1-18. オジサン

「それで、オジサンはここで何をしているんですか?」

私はオジサンの家のソファですっかり寛いでしまっていた。警戒心が無いわけではない、けれどかなり大丈夫ではないかと思うようになっていた。

テーブルの上に置いてあったコップを取り、お茶を飲むと、オジサンの方を見た。

「何って、普通に暮らしているだけだね。畑の面倒みたり、魚を釣りに行ったり、家のメンテナンスをしたり、掃除したり、洗濯したり、食事を作ったり、毎日それなりに充実しているよ」

「本当に暮らすことだけしかしてないんですか?世の中で何が起きているのか知らないんですか?」

「あ、いや、そこまで完全には世間から切れてはいないよ。ニュースは見ているし、考古学の文献とか新しいのが出ると読んだりしているし」

「オジサン、世捨て人なのかと思ったんですけど、そこまで世捨て人ではないんですね?」

「まあ、ボクとしては、煩わしい人との接触を無くしたいだけだから。世捨て人になりたいわけではいよ」

人から離れたくて離れたら世捨て人みたいになってしまったということだ。少し世捨て人とは違うみたいだ。

「そうですね。世捨て人じゃなくて、もっとオジサンの境遇に合った呼び方があるか考えてみます」

私はオジサンに微笑んだ。

「じゃあ、一つ素敵な奴を頼むよ」

オジサンも微笑み返してきた。

「それで、そんなに人が苦手なオジサンは、私と話していても大丈夫なんですか?」

「そうだね。柚葉ちゃんからは敵意を感じないから、話していても苦にならないよ」

「それなら良かったです。じゃあ、一つ聞いても良いですか?」

「何だい?」

「オジサンは、前に巫女のことを調べていたんですよね?」

「うん、そういう時期があったね」

「それで、オジサンが巫女について調べて分かったことを教えて貰えませんか?」

オジサンは腕組みをして、少し困ったような顔をした。

「実はね、考古学の仲間うちでは、黎明殿の巫女のことは研究テーマの一つではあるのだけど、分かっていることがほとんどないんだ」

「記録が無いってことですか?」

「そうなんだよね。昔から国や政治などへの不干渉を貫いたようで、その手の書物にはまったく登場しないんだ。だから調べる手掛かりが少なくて、残念だけど分かったことは多くないんだ。たぶん、キミたち巫女の家での言い伝えから分かることの方が多いのではと思うけど」

「それがですね、私の家では殆ど何も言い伝えがないんです。家にある道具ですら、使い方が伝えられていないものがあるんです」

「ふーん、それは不思議な感じだね」

オジサンを見ると、意外そうな顔をしている。

「何かあるのですか?」

「いや、万葉さんは色々知ってそうだったから、当然言い伝えられていると思ったんだよね」

「私が小学生になったときにはお祖母ちゃんはもう島を出ていましたし、お祖母ちゃんから話を聞いた記憶はないですね。お母さんは言い伝えはそんなに残っていないって言っていたから、お母さんもお祖母ちゃんからそんなに多くのことは聞いていないと思うのですけど」

「そうなんだ」

「やっぱり、一度お祖母ちゃんと話をしてみたいな」

お祖母ちゃんは、今どこにいるのだろうか。探してみたいけど、島を離れることはできないし、顔も良く分からない。でも、お祖母ちゃんは、お母さんによく似ているってお父さんが言ってたことがあったような。

「ボクもキミが万葉さんに会えるように祈っているよ」

オジサンは優しそうな目で私を見ていた。その後、左の方に顔を曲げ、視線を遠くに向けていた。窓越しに家の北側の景色を眺めているように見えたけど、景色ではない何かを見ている感じがした。

