第6話 欲は無く、決して怒らず 2

「おはよう!」翌朝の学校で、清人はいつもより元気良く挨拶した。


「おはよ~」


「聖人おはよう!」


 クラスメートから次々と挨拶が返ってきたが、その場に真子はまだいなかった。


 清人は少しほっとした。正直に言って、どんな顔をして挨拶をすれば良いか分からなかったからだ。


「賀野君おはよう!」一花が挨拶を返した。


「蘇我さんおはよう。あれ、健次郎は? 俺より遅いって珍しいな」


「徳井君は朝練みたいだよ、さっき見たもん」


「あ、そうか……」


 清人が自分の席に座るのとほぼ同時に、一花は隣の健次郎の席に座ってきた。


「ね、賀野君」


「何?」


「昨日春川さんとどんな話したの?」一花はとても綺麗な、キラキラした目で聞いてきた。


 清人は言葉に詰まった。ありのままを話す訳には絶対にいかないと考えたが、『なるべく正直』をモットーにしている清人は嘘を言い慣れていないので、上手な言い訳が浮かばなかった。


「いやまあ…春川さんが材木座に住んでいるから、観光客が多いから大変でしょっていう話を……」


 妙にしどろもどろになってしまった。嘘は言っていないが心底どうでも良い内容だなと清人は思った。


「へえ……」一花は少し期待外れといったような顔をした。


(蘇我さんごめん、でも本当のことを話す訳にはいかないんだ)清人は心の中で詫びた。


「おはよう!!」


 そうこうしていると、善幸が大声で挨拶をして教室に入ってきた。


「善幸おはよう」


「村岡君、おはよう」二人はそれぞれ返事をした。


「ちょうど良かった、申し訳ないが二人ともお願いがあります!」善幸は急に二人の前で深々と頭を下げた。


「急にどうしたんだよ」


「昨日五人で一緒に帰った件、どうか俺は四人から半ば強引に誘われたというていで話を合わせていただけないか」


「どういうことなの?」


「いや、昨日部活に独断で行かなかった件、あや殿に烈火の如くキレられているので……」


「ああ、あやちゃんがね。ていうか許可ぐらい取れよ」


「文ちゃんって、誰?」一花は尋ねた。


鈴木文すずきあやちゃんっていう善幸の部活の後輩。厳しいけど優しい子だよ」


「冗談じゃない!」善幸は大声を上げた。


「清人は文殿に慕われているからそんなことが言える! 彼女は俺に対しては先輩を先輩とも思わない言動と態度を取り続けているんですぞ! 昨日は「なぜ部活に来ない」ということをLINE、メール、電話全てで責められて……」


「そりゃ凄いな」


「凄い手間がかかるよね」


「論点はそこじゃない! とにかく今日文殿に会う訳にはいかない。このままだと会った瞬間に腹パンされかねない……」


「村岡先輩♪」


 妙に明るい声で善幸を呼ぶ声が聞こえた。


「あ……」清人は全てを察した。


 善幸は固まった。その後ホラー映画さながらにゆっくりと振り返ると、そこには一人の小柄な女子がいた。彼女はゆっくりと教室の中に入ってきた。


「この子が……文ちゃん?」一花が尋ねた。


「初めまして、1年C組の鈴木文と言います」文は恭しく一花に挨拶をした。


 小柄でツインテールの可愛らしい女子だった。だがその手は善幸の袖を強く掴んで離さなかった。


「清人先輩、村岡先輩を少しお借りしてもよろしいですか♪」


「あ、うん…お手柔らかにね……」


「ち、ち、ちなみにいつから……」善幸がこの世の終わりのような顔をしていた。


「四人に口裏を合わせてもらおうと頼んでいた時からです♪」


(何の言い訳もできないな)清人は思った。


 そう思うやいなや、文は善幸の袖を掴んで教室の外へと引っ張っていった。


「き、清人! 俺たち友達だろ! 助け、あの助けて!」


「悪い善幸、これは無理だわ」清人は諦めた表情で言った。


 善幸は絶望の表情をした。


「今日飲み物奢るよ!」清人はせめてもの慰めにと提案した。


「そんなの要らないから助けてください~~~~」


 そう断末魔を叫びながら善幸は文に連れられて教室の外へと消えていった。


「……なんか、凄い子だね」一花が口を開いた。


「……良い子なんだけどね」清人が返事をした。


「確かに賀野君を慕っているのなら悪い子ではないでしょうね」


 急に声を発した女性に対して二人は振り返った。


「おはよう、賀野君、蘇我さん」そこには真子の姿があった。


「い、い、いつからそこに……」清人はテンパった。


 一花は少しクスッとした。先ほどの善幸と文のデジャブを見せられているようだったからだ。


「ついさっきよ。気付いてくれなかったの?」真子は残念そうな顔をした。


「ごめんね、あの二人に釘付けになっちゃったから」一花がフォローを入れた。


 真子は二人に近づいてきた。清人は心の準備がまだできていなかったが、ジタバタしてもしょうがないと思い、平気な風で対応しようとした。


「……『文ちゃん』って、随分親しげなのね」


 真子から予想外の言葉が投げかけられたので、清人の平静は一瞬で崩された。


「い、いや違うよ! 彼女は新聞部で、よく俺は彼女から取材を受けてたから仲良くなっただけで、俺の妹と同い年だから妹みたいというか……」


 清人は話してて自分で嫌になった。


(なぜこんな言い訳めいたことを話しているんだろう、彼女からの誤解を恐れているのか?)清人は心の中で自分に突っ込んだ。


 相変わらず真子はよく心の中が分からない微笑をしていた。


「分かったわ。ところで二人とも……」


「今日も一緒に帰らない?」随分と溜めてから、真子は言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る