直に答えた。
真子は黙って聞いていたが、最後にまた「ふふ」と微笑んだ。
「ごめんなさいね、賀野君が今日妙に私を警戒していたのはそういうことだったのね」真子は答えた。
「私が悪いのよ。あなたはとても真面目で誠実だから、私の言葉を真剣に受け止めてくれるって分かっていたはずなのに、急に試すようなことを言ってしまって…でも昨日言ったことは、私の嘘偽りのない本心よ」
「……春川さんは悪くないよ」そうとしか、清人は答えられなかった。
「勘違いしないでね、賀野君」
「私はあなたの美しさを汚すつもりは一切無いの。あなたの『信念』に敬意を抱いているのよ」真子は急に語気を強くして言った。
「……『信念』って言っても、そんな大層なものじゃ無いよ。でも、そういう風に言ってくれて俺は嬉しい」
清人は本当に心が洗われる感じがした。清人は自分が一部の人間から『偽善者』『猫かぶり』と陰口を叩かれていることは知っていた。でもそれは仕方の無いことだと清人は思っていた。理解されなくて当然だとも。
しかし真子は違った。自分の『信念』に価値を見出してくれただけでなく、それに最大限の賛辞を送ってくれた。
清人は、ここまで自分を理解しようとしてくれる人は一生の内にもそうそういないのではないかと考えた。
「……『信念』があって色々ボランティアとか行動しているのは確かだよ。でもその『信念』が自分でも上手く説明できないんだ。『博愛主義』とでも言えば良いのかな」清人は答えた。
「そうね、『博愛主義』と言えば良いか、『人類愛』と表現するのが正しいのか、でもその一言だけで括られるのをあなたは望まないでしょう?」
「うん、まあ……」
「それで良いと思うの。まだ高校生なのに、『愛』なんて普遍的で壮大なテーマを分かった気になるのはむしろ危険だと思うわ」
清人は納得した。それでいて
(この人は本当に俺では思いつかないような発想をする)と清人は思った。
「……春川さん」
「何?」
清人は躊躇ったが、ここは正直に言わなければと思い
「……今度の日曜日空いてない?」勇気を振り絞って言った。
「あら、デートのお誘い?」
真子があまりにも堂々と言うので、清人はこっちが恥ずかしくなってしまった。
(この人の奔放さに慣れる時はくるのだろうか)そう清人は考えた。
「昨日言ってくれただろ、俺のことをもっと知りたいって」
「あら、覚えててくれたの」
(忘れる訳ないだろ)と清人は思いつつ
「俺も春川さんのことをもっと知りたいんだよ」清人はきっぱりと言い切った。
清人は真子の顔をじっと見つめたが、真子は特に表情も変えずただ
「ありがとう、空けとくわ」とだけ言った。
そうしている内に電車は大船駅に着いてしまった。二人は無言でホームへ降りた。
(いつかこの人の照れ顔が見たい)そう、清人は考えた。
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