はじまりのお話 君と綴る日常の5ページ目 そして本を閉じて駆け出した
ベッドで横たわる僕の隣で充希は眠れないのか、何度も寝返りを打つ。カーテンの隙間から覗く青白い月の静寂なる音が
眠れぬ夜は決まって熱帯夜だ。エアコンを掛けるも、冷やしすぎも良くないという充希の言葉に従って、微かに
「充希、寝た?」
「………ううん」
「眠れないの?」
「うん。春夜くんも?」
「うん。充希は暑くない?」
すると、充希はリモコンを操作してエアコンの風を強めた。ただ、充希の眠れない理由はきっと熱帯夜のせいではない。充希の首の下に左腕を忍び込ませて、その軽い
「なんて、言葉で表せないほど好きなんだけどさ」
「気持ちは伝わるから大丈夫。わたしだって、春夜くんのこと愛しているし、それ以上の言葉は知らないもの」
「なにを考えているの? 眠れない理由教えてくれない?」
「なんだろう。自分でもよく分からないの。ただ、考えを整理したいだけなのかも」
「そっか」
再び甘く温かいキスをした。火照る身体を重ねて、激しく、優しく、充希を求めて
「春夜くん、高校卒業程度認定試験を受けてみない?」
「え? テスト?」
「うん。勉強大変かもしれないけど、それを受けて、なにか好きなことを勉強してもいいと思うの」
意外だった。充希の言葉が意外なのではない。自分にダンス以外に好きなことを勉強できる機会が与えられても良い、という選択肢が今まで思い浮かばなかったことが意外なのだ。ダンススタジオを僕が開設したとき、充希はまだ大学生だった。今も大学生の身分だが、既に単位を全て修得しているらしい。
僕もダンススタジオでインストラクターをしながら勉強をすることもできると充希は暗に述べている。
「気づかなかった。ダンス以外のこと……僕は何を勉強したいんだろう。工学? 文学? それとも体育? 医療? 介護? 美術? こんなに沢山の道があったなんて」
「ダンスをもっと深く勉強してもいいと思うの。でも、場合によっては茨城を離れなくちゃいけなくなると思うけどね」
茨城の中で勉強をすることもできる。但し県内の大学の数からして限られている。ダンスを学ぶのなら、当然東京の大学に通う必要がある。
「まずは、高校程度認定試験か。受からなくちゃ始まらないよね」
「うん。でも、勉強はなんとでもなるよ。それに、ゆっくりでもいいんだし」
勉強をしたいという気持ちはある。だけど、その先が見えない。ダンススタジオは続けたいし、あの子たちの夢を叶えてあげたい。ある一人の子はテーマパークのダンサーになりたいと言っていたし、別の子はアイドルグループに入りたいと言っていた。また、ダンスが好きだから、なんでもいいからダンスをしてお金を稼ぎたいという子もいる。
じゃあ、自分はどうなのか。ダンスを教えるだけで再びダンサーとして世の中で活躍したいという野望はないのか。このままでいいのか。いや、僕の夢はあの子たちの中にある。充希とともに、あの子たちの成長を見たい。もっと、知識を与えたい。世界一のダンサーを育ててみたい。
「僕……やっぱり、ダンスをもっと勉強したい。ダンスしかない。だからダンスをもっと勉強して、もっとちゃんと教えられるようになりたい」
「……そう言うと思った。国立大学の難関になるんだけど、茨城にある大学でも舞踏学を学べそうなところがあるの。わたしと一緒に目指してみない?」
「え? 充希も入るの?」
「だめ? もしかして、一人でキャンパスライフを楽しみたかった?」
「ち、違うよ。僕のために付き合ってくれるのってなんだか……」
「わたしだけじゃないよ。朱莉ちゃんも。きっとシュンはダンスしか頭にないから、って。朱莉ちゃんも青春に付き合ってくれるって」
青春を謳歌するには遅すぎる、なんてことはないかもしれない。だけど、勉強をしたいという純粋な想いと高校を卒業できなかったという悔いが晴れるなら、今なら、どんな努力も惜しまずにできる。今しかない。
「うん。充希。やってみるよ。まずはテストに受かるように勉強する」
「うん。一緒に勉強しよう。仕方ないから、付き合ってあげる」
再び抱きしめあって、キスをして。
手をつなぎ合いながら瞳を閉じると、無意識という自我に覆われた脳内に暗幕が掛かる。
目を覚ますと、やはり充希はベッドから抜け出して、その温もりの残る虚空を抱きしめた。
————ありがとう充希。
窓の向こうの空のヴェールが一枚剥がれた気がする。新しい世界を感じた。
駆け出そう。未来に。
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