綴る君への想い——序 3ページ




 久々に登る高華たかはな高校の坂道の先を見上げれば、蒼穹そうきゅうに飽和する虹色あでやかな彩雲さいうんが、海色に染まる貝殻シェルの内側のように輝きを放つ。随分と夏の照り返しが薄れてきたな、なんて思うとやはり感傷的になってしまう。



「高校の文化祭に呼ばれるなんて、なんだか嬉しいね春夜くん」


「うん。あの子たちがダンスを披露するなんて、ちょっと心配だけど嬉しいよね」



 ダンススタジオで教えている高校二年生の子たちが、「文化祭でダンスを披露するから観に来てください」なんて言うからには、行かない理由などない。クラス全員で踊るために、二年生の三人が朝と夕にクラスメイトにダンスを教えているらしい。



「この坂も登るのに命がけだったけど、今となっては嘘みたいに楽々と登れる。うん、なんだか嬉しいな」


「時が経つのが早いね。昨日のことみたい」



 やがて坂を登りきると、回顧の念を催される。母校は変わらずにそこに建っていた。文化祭の思い出は、充希主導で企画されたお化け屋敷。凝りに凝って、お忍びでやって来た鳥山志桜里にこんにゃくを当てたことが災いした。セクハラだと罵られてしまった僕は、それ以来セクハラをした男として志桜里から認識されたことが懐かしい。もちろん、冗談だけれども。



「志桜里ちゃんも覚えているかな。こんにゃく投げあったこと」


「忘れられないでしょ。年末に家に外出したとき言ってたじゃない。文化祭でこんにゃくを充希と投げあったことが一番の思い出だって」



 充希と志桜里が一悶着して、罵り合いながらこんにゃくを投げあったお化け屋敷での出来事は、思い出すたびに笑ってしまう。



「ふふ。志桜里ちゃんの顔に当たっちゃった時は、あ、キレられるって思ったけど、志桜里ちゃん無表情でこんにゃくをわたしの背中に入れてきたもんね」


「あいつ、負けず嫌いだから」



 昇降口から校舎に入ると、威勢の良い生徒がなにかのコスプレをしながらビラを配っていた。そのビラには、“お化け屋敷”なんて書いてある。思わず充希と顔を見合わせてしまった。行くしか無いよね、なんて言って僕の袖を引く充希がこんにゃくを首筋に当てられる想像をしながら、笑いを堪えた。



 階段を昇ったすぐの教室はしくも、僕たちが二年生のときに過ごした空間、溢れる思い出が詰まった場所。頭の中で流れる古いセピアのフィルムがサイレント映画を瞼に刻むように、僕たちの思い出はまだそこに置いてある。



「お二人ですか?」



 教室の前に設置された机が受付なのだろう。僕と充希は女子生徒に入りたい旨を告げると、にやりと笑って「二名はいりまーす」と威勢のいい声を上げた。教室の中からは返事がない。しかばねのような人体模型が少し開いた教室の引き戸からこちらを覗いている。このセンスは中々面白いかもしれない。



「春夜くん……覚えている?」


「え? なんだっけ?」


「わ、わたしホラー映画苦手なの」


「うん、覚えているけど……あ」


「自分で作ったりするのは得意だけど、お客さん側になると苦手かも」



 僕の肩を掴む充希の指先に込められた力が増していく。その上、僕の腰に回した手が邪魔で歩きにくい。まだお化け屋敷の中に入ってもいないのに。そんなに苦手なのに、なぜお化け屋敷に入りたいなんて思ったのか。


 だが、もし僕が充希のようにホラーが苦手でも足を運ばざるを得なかったように思う。志桜里は無類のお化け屋敷マニアだったから。彼女の想いをここに連れてこなければならない、なんてよく分からない使命が脳内を占拠していたから。



 開いた引き戸から漏れる闇がおどろおどろしいほどに不気味な音を放っていた。お経に交じる悲鳴とうめき声。どこかで響く赤子の泣き声。充希がごくりと唾を飲む音が聞こえた。



「も、もうだめかも……」


「ま、まだ入ってもいないじゃん」



 これは、充希が考え出したお化け屋敷を元に作っているな、なんて考えが及ぶ。充希を横目で見遣ると、そんな余裕はなく、今にも逃げ出しそうな及び腰でゆっくりと踏み出した。

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