明日があるさ。

詩野ユキ

第1話

 俺は山々に囲まれた田舎な村の生まれである。

 世界は広いと未来の可能性は無限大だと小学校の教師が言ったことがある。その時、教室の生徒たちは魂の籠っていない朧げな瞳で教師を見つめていた。俺もその一人だった。それでも教師は輝いた瞳を生徒たちに向けていた。何かを喋っていた。その声はだんだん小さくなって聞こえなくなった。

 学校を卒業して、父の仕事の手伝いをするようになって3年が経つ。父は電車の線路を作る仕事をしている。作ると言っても工場で鉄をカンカン叩いて、作るわけじゃない。新たにレールを敷いて、電車が走る道を作る仕事である。俺が住む田舎村は、人の気配より動物の気配が多いぐらいな場所で、まだ線路が通っていない。そこに目を付けたお国の方が、ここにも線路を通すことが決めたそうだ。そこで父が線路づくりのリーダーに任命された。10年以上かかる大プロジェクトらしい。とても誇らしいことだ。食事をしながら、俺に言って来たのを覚えている。父は本当に嬉しそうだった。

 俺は今日も父の手伝いをする。本来学校を卒業したら働く場所を探さなければいけなかったのだが、父の計らいで俺はこの線路づくりに参加させてもらった。ここは山奥で、ハイテクな機械なんぞはない。線路づくりは蟻のように、全て人力でコツコツ行う。俺がこの仕事に加わって3年経つがまだ完成の兆しはない。俺は今日も無心で木の板を運び。鉄のレールを一つづつはめ込んでいく。

 大きな金槌で鉄のレールを地面に埋め込み。ボルトを締めて固定する。ガキン。ガキン。と鈍い音が響いてる。俺はこの音があまり好きじゃない。死に際の動物の鳴き声みたいで少し心が寂しくなるのだ。

 その時、自分の手に神経が引き裂かれるようなジーンとした痛みが走った。見ればレールを押さえていた手の指の一つが青黒く腫れていた。ガキン。ガキン。無機質な鳴き声は鳴りやまない。全治6か月だった。

 その日の夜。父は俺に仕事を休めといった。最初の方は、いや俺はまだ働けると食い下がった。ここで仕事から離れるのがなんだか怖かったのだ。すると父がぴしゃりと言った。お前がその状態だと他のものに迷惑がかかるんだ。

 黒い双方がじっと俺を見つめている。俺は言葉が出てこなかった。心はぞわぞわしている。良いのか。ここで仕事を休んで。半年だぞ? だが俺の口から続く言葉は出なかった。頭を下げて、部屋を出た。

 仕事を休んでから、毎日が凄く長く感じるようになった。今まで鉄道を敷く毎日だったのだから、他にやることなどない。しばらくの間俺は皆が鉄道を敷くのを端でぼぉーと見つめていた。線路は少しずつ伸びていった。

 ある日、父の部下の一人が言った。仕事もしないのにずっと見ていられると気が散るんだ。どこかに言ってくれ。

 俺は答えた。どこに行けばいい? そいつはイライラした様子で俺に言った。お前は今、仕事もやることもないんだろ? 好きなとこに行けばいいだろう? 

好きなとこって? 俺がそう聞くとそいつは俺をじろりと睨んだ。馬鹿にしてんのか? 

 馬鹿にしているつもりなんてなかった。

 俺は仕事に戻る。さっさと消えろ。そう言ってそいつは仕事に戻った。

 どこにいけばいいんだ? 

 行く当てなんてない。

 適当に村の近くを散策した。学校では子供たちが無邪気に遊んでいた。子供一人が俺を見つけて、俺を指さして、先生に叫んでいた。先生と目が合って、俺は慌てて逃げた。

 どこに行けばいい?

 村で唯一の酒場に言った。平日の昼間だというのに、客がいた。みすぼらしい恰好をした年配の男性だった。そいつは俺を見つけてニヤリと口角をあげた。俺はその視線がひどく気に入らなくて、注文もせずに店をでた。

 どこに......。

 教会に行ってみた。教会には懺悔室がある。そこにいけば何かわかるかもしれない。懺悔室に入ると、中は薄暗く、中にカーテンで塞がれた小さな小窓がある。声がした。あなたは何をなさったのですか? 柔らかい女性の声だった。

 俺はどこにいけばいい? そう言うと少し沈黙があった。

 あなたは何を恐れるのですか? 

