第3話

 ふと昔の事を思い出しながら、私はペットボトルのお茶をひと口飲み、チラリと瑞穂ちゃんに視線を移す。

 胸元が大きく開いた服で学食のテーブルに身を乗り出し、瑞穂ちゃんは向かいに座る高橋に話し続けていた。

 重たそうな兵器がふたつ、テーブルに乗っている。武器の使い方が熟れている。

 あざとい。あざとすぎる。


「ねぇ、高橋君。LINEのID交換しよっ?」

「ん、や、俺、LINEやってないし」


 何で嘘? 毎日毎日、くだらないラインを送ってくる癖に。


「じゃあ、さ……」


 矢継ぎ早に瑞穂ちゃんから飛び出す質問攻めに、「あー」とか「うん」とか気なしに答えていた高橋の返事がいつしか消える。


 見てる。間違いない。絶対に見ている。

 童貞の高橋なんか一撃で消し炭になる瑞穂ちゃんの兵器を。


 見てろ、高橋。

 公衆の面前で大声を上げてやるから。「女の子をエロい目で見るな」と。

 そうすれば瑞穂ちゃんも、きっと目が覚めるはず。

 こんなエロがエロを着てエロい事を考えて歩いているようなエロが、私より先に大人の階段を上るのは許せない。


 ……や、別に瑞穂ちゃんと高橋が何をしても構わないんだけど。


 私はバンッとテーブルを叩いて立ち上がる。


「何、瑞穂ちゃんの胸、を?」


 高橋は真っ直ぐ見ていた。

 獲物を狙う獣のような目で、瞬ぎひとつせず見つめていた。

 私を――。


 すぐ目の前に、グランドキャニオンのような深い谷間を見せてくれている美女がいるのに、何で私なんか。

 私は咄嗟に目を背ける。状況が上手く咀嚼できない。

 火傷しそうなくらいの高橋の視線のせいで体中が熱い。


「紗季、どうしたの? 顔、赤いよ?」


 不思議そうな顔で私を見上げる瑞穂ちゃん。

 私はゴニョゴニョと声にならない言葉を口ごもりながら静かに椅子に座る。


 高橋はいつだって私をエロい目で見てきた。たとえどんな格好であっても。

 露出の少ない服を着ていても胸を凝視してきたし、ジーンズを穿いても高橋の視線が私の下半身に執拗に絡みついた。

 ハーフコートで体を隠しても、指先、うなじ、耳、唇――高橋の嘗め回すようなエロい目から逃れる事はできなかった。


 いつからだろう?

 カリメロ事件の後、高橋と気軽に話せるようになり、毎日勉強を教えていた時はそんな事はなかった。

 その甲斐もあって同じ高校に合格して、一緒のクラスになって……

 いつだっけ? いつだっけ?

 教室? 体育? 部活?

 いつから高橋は私をエロい目で見るようになったの?


 瑞穂ちゃんのスマホの着信が鳴る。


「うん、うん、そう。あれ、可愛いよねー。え、あー、ごめん。忘れてた。すぐ行くから待ってて~」

『気にすんな、お前は可愛いから……』


 今、一瞬、何か思い出した。


 瑞穂ちゃんがスマホに語りかけながら、私に向かって手を立て小さく頭を下げる。

 頷く私を確認して、瑞穂ちゃんはチェックのミニスカートを揺らしながら慌てて学食から飛び出していった。


 残された私と高橋。

 気まずい。

 高橋がどう思っているのかはわからないけど、気まずくて居たたまれない。

 高橋は何もしゃべらない。きっと私を見ているんだ。絶対に私を見ているんだ。

 目の前に瑞穂ちゃんがいたのに、高橋の視線は私の体を這い回っていたんだ。

 今さらだけど急に恥ずかしくなって、両手でギュッと自分の肩を抱く。

 見られている。どんな格好をしたって、隠したって、私は高橋に見られている。


「み、瑞穂ちゃんって、か、可愛いでしょ? 性格もいいし、スタイル抜群だし、りょ、料理も得意なんだよ」


 高橋の顔が見られない。視線を確認できない。


「瑞穂ちゃんの胸、見た? 大きいでしょ? 高橋はエロいから大きい胸とか大好き……」


 お願い、何かしゃべって。高橋の沈黙に私の体が耐えられない。


「紗季……」

「な、なに?」


 思わず高橋の顔を振り返る。真正面で高橋の目を見る。

 テーブルに身を乗り出す高橋の瞳に映る私の顔。

 高橋のその目を見続ける事ができなくて、私は学食を飛び出した。



 *    *    *


 約束のデートの日、立花さんは駅前の犬の銅像の前に現れなかった。

 何度もLINEをしたけど返事どころか既読すらつかなかった。

 待ち惚けを食らって、やっぱりすっぽかされたんだと気づいた次の日、立花さんがバイトを辞めた事を知った。


 高校の時と同じだ。

 私はまたフラれたんだ。


 普通に恋愛をしたいだけなのにつき合う寸前でフラれ、残ったのは私をエロい目で見てくる元ヤンキーだけ。

 ささやかな幸せでいいんだけどな。

 別に誰よりも素敵な恋をしたいなんて大きな夢を見ているつもりはないんだけど。


 学食の一件以来、私は高橋を避けていた。

 大学は学部が違うし、バイトはシフトをずらして。

 スマホに何件もLINEが入ったけど、なるべく見ないように気にしないように心掛けた。

 高橋は友達だから。ずっと友達だったから。それ以上でもそれ以下でもないから。

 けど、ふとした拍子に高橋の事を考えてしまっている自分が嫌だった。


 何、今さら意識しているんだろう?

 何だか無性に寂しくなって、どうでもいい馬鹿話をしたくて、思わず高橋をLINEで呼び出してしまった。


 高橋は私を元気づけてくれるかな?

 落ち込んでるって言ったら、何かおごってくれるかな?

 いいや、笑わせてくれるだけでも。エロい目で見られても。


 そう言えば、高橋が私をエロい目で見るようになったのって、私が初めてフラれた後じゃ……

「痛っ」


 考え事をしながら駅前の人込みを歩いていたら、誰かに肩をぶつけてしまった。


「あ、すいませ……」

「てめぇ、どこ見て歩いて……ひぃっ!」


 聞き覚えのある声に腰を折り曲げたまま顔だけを上げると、歩道で尻餅をついて震える立花さんがいた。


「え、立花さ……」


 立花さんの手を引いたまま、不思議そうな顔で私と彼を交互に見る女の人。

 イケメンに相応しい露出度の高い煌びやかな美女。


「ご、ごめん、なさい。もう、しません。スイマセン、スイマセンスイマセン……」


 テレビドラマでよく見る、ホストのような高そうなスーツを着た立花さんが、私を見て怯えながら呪文のように謝罪を繰り返す。

 シュッとした端正な顔に貼られたいくつものガーゼが痛々しかった。


「だ、大丈夫ですか、立花さん。どうしたんですか、その怪我は?」


 差し伸べた私の手を振り払い、立花さんはまるで母親にすがりつく子供のように美女の後ろに隠れて細い足を抱き締める。


「く、くるな! 悪かったって! もう二度とお前の前に現れない。その女にも手を出さないから許してくれ!」


 ついには悲鳴にも似た声を上げ、人込みの中を転がるように逃げ出した。

 情けない事に、連れていた美女をひとり置き去りにしたまま。

 美女は慌てて、人の波に消えた立花さんを追いかけていった。

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