1-17. 森の中の家
そこは、森の中にポツンとある草地だった。山の北側の斜面の途中にあるので、土地は傾斜している。その草地の中の標高の高い方、つまり山頂に近い側にログハウスが建っていた。大きさはそれほどではないけど、基礎の部分はしっかりコンクリートが打ってある立派なものだった。島の中でコソコソと潜んでいるような雰囲気ではない。でも、これまでこんなところに人が住んでいるという話を聞いたことが無かった。今度、チヨさんが知っているか聞いてみないといけない。
それはともかくとして、家に近づいてみる。私が転移したのは、ほぼ円形の草地の一番西寄りのところで、そこから見ると家は北東、つまり草地の中央を見て右斜めの方向に建っていた。そして玄関は西側、私から見える位置にあった。玄関の前は木組みのデッキのようになっていて、そこから家の壁に沿って北側と南側に階段が付いていた。斜面は北から南に下る形なので、北側の階段は短く三段程度しかなく、南側の階段の段数は多くなっている。
私は、その南側の階段の下まで自転車を引っ張っていって、階段の横で自転車のスタンドを出して停めた。でも、階段を登るところで躊躇った。探知によれば、この中にいるのは人が一人だけのようだった。危険は感じなかったけど、見知らぬ人を訪ねて何て言おうかと悩んだ。あなた怪しい人ですか、なんて聞けないし。
と、玄関の扉が開いて、人の顔が見えた。見えた顔は年配の男の人のようだった。
「おや、可愛いお嬢さんだ。良くここまで来たね。お茶でも飲んでいくかい?」
「お誘いありがとうございます。でも、知らない男の人の家に、いきなり入れません」
「まあ、それもそうだね。だけど、折角ここまで来たんだし。そう言えば、どうやってここまで来たんだい?自転車に乗って山道を登ってきたわけじゃないよねぇ?」
私はこのまま会話を続けたものかどうか考えた。まだこの人の素性も分かっていないし。
「その質問に答えても良いんですけど、その前にあなたのことを聞かせて貰えませんか?私は南森柚葉って言います」
「南森?ああ、道理で知っている人に似ていると思ったよ。柚葉ちゃん、よろしくね。ボクは人目を忍んでここに住んでいるので名乗れる名前が無いんだよね。だから単にオジサンとでも呼んで貰えるかな」
「オジサン、逃亡者なの?」
「いや、逃亡者じゃないんだけど、人の間で暮らすのに疲れちゃってね。だからここに家を建てて人と関わることなく暮らすことにしたんだ」
「でも、なんでここなんですか?」
「人里離れたところに住みたかったんだけど、そういうところって魔獣が出たりするよね。ここなら黎明殿の巫女さんがいるから安全かなって」
「オジサン、ここが封印の地だって知っているんですか?」
「勿論知ってるとも。これでも前は歴史学者をやっていてね、黎明殿のことを調べたこともあるんだ。ここは夏の巫女が護る南の封印の地、崎森島だよね。キミも南森姓を名乗っているということは巫女なのではないのかい?」
「はい、オジサンはお母さんを知っているんですか?」
「うーんと、お母さんなのかな?ボクの知っている夏の巫女は、南森
「え?お祖母ちゃん?」
そう、南森万葉と言えば、私のお祖母ちゃんだ。いまはこの島にはいない。私がまだ幼いうちにこの島を出ていって、それ以来、島に戻ってきていないとお母さんから聞いている。この島の中で、特にタブーとなってはいないけど、お祖母ちゃんのことを口に出す人は殆どいない。なので、久しぶりにお祖母ちゃんのことを聞いた気がする。
「そうか、万葉さんはキミのお婆さんだったんだね。ボクが万葉さんと話をしたのは随分と前のことだからなぁ。確かお子さんが二人いたように思うんだけど。紅葉ちゃんと若葉ちゃんだったかな?」
「はい、その紅葉が私のお母さんです」
「それじゃあキミが南森の本家の後継者ってことかな?お姉さんはいないの?」
「ええ、娘は私だけです。あとは弟が一人」
「そうか、じゃあ、これからキミにお世話になることになるんだね。改めてよろしく。それで、立ち話もなんだから家に入るかい?」