会話が無いと部屋の中は静かになった。森の中の鳥や虫の鳴き声が部屋の中にも聞こえてくる。

オジサンはしばらく外を見ていたけれど、何かを思い出したような表情をすると私の方に向き直り、コップを取ってお茶を飲んだ。

「ああ、ごめん。一人で物思いに耽ってしまって」

「いえ。昔のことでも思い出していたんですか?」

「そうだね。万葉さん、どうしているかなって」

オジサンは寂しげな表情をしていたけど、気持ちを切り替えるかのように姿勢を正して、少し前のめりになって膝の上に肘を乗せ、両手を合わせて握った。

「そうそう、柚葉ちゃんは封印の地ができる前から巫女がいたことは知ってる?」

「はい。ダンジョンが出来て、魔獣が出るようになってから封印の地が作られたって」

「そう。そして、それぞれの封印の地に、その地を護る巫女が就いたんだよね。それで、ボクは、封印の地を護る巫女とそれ以前の巫女には違いがあると思っているんだ」

「え?封印の地を護る巫女の初代は、それ以前の巫女から選ばれたんですよね?」

「うん、話としてはそうなんけど、記録としては封印の地を護る巫女とそれ以前の巫女、便宜的に封印の地の巫女といにしえの巫女と呼ぶけど、その二つの巫女に違いが見られたんだ」

「どんな違いがあったんですか?」

「簡単に言うと、封印の地の巫女は時とともに名前が変わるんだけど、古の巫女は名前が変わらないんだ」

「それって、どういうことです?」

「記録で分かるのは、名前だけだからね。封印の地の巫女は、今もそうだけど時が経てば代替わりしているでしょう?代替わりすれば、名前も変わるよね。その一方で、古の巫女は名前が変わっていない。でも、それが、代々同じ名前を受け継いでいるのか、長生きしているのか、そういったことは全然分からないんだ」

「名前が変わるのは、古の巫女と同じ初代封印の地の巫女もってことですか?」

「そうなんだ。例えば、西の封印の地の巫女の初代は一恵だと言われている。その一恵という名前は、古の巫女としての記録にもそれなりの長期間登場していた。でも、西の封印の地の巫女としての一恵は、二十年くらいしか記録に登場しなくて、その後は西の封印の地の巫女は次恵という名前になっているんだ」

「不思議なお話ですね。それが考古学の研究成果なんですか?」

「そう、まあ、考古学にも色々な分野があるから、それがすべてではないけれど、各地の文献を調べた結果を突き合わせて考察した結果だよ」

「考古学って楽しそうですね。調べて分析して考察するのって私好きなんです。大学行ったら考古学取るのも良さそうですね」

「それは嬉しいね。ぜひ検討してみてよ」

オジサンは嬉しそうに微笑んだ。

こうして話していると、目の前の人が人嫌いのようには見えない。でも、過去、嫌な経験をしたのだろう。せめて私のことは嫌にならないで欲しいと思う。

さて、会話は楽しいけど、そろそろお暇しなければ。巡回もまだ途中だし。

「オジサン、面白いお話ありがとうございます。他のお話も聞けたらと思うのですけど、巡回に戻らないといけないので、また今度お願いしますね」

「ああ、そうだね。また来てくれると嬉しいよ。でも、悪いんだけど、島の人には私のことを言わないで置いて欲しいのだけど」

「はい、分かってます。言いませんよ」

「ありがとう。気を付けて帰ってね」

「ええ。失礼します」

オジサンは私を玄関から送り出してくれた。

私は北側の階段を下りて、自転車のところへ行った。自転車のスタンドを上げて、草地の中を森の方に自転車を引いていく。

草地の端に到達したとき、家の方を振り返ってみた。オジサンは玄関の扉の取っ手を持って開けたまま、まだそこに立っていて、私の方を見ていた。

私がオジサンに向けて手を振ると、オジサンも手を振り返してくれた。そして私は来たときと同じように転移陣を描き、自転車を引き連れて周回道路の道端に転移した。

私は自転車を周回道路の上まで引っ張っていき、そこで自転車に跨り周回道路の続きに向かって漕ぎ出した。

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