第4話 奇妙な二人 4
「ねえ、ちょっと気になるんだけど……」駅のホームの階段を下りながら、一花が口を開いた。
「賀野君と春川さんって、二人っきりだとどんな会話するのかな?」
「…………」しばし沈黙。
「うわ、気になる!」善幸が叫ぶような声で言った。
「だよね!」
「確かにあの二人の会話ってあまり想像つかないな」これには健次郎も同意した。
三人はそれぞれ思い思いに二人の会話の内容・雰囲気を想像した。想像すればするほど、二人の会話を間近で見てみたいような気がした。
「結局あの二人のことだから、今時の高校生らしい会話ではあるまいよ。高尚な文学談義でもしているのではないか?」そう善幸は結論づけた。
「ああ…まあでもそうかもな」
「よし、今度二人の会話を観察しよう!」善幸は冗談ぽく提案したが
「あ~それも良いかもね!」一花は乗り気になった。
結局その方向で話はまとまり、三人はそれぞれの家路に帰っていった。
こうして清人と真子にとっては迷惑な決定が行われたが、電車内ではそれどころではなかった。清人の心の中は大きく動揺していた。
「そういえば春川さん鎌倉駅が最寄りなんだよね?」あくまで平静を装って清人は尋ねた。
「そうね」
「どの辺りに住んでるの?」
「材木座よ」
いかにも鎌倉らしい所に住んでいるな、と清人は思った。
正確に言うと清人が住んでいる大船も鎌倉なのだが、住宅街の大船エリアと観光名所が軒並み揃っている鎌倉エリアでは、同じ『鎌倉』と言っても意識的に微妙な違いがあった。
「でもあの辺りだと海が近いから観光客も多いでしょ」
「そうね…でも9月になってからは大分海の人出も減った感じね」
真子は話している時も常に真っ直ぐ清人の目を見つめていた。「吸い込まれそうだ」と清人は思ったが、目を逸らさずに清人も真子の目を見続けた。
(一体この人は何を考えているんだろう)清人は純粋にそう考えていた。
『目は口ほどに物を言う』ということわざがあるが、清人はそのことわざを真理だと思った。
実際、その人の目つきや顔つき、雰囲気や話し方などでその人の性格や生き方などはある程度分かるものだという考えが清人にはあった。
だが真子についてだけはほとんど分からなかった。瞳は綺麗で姿勢も正しく、雰囲気や話し方も丁寧で品のあるまさに『お嬢様』という感じではあったが、ただ『お嬢様』『天使』などという括りでは理解できない深淵があると清人は思った。
(この雰囲気を一言で例えるなら……)
『妖艶』
清人は熟考した挙句、こんな言葉を思いついた。
(いや何考えてんだ俺は)
即座に清人はその言葉を打ち消した。まだよく知らぬ女性に対し『妖艶』などと表現するのは失礼な気がした。
「そういえば春川さんは……」気持ちを切り替えるために話題を振ろうと清人は考えた。
「何を考えているの?」
「…………」しばし沈黙が流れた。
(何言ってんだ俺!)清人は大きく動揺した。
日頃からあれほど言葉選びには気をつけていたはずなのに、思っていたことがそのまま口に出てしまっていた。
(妖艶なんて言葉よりよっぽど失礼なことを言ってしまったぞ)清人は考えた。
真子は少し驚いた様子を見せたが、すぐに平静を取り戻すと
「ふふ」と急に笑い出した。
清人は真子のこんな笑顔は見たことが無かった。いつも見せる品の良い、掴み所の無い笑顔では無く、照れ笑いでも嘲笑でも無い、何か可笑しな行動をした幼児を微笑ましく思うような笑顔だった。
「私が何を考えているかって?」
「いやごめん、変な意味じゃ…」
「あなたのこと、本当に素敵な人だと思っているのよ」
「え?」
沈黙。清人は一瞬何が起こったのか理解できなかった。
「あなたのことはずっと見てたわ」真子は構わず続けた。
「あなたは本当に気遣いができるし、『聖人』ってあだ名が付くぐらい良い噂も聞く」
「最初は何があなたをそこまで動かしているのかと思ったの、失礼だけどただ猫を被っているだけなのかなとも。もしくは本当に純粋無垢なのか」
清人はただただ黙って聞くことしかできなかった。
「でも違うと思ったの。あなたはただ純粋に人の善意を無条件で信用している訳ではない、他人からの評価を気にしている訳でもない。自分の中に確固たる『信念』があって、その信念があなたを『聖人』にまで押し上げたのだと」
「あなたの若さでその境地に至るなんて並大抵のことではできないわ。よっぽど良い人生の先生に出会えたのか、それとも過去に大きな経験をしたのか」
「私にはまだ分からない。でもだからこそ、あなたのことをもっと知りたいと思ったの」
呆然としている清人に向かって、真子は歩み寄ってきた。
「あなたは本当に素敵な人だわ。私はあなたのことを、好きになってしまいそう」
そう真子は囁くと、いつの間にか到着した大船駅のホームへと下りていった。
「またね、賀野君」真子は手を振った。
清人は黙って手を振り返した。
ホームから電車が発車すると、真子の姿が窓から見えなくなったのを確認してから、清人はさっきの出来事を逐一振り返ってみた。
『妖艶』という言葉を、清人は再び思い出した。
清人が自分の最寄駅を過ぎていたことに気付いたのは、電車が戸塚駅を過ぎ、横浜駅へと発車した直後だった。
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