第7話 欲は無く、決して怒らず 3
「え!?」二人は同時に驚いた。
しかし二人の心境はまるで違うものだった。
「もちろん良いよ! 私も今日は委員会ないし!」
清人にとってもこの誘いは嬉しいものではあった。
だが一花の顔を見て、清人は自分はもう真子からの誘いには二度とこんな純粋に喜べないだろうなという気がした。
「賀野君は?」真子が尋ねる。
(どうしよう、本当に何を考えているか分からない)と清人は思った。
照れや期待、好奇心といった感情を見出せないかと思ったが、実際の彼女からはその辺を全く感じ取れないので、ひょっとしたらこの人は大女優の素質があるのではないか? と考えるほどだった。
「……お願いします」清人はボソッと言った。
「決まりね、じゃあ放課後またよろしくね」
そう言って真子は自分の席へ戻っていった。
「春川さんから誘いが来るなんて初めてだよ!」
「そうなんだ、たまに一緒に帰ってたじゃん」
「全部私から誘ってたんだよ」一花は本当に無邪気に喜んでいた。
そして予鈴が鳴り、朝礼と午前の授業が始まった。清人は珍しく授業中も上の空で先生から注意を受けたほどだった。
昼休み。清人は健次郎と善幸と三人で廊下で話していた。
「え!?」健次郎と善幸は同時に驚いた。
「お前蘇我さんと春川さんと三人で帰るって、マジかよ!」
健次郎はわりと純粋に喜んでくれている感じだった。しかし善幸は
「なぜだ! なぜ清人だけ!」今にも崩れ落ちそうな感じで叫んだ。
「ずるい! 清人だけ文殿に慕われ、女子二人とキャッキャウフフと帰宅を決め込むなど!」
「いや俺たちは部活があるんだからしょうがねえだろ」健次郎が冷静に突っ込んだ。
「そんなに一緒に帰りたいなら今日も部活休めば良いだろ」
「いやそれはできない! 今日も休んだら文殿にまた何をされるか……」
「ていうことはあれか? 藤沢駅以降は春川さんと二人っきりって訳だ」健次郎は善幸を無視して話し始めた。
「まあね」
「ここだけの話、昨日春川さんと何があった? ていうか春川さんのことはどう思ってんだよ」
清人は健次郎から妙に期待されているのを感じたが、やはり昨日のことを全て話す訳にはいかないので
「……不思議な人って感じかな」とお茶を濁す言い方をした。
『不思議な人』
結局この言葉が、今の自分が真子に感じていることを表すのに最も無難な言い方なのかなと清人は思った。
「不思議な人って…何を今更」健次郎は答えた。
「そう?」
「あの人ってイマイチ何を考えてるか分からないところあるじゃん。めっちゃ美人で勉強も運動もできるけど、浮いた話とか一切聞かないし。あ、お父さんが有名作家ってのは驚いたけどな」
「そうか…そうだよな」
清人は少し肩の力が抜けた気がした。おそらく『春川真子』に関する印象は、クラスの皆は異口同音で健次郎のようなことを言うだろうなと清人は思った。
「ありがとう健次郎、とにかく春川さんとは色々話してみるよ」
(春川さんについてよく分からないのは自分だけじゃない)そう考えると、清人は少し気が楽になった。
放課後。一花が真子と共に清人の席に来た。
「じゃあ一緒に帰ろ!」
清人と真子と一花は、また昨日と同じ道を歩いて帰ることになった。
「そういえば蘇我さんと春川さんはいつから一緒に帰るようになったの?」清人は尋ねた。
「いつからだろう…同じクラスになってわりとすぐぐらいだよね?」
「そうね…クラスが変わってあまり話す人がいなかったから、嬉しかったわ」
「蘇我さんの方から誘ったんだよね?」清人はさらに質問を加えた。
「私の方からだね。いや、春川さんとは正直お近づきになりたいと思ったの。とにかく話してみたいって」
「それは何故?」真子が口を挟んだ。
「いや春川さんってすごく美人だし、色々できて凄いなあって思って……」
「ファン心理…みたいな?」清人が珍しく茶化した。
「そんなんじゃないよ! 普通に友達になりたいなって思ったの」
「ありがとう、嬉しいわ」真子は微笑んだ。
そうこうしている内に茅ヶ崎駅に到着した。ちょうどホームに電車が到着しており、三人は小走りで車両に駆け込んだ。昨日に比べると割合混んでいる感じであった。
「そうだ、忘れるとこだった!」
清人は自分のリュックの中を開け、中から文庫本を二冊取り出した。
「はいこれ、昨日話してた母の童話の新刊」清人は二人に文庫本を手渡した。
「え、これ貰っちゃって良いの?」
「良いよ、家に何冊もあるから」
「ありがとう、帰ったら読んでみるね!」一花はとても喜んでくれた。
真子は本を受け取るとじっと本を見て
「帯とか見ると『猫の〇〇シリーズ』って書いてあるけど、お母様は猫がお好きなの?」と尋ねた。
「ああ、多分猫好きなんだと思う。毎回タイトルに『猫の〇〇』ってついてるから」
「へえ…宮沢賢治みたいね」
清人は少しびっくりした。昨日の今日で真子の口から『宮沢賢治』の名が出るとは思わなかった。
「ああ、母は宮沢賢治の大ファンなんだよ」
「そうなの、私も宮沢賢治は結構好きよ。お母様と話が合いそうね」
清人は一瞬「俺も好きだよ」と言いそうになったが、電車が藤沢駅に到着して
「じゃあ二人ともまた明日ね!」と一花が下りてしまったので言い出せなかった。
藤沢駅では結構な人が下車して、車内はガラガラになった。
一花は窓から見えなくなるまで手を振ってくれた。二人も手を振り返した。
そして一花の姿が完全に見えなくなるのを確認すると、真子は突然清人の方へ振り向いた。
「やっと二人きりになれたわね」真子は悪戯っぽい微笑を浮かべて言った。
清人はゾクッとした。真子からこれほど『妖艶』を感じたことは今まで無かった。
(ここからが正念場だな)そう、清人は考えた。
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