第3話 この世の神

 バルオキーに着いた時、村におかしな様子がないことを見て取って、アルドはひとまず安堵した。

(魔物はまだ来ていないのか)

 乱れた呼吸を整えながら村の西へと歩き出す。

 村の西側の境界にはダルニスとノマルの姿が見えた。どうやら魔物の姿はないようだ。

「魔物はまだ来ていないんだな」

 驚きながらダルニスが振り向いた。

「アルド、もう戻ったのか」

「ああ、急いで駆けつけたんだ」

「アルド先輩、まだ魔物は来ていませんけど、ミグランスの兵士が言うにはゆっくりとこっちに向かってるって…」

 と不安そうな顔でノマルが言った。

「ここは警備のミグランス兵もいる。俺たちは少し先に行って様子を見てみないか」

 アルドの提案にダルニスとノマルが頷く。


 ヌアル平原に出ると、西から大きな体躯を揺らしながらこちらに歩いてくる魔物達の姿が見えた。

(あいつだ、間違いない。あのひときわ大きいゴブリンだ)

 アルドもゆっくりと魔物に近づいていく。

「おい、よせアルド!あまり近づくな」

 ダルニスの静止をよそに、アルドは歩を進める。


 互いの姿がはっきりと視認できるほど近づいたところで、魔物達もアルドも立ち止まった。驚いたことに、巨躯の魔物は白昼堂々と、たった三体の共を連れただけだった。


 ひときわ大きなゴブリンが口をひらいた。

「人間よ。お前達は思った以上に頭がまわるようだ。今回の知恵比べはどうやら私の負けのようだ」

 そう言ってニヤリと笑った。

「知恵比べって、一体何の話だ」

 アルドは怪訝な顔で問う。

「お前達人間に、私の可愛い仲間をやられたことだよ。よもややられるとは思ってもみなかった」

 と言って、ゴブリンは両手を広げておどけて見せた。

「だからこうしてお前たちを称賛しにやってきたというわけだ。クハハハハ」

「何が可笑しいんだ。なぜ人間を襲ったりするんだ」

 ひときわ大きなゴブリンは薄笑いを浮かべたままアルドを見下ろしている。

「そうだな…。お前達人間はなぜ魔物を攻撃するのだ」

「それは、人間に危害が及ぶと感じた時だけだ。俺達は無駄に魔物を襲ったりはしない」

「それと同じことだ。我々も人間に危害を加えられると感じたから襲っただけのこどだ」

 アルドはぐっと歯を食いしばったまま押し黙った。巨躯のゴブリンは、あいかわらず薄笑いを浮かべたままアルドを見下ろしている。

 少しの沈黙の後、静かにアルドが口を開いた。

「じゃあ、これ以上の争いは無意味だな。俺達は森の奥へ行ってお前達に危害を加えない。だからお前達も森から出て人を襲わないでくれ」

 笑みを浮かべたままこれを聞いていたゴブリンはゆっくりと口を開く。

「残念だがそれは出来ない相談だ」

「なぜだ!」

 とアルドが食い下がる。

「私は今回、お前達人間との知恵比べで様々な収穫が得られたと考えている。人間は思った以上に賢いということ。人間は狂暴で攻撃的な種族だということ。そして人間は傲慢で身勝手な生き物だということだ」

 そう言うとゴブリンの表情から笑みが消えた。

「その証拠に大勢で徒党を組み、我々を討伐しに来た。お前達人間どもは自分たちの暮らしを良くするためという身勝手な理由で生活圏を広げ、森の奥へと入り込んでは木を伐り倒し、プリズマを掘り返していく。魔物が人間の生活圏に入った、という難癖をつけては好き勝手に魔物を狩る。自分達の行動を棚に上げてだ」

 話しながらゴブリンは刺すような冷ややかな目つきになった。

「そして我々がほんの僅かな抵抗をしようものなら、それを理由に今回のように魔物を討伐しにやってくる。実に攻撃的だとは思わないか」

 これにアルドは言い返すことが出来なかった。身勝手な人間達がいることはアルドも承知しているからだ。しかし、知性が低いせいもあって、理由もなく人間に襲いかかってくる狂暴な魔物がいることも事実だ。それを口にしようかと考えたが、ここは相手の言い分を聞くことにした。

「私は、いや、私を含めて多くの魔物はあまり高い知性を持ってはいなかった。だが、最近になって私はそれを得ることができた。それだけではない。力も得ることができたのだよ。特別な力を。」