 恐れてなんていない。行く場所が分からないんだ。また沈黙だった。

 埒が明かなくなって俺は席を立とうとした。

 その時だった。バッとカーテンの隙間から白い細い腕が伸びてきて、俺の胸倉をつかんだ。唖然として、自分の首元を見つめていると、その手はぎゅーと力強く胸倉をつかんだまま、突き放すようにドンと俺の胸を押した。そして、ぱっと手を離した。そして、するすると小窓の中に戻っていく。俺はフラフラとバランスを崩しながら、もう一度小窓に問いかけた。どこにいけばいい? 小窓からは何もかえってこなかった。

 俺は逃げるように教会をでた。 

 それから村の外にでた。ふと村の近くに海と隣接した切りだった崖があることを思い出したのだ。そこから景色でも見ようかと、その崖にむかった。山道は意外と体力を奪ってきた。崖に着いた時は、呼吸は酷く乱れて、口の中で苦い鉄の味がした。

 崖の上からの景色は少しは感動するものかと思ったが、意外と何も感じなかった。海が見える。崖の下では波がざざーざざーと音をたてている。

 ……………なんだ。

 すると、崖の傍に積み上げられた石を見つけた。その石の前には白い華が置かれていて、まるで墓石のようである。俺はそれが気になって、その石に手を伸ばそうとすると、背後から鋭い声が聞こえた。

 やめて。それを壊さないで! 

 振り返ると、そこには気の強そうな目つきの女性が立っていた。俺を目の敵のように睨みつけている。

 俺は思わず謝った。

 ごめん。でも壊そうとしていたわけじゃないんだ。ただちょっと気になって。

 女性は眉をひそめた。本当に? だってあなた6年5組の生徒でしょ? あなたも先生のこと馬鹿にしてるんじゃないの?

 え? 予想外の言葉に俺は頭がフリーズした。6年5組。今となっては聞き馴染みのない言葉である。

 よくよく女性の顔を見ると、その顔には見覚えがあった。小学校の同じクラスの生徒であった。それに気づくと、急に懐かしが込み上げて、俺は笑顔を浮かべて駆け寄った。

 久しぶりだな! どうしてこんなところに? 

 しかし、女性の表情は晴れなかった。何やらまだ俺に不信感を持っている様子だった。 

 あなた本当に知らないの? 

 何を? 

 女性は俺の背後の積み上げられた石を指さした。それは私達の担任の先生の墓よ。ここら飛び降りて亡くなったの。あなたその墓を荒しにきたんじゃないの? 

 ズドンと心臓に弾丸を打ち込まれたような衝撃が俺を襲った。目を見開いて、女性を見つめる。

 な、なんで? 

 あの先生いつも誰にでも可能性がある。未来は無限大だって言ってたでしょ? 皆に馬鹿にされて、誰も信じていないのに、毎日毎日。馬鹿みたいにそう言って。

……………あ、ああ。

そのことはなんとなく覚えている。

私もあの人の言うことは信じてなかったんだけどさ。でも好きだったんだ。聞くたびにちょっとだけ、心が温かくなったの。

 女性は懐かしむような、柔和な表情で墓石を見つめて。

 この人空を飛ぶことが夢だったみたいでさ。ピーターパンみたいに空を自由に駆け回りたかったんだって。そしたら、ある日ここからから飛び降りて……。

 俺はなんて声をかければいいか分からず。愛想笑いを浮かべる。女性ははっと笑った。儚げな笑みだった。

 馬鹿でしょ? 私はそのこと聞いた時、笑っちゃたもん。でもさ、ちょっとだけ羨ましくも思うんだ。

 なんで?

 思わずそう聞くと、女性は温かい眼差しで墓石を見つめていった。

 ちょっとの間だけどさ。先生の夢は叶ったんだよ。空を飛んで死んだんだもん。幸せな最後だと私は思うの。……………あなたはそんな訳ないと思う? 

 俺は墓石を見つめた。墓にはうっすらと落書きの跡が見える。死んでまで叶えたいことなんて意味が分からないし。可能性が無限大なんてやっぱり無茶がある。

 俺はポツリと呟いた。

 俺は分かんないな。

 ……………そっか。私、よくここに来るんだ。ここに来れば先生の話を聞いてる気持ちを思い出せるから。

 俺はじっと墓石を見つめる。

 ......あの先生どんな顔してたっけ。思い返そううとしても、顔は浮かんでこなかった。

 なぁ、これから俺もここに来ていいか?

 女性の瞳が少し見開かれた。そして、柔和な笑みを浮かべた。

 行く場所が一つ見つかった。

 

 

  

 

 

 


  

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