私はどうしようか迷った。このオジサンは、お祖母ちゃんの知り合いみたいだし、悪い人では無さそうではあるのだけど、なぜか警戒心を解けないでいる。まあ、虎穴に入らずんば虎子を得ず、いざとなれば巫女の力でどうにでもなるか、とそこまで大層な決心が必要だったのかは謎だけど、私はオジサンの誘いを受けることにした。
「ありがとうございます。それじゃあ、少しだけお邪魔します」
「どうぞどうぞ。さあ、ここから中に入って」
オジサンは玄関の扉を大きく開けて私を迎え入れてくれた。横を通るときに確認すると、背丈は男の人の標準くらいだろうか、私よりも一回り高い。年のころは50代に見えるけど、お祖母ちゃんの知り合いだとするともっと年上なのだろうか。確かに小父さんではあるものの、年齢を感じさせず、そして普通なら目立っている筈のお腹の出っ張りもなくスラリとした体形だった。それが、十分運動して健康的な生活をしているからなのか、ダイエットしているからなのかは見て取れなかった。
家の中は、仕切りが少なく、広々とした空間になっていた。玄関から入って右側奥にトイレの扉が見え、その並びに洗面台と洗濯機があり、その先に浴室があるようだ。その一角だけが壁で仕切られていて、その仕切りの手前、玄関から入って目の前がカウンターキッチンで、あとは広いリビングになっている。リビングにはローテーブルとソファ、あとはカウンターキッチンのカウンターに3脚ほど椅子が置いてある。
玄関の左側には階段があって、ロフトに上がれるようになっていた。ロフトは、リビングの南側の上に設置されている。下からだと見えないけれど、どうやらロフトにベッドがあるようだ。
「柚葉ちゃん、どうぞ好きなところに座って」
オジサンに促されるまま、私はソファに座る。オジサンはキッチンに入って、コップを二つ取り出し、冷蔵庫から飲み物のボトルを出してコップに注いでいた。
「ごめんね。ここにお客様なんて来ないから、何も準備していなくて。お茶くらいしかないんだ」
コップを両手に持ってキッチンから出たオジサンは、申し訳なさそうに私の前に冷たいお茶が入ったコップを置いた。
「いえ、ありがとうございます。お茶がいただければ十分です」
「そう言ってもらえると助かるよ」
オジサンはコップを持ったまま私の向かいの席に座ると、コップのお茶を少し飲んだ。私もお茶をいただく。冷たくて気持ち良い。
「それでキミはどうしてここに?島の人はここには来ないのに」
「この前、ハグレの魔獣が出たんです。それで、今日は島を巡回してみようかと思って。それでここを見つけました」
「巡回って、自転車でだから周回道路を使ってだよね?周回道路からはここは見えないんじゃないのかい?」
私は正直に答えようかどうしようか迷った。オジサンは昔巫女のことを調べていたと言っていたし、巫女の力のことも知っていそうなんだけど。まあ、少しぼやかしておくか。
「巫女の力で、ここに人がいることが分かったので、周回道路から入ってきたんです」
「そうなんだ。でも、よくここまで来られたね。この草地の周りには結界が張ってあって、普通は辿り着けないんだよ。やっぱり巫女の力を持っていると違うのかな?」
「結界ですか?」
「そう、前に万葉さんに張って貰ったんだ」
「お祖母ちゃんに?」
よほど私が怪訝な顔をしていたのだろう。オジサンは困ったような顔をした。
「ボクがここに来た頃のことなんだけどさ、万葉さんが男を連れ込んだという噂が立ってしまって。ただでさえ人との付き合いが嫌で来たのに参ってしまって。それでボクは島から出たことにして、島の人が住んでいるところから離れたここに移り住んだんだ。そこに、万葉さんが島の人が来ないように結界を張ってくれたんだよ。それ以来、島の人に会ったことが無いんだ」
いま聞いた話がその通りなら、このオジサンも気の毒な人だと思った。
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