第三十二話 雨降って・・・・・二人の距離
今年の梅雨はいきなり大雨が降ったり、いきなり暑くなったりと気温の変化と大雨には驚かされるばかりで、侑希ちゃんも体中に出来る汗疹と戦っている。
俺が帰ると侑希ちゃんは分かるみたいで、最近始まった離乳食を途中で止めては赤ちゃん椅子の上から玄関を見ては俺を探していると言っている。
ミルクも百五十ミリリットルでは足りないらしく、母乳を追加で飲んでいるとの事で体重も増加して七千五百グラム以上あるみたいだ。
首も座ってしっかりしているし、椅子の上で長い時間座れるようになって来てるし、ひどい時には両足を椅子に付いているテーブルの上に投げ出している時さえあるそうだ。
「侑希ちゃんお行儀悪いねぇ、ママに似てるのかなぁ」
「ひど~い関矢君、私はそんなに行儀は悪くありませんよ。最近、関矢君が帰ってくる音が聞こえると顔を玄関に向けてね「ゥンマゥンマ」って話すようになって、関矢君の声が聞こえると手足をバタバタさせるから食事が出来なくて困っちゃうのよね」
「梶ちゃんそれはゴメン、今度は静かに黙って帰ってくるから。侑希ちゃん、ちゃんとママの云う事聞かないとダメだよ」
ゥンマ、アブゥアブゥ、ダァブゥウ、キャッキャキャ・・・ブゥブゥ
「アァアほらお口が汚れちゃうから、お願いだからお口の中を無い々してからお喋りしてね」
ブゥブゥブ、ブゥゥンマ、ダァダァ
「抱っこはダメよ。今、食事中なんだから終わってからね。それに関矢君はまだお風呂に入っていないんだから、抱っこは出来ないって」
俺は急いで着替えを抱えて風呂に駆け込む次第で、確かにちょっとお喋りは始めているし、ちょっと侑希ちゃんの要求が増え始めている。
俺をパパと思っているのか分からないけれど、でも、そこは線引きをしていかないといけない訳で、俺にとっては侑希ちゃんや梶ちゃんとの対応の仕方が難しくなってきている。
そんな毎日が続いている中で、土曜日の夕方になって俺に珍客がやってきた。
「小父さん居るぅ、ちょっとお願いしたい事が有るんだけど」
「どうしたの?佐川田さん所のお姉ちゃんだよね、確か二年生だっけ。名前は敏江ちゃんだ、おじさん覚えてるよ。何どうしたの俺に相談って、俺に男の子の相談は出来ないからね((笑))」
「そんなの知っていますよ、お母さんが言ってたもん。おじさんには恋愛問題は無理だって、小父さんと美由紀さんはまだ手を繋いでいる所を見た事が無い。だから恋愛関係は話しても無駄だからね、それ以外は努力家だから相談してみればって」
「ウワァ酷いなぁ!みんなそう思ってんのかなぁ、大家と間借り人の関係だからね俺達は。何だか貶されているような褒められているような複雑な気持ちなんだけど((笑))。それは別として、何なの?用って」
「うん、実はさぁ高校の勉強の事なんだけど、同級生は皆塾に行ってるけど家はさぁ、ここから塾じゃ帰りが遅くなるからダメだって。其れで英語と数学を教えて貰えないかなって!美由紀さんに相談したら小父さんに話してみればって云うから、小父さん教えてくれないかなぁ」
「うぅ~ん高校の数学か?まぁ見てやれない事もないけど、英語はどの位なの?何が弱いの?グラマー、それともリーディング、この地域では多分リスニング力が低いのかなぁ」
「何で分かんの?私リスニングが全くダメでよく聞き取れないし、だからリーディング力も下がって・・もう困ちゃって大学行けそうもないと思って、其れでお願いに来たんだけど」
「大変だよね。でも、俺の英語は独学だよ、それでも良いのなら教えてあげる。俺も大学試験の時に大変だったから分かるよ。でも、俺は途中で逃げ出してしまったからなぁ」
「やったぁ、英語話せる人この地区じゃいないし、どうしようか迷っていたんだよね。小父さん有難う」
「それじゃ、毎週土曜日午後二時から五時半まで英語と算数ね、其れとお友達が居たら一緒に勉強しようよと誘ってくれると良いな。英語は一人より二人・三人と居たほうが早く覚えられるんだよ。理由は後でわかるからね、来週からで良いかな?其れと授業料として梶ちゃんのお手伝いをして欲しいんだ。ミルクを上げたりオムツを替えたりをして欲しいだけだから、其れと料理の勉強もね」
「えっ其れだけで良いの、お金は良いの?其れだけならお母さん喜ぶと思う」
「はははは、多分お母さんからそれは大変だよって言われると思うよ。でもお母さんや小母あさん達はみんなしてきて事だし、それを知って貰いたいだけだから」
俺も梶ちゃんと同じように子供たちに勉強を教えてあげる事になってしまったけれど、違った意味で少し距離を開けられると思っている。
梶ちゃん母娘と距離を置くと云う事は中々難しく、つい今まで通りに気軽にと思ってしまう俺が居て、何か複雑で少し自分にイライラしている俺だった。
「ねぇ関矢君、あの子達の勉強見てあげる事にしたの、大変じゃない?毎週金曜日はネット会議が有ってその整理を土曜日にしてたんでしょ、時間は足りるの」
「大丈夫だよ、それより梶ちゃんにお願いがって、あの子達に情操教育の一環として侑希ちゃんのミルクの補助やオムツ替えの補助をやらせてほしいんだ。其れと料理のお手伝いもね、それが条件で教えてあげる事にしたから。俺も小さい時に兄姉弟以外の子供たちの面倒を見たりするのは当たり前だったからね」
「ふぅ~ん、それは別に良いけど。私なんか美咲で精いっぱいだったから、あの子は私の服やノートでもみんな勝手に使って、私が怒るとお父さんの所に言って泣きついて甘えちゃって、其れでお兄ちゃんから私が怒られて、姉なんて損な役割だったけどね」
「それを言われると俺も耳が痛いよ、秀樹兄さんや純姉さんから毎度のことのように言われ続けてるから、美咲ちゃんも俺と同じように辟易してるんじゃない」
ちょっと強めに言ってしまう俺が居て、その後はあまり会話は進まなかった。
それでも、いつものように梶ちゃんが夕食を作っている間に俺は侑希ちゃんをお風呂に入れていく、最早これは二人の取って当たり前のようになっているけれど、この関係がいつまで続くのかは俺には分からない。
何時もの生活の中で少しづつ離れていく時間を俺は取るようにしているけれど、侑希ちゃんにはどうやら通じないようで、朝のバイバイにも抱きついて来るし、帰ってくれば笑顔で抱っこを要求してくる。
俺は君のパパではないんだ、だからもう甘えないでくれ。・・・って言えたら!いや、言ってはいけない。と云うもう一人の俺が何方かというと勝っている。
「小父さん、美由紀さんと喧嘩してるの?何か何時ものと雰囲気が違うよね」
「おじさん達は喧嘩なんかしないよ、いつもの通りだよ。大家と間借り人の関係だよ。皆、普段は俺達の事をどう思ってんのか教えて欲しいくらいだよ」
「何時もって、普段はさぁイチャイチャ光