 そう言ってゴブリンは左手をゆっくりと上げて、自分の顔の前で拳を握りしめた。

 「特別な力?」

 アルドが聞き返す。

「そうだ。人間にはない特別な力、エレメンタルの力だ。魔物の上位の種族である魔獣が持っている力だ。だが、私が得たのはそれよりもはるかに大きな力だ」

 ゴブリンは両手を広げて自身に満ちた表情を浮かべる。

「そして得られた知性がどれ程のものなのか、お前達人間との知恵比べで測ったというわけだ。手下の魔物の多くは失ったが、それはまあいい。私同様、巨躯を持つこの者達こそ私の大切な仲間なのだからな」

 と言いながら、取り巻きの三体のゴブリンに目配せをすると、さらに話を続けた。

「今回、その大事な仲間を一人失った。これは想定外だった。やつにも大いなるエレメンタルの力を分け与えたのに、よもや人間ごときにやられるとは思いもしなかった」

 そう言って冷ややかな表情を浮かべる。

「私の可愛い仲間を斬ったのは余程腕の立つ者とみえる。一体誰が斬ったのか、お前は知らんか」

 そう問われたアルドは真っ直ぐに相手の目を見つめ返すと、ゆっくりと答えた。

「…俺が…斬った」

 ゴブリンは冷ややかな視線をアルドに注いだまま微動だにしなでいた。暫くの間、重たい空気に包まれたまま沈黙が続いた。

 不意にゴブリンが笑みを浮かべ、口を開いた。

「…やはりそうか。お前からも感じるぞ。特別な力を」

 アルドを指さしながらそう言うと、ゴブリンはさらに続けた。

「お前からもエレメンタルの力の波動を感じる。それと…その腰にさげた大剣…それにも大いなる力の波動を感じる」

 その時、アルドが腰にさげていた大剣オーガベインがブゥンと唸りをあげて振動し始めた。

「どうした、オーガベイン」

 大剣に手をあててアルドが語りかけた。

「やつの力の波動が我が力に干渉している…やつのエレメンタルの力は強大だぞ…!」

 とオーガベインが答える。

「落ち着いてくれ、ここで剣を抜くわけにはいかない」

 アルドは言いながら剣の柄を抑え込むようにぐっと握った。

「随分と厄介そうな代物を持っているではないか。その剣は私を斬りたがっているのかな」

 笑みをたたえたままゴブリンが問う。

 間もなくオーガベインの振動が収まった。ふうと息をついてアルドは大剣から手を離した。

「私の可愛い仲間を斬ったこと、借りとしておこう。この借りはいずれ返してもらう」

 そう言うとゴブリン達は踵を返し、森へ帰ろうとした。その背中に向かってアルドが声をかける。

「待ってくれ。ゴブ神様というのはお前のことか」

 すると取り巻きの一体が振り返り声を荒げた。

「貴様、さっきからゴブ神様にむかってお前お前と失礼だゴブ!」

 それを手をあげてゴブ神が制した。

「まあよい。いづれ分かる時がくる」

 そう言ってゴブ神はにやりと笑った。

 アルドが続ける。

「俺が倒したゴブリンが言っていた。お前がこの世を統べる存在だって。それはどういう意味だ」

 ゴブ神はアルドに向き直ると笑いながら言った。

「言葉通りの意味だ。私がこの世を統べる神となるのだ」

 そう言い残してゴブリン達は森へと帰っていった。


 アルドとダルニス、ノマルの三人が村へ戻って間もなく、王都ユニガンからソイラが訪ねてきた。

 アルドはソイラを自宅の二階へ招きいれて、先ほどのゴブリンとのやり取りを話した。


「そうですかぁ。エレメンタルの力ですかぁ。厄介ですねぇ」

 腕組みをしたままソイラが続ける。

「目的が世界を統べることなら、やっぱり人間を支配下に置くことを考えているんでしょうねぇ。やはりこのまま放置しておくわけにはいかないですねぇ」

「ああ、そして俺が仲間を斬ったこともきっと根にもっているはずだ…。絶対にこのままでは済まないだろうな」

 アルドは神妙な面持ちで答えた。


 そこへ妹のフィーネがお茶を淹れて持ってきてくれた。

「どうぞ、おいしいキノコ梅茶ですよ」

 そう言ってカップを渡すと、浮かない顔でアルドを見つめた。気付いたアルドが訪ねる。

「どうしたんだ?何か気になることでもあるのか」

「…お兄ちゃん、さっき村の近くまで魔物がきたんでしょう?その魔物、すごく危険だと思うよ…」

 フィーネの目に心配そうな色が浮かんでいる。

「わたし家にいたのに、ここまで強いエレメンタルの力を感じたよ」

 フィーネの体内に埋め込まれたジオプリズマが、エレメンタルの力を敏感に感じ取ったのだろうか。

「お兄ちゃん、あの魔物を倒しに行くの?」

「ああ、このまま放ってはおけないからな」

 心配そうなフィーネの視線が痛かった。

「…だったらわたしも行く」

「いや、それはダメだ」

「どうして?きっとわたしの力が役に立つとおもうよ。お願い、わたしも連れて行って」

 食い下がるフィーネをアルドがなだめる。

「フィーネは連れていけない。以前のようにフィーネの中に眠っている力と魔物のエレメンタルの力が共鳴したりしたら大変だからな」

「でも…」

 フィーネはなおも食い下がる。

「頼むからフィーネは家にいてくれ。もしもあの魔物と共鳴したりしたら、その時は手に負えなくなる」

 アルドは、真っ直ぐにフィーネを見つめた。見返すフィーネの瞳がゆらゆらと揺れている。

「…分かった。でも一つだけお願いがあるの。月影の森で戦うのは避けて欲しいの」

「どうしてだ?」

「あの森にはエレメンタルの力が満ちているわ。魔物達はきっとその力も利用していると思うの。だから森の中で戦うのは危険だと思う」

「エレメンタルの力を利用しているか…」

 アルドは腕組みしながら話を聞いていた。

「それはとっても貴重なご意見ですねぇ…。それに森の中は魔物達のほうが熟知していて、あちらに地の利もありますからねぇ」

 ソイラが続ける。

「では、それを踏まえてもう一度作戦を練らないとだめですねぇ。それではユニガンに戻るとしましょうか」

 そう言うとソイラはバルオキーを後にした。



 ——それは少し前の出来事——

 巨大時震から古代世界を救うべく、四大精霊達が身を挺して守ったあの日…。凄まじい衝撃波は時空を超えて未来世界へと到達した。四大精霊の肉体は砕け散り、その一部は衝撃波と共に未来世界にも流れ込んだ。

 大いなるエネルギーのぶつかり合いと衝撃波の中で、四大精霊の肉体の破片が融合し、本来交わることのなかった地水火風のエネルギーが一つとなって、一塊の結晶が生まれた。四大精霊の力を宿した結晶は、混沌の渦巻く未来世界で静かに瞬いていた。


 ある時、一匹の猫が結晶に魅入られて、それを大事そうに咥えていった。


 この世界では時々、ぴょんと時空を飛び越える猫が現れる。結晶を咥えた猫は時空を超えて月影の森へと降り立った。

 猫はいつもこの結晶をじっと見つめていた。飽きることなく。

 そこへ大きな魔物が現れた。猫はとっさに逃げ出した。お気に入りの結晶を置いたまま。魔物は結晶に気づくと、それを拾い上げて大事そうに握りしめた。


 魔物はいつも肌身離さず結晶を持ち歩いた。暇さえあれば結晶を眺めていた。結晶は吸い込まれそうな、美しい、柔らかな光を携えていた。不思議と、この結晶を持っていると気分が良かった。体の奥から力が湧いてくるような感覚さえあった。


 ある日、魔物は持っていた結晶が小さくなっていることに気が付いた。大事な結晶が小さくなってしまったことをひどく嘆いたが、不意にこの結晶を自分が取り込んでいるのだと悟った。気がつけば気分はすっきりとして、頭の中に様々な考えが浮かんできた。それらを整理しているうちに、この結晶が四大精霊の欠片だったことを唐突に理解した。四大精霊の記憶の一部だろうか。見たことのない景色。聞いたことのない言葉。様々なことが、まるで自分の記憶のように思い出せる。エレメンタルの力がこの身に宿ったことを感じる。いつの間にか自分の体が大きくなっていることに気づく。体の奥底から力があふれてくるのを感じる。自分は何者なのだろう。自分はこれからどうなってしまうのだろう。今まで考えたことのなかったことが次々と頭に浮かんでいく。


 私は一体、何者なんだ…。


 ついに結晶は消えてしまった。しかし魔物はとても気分が良かった。これで全てを手に入れた。私はこの世の神となるのだ。神となってこの世を統べよう。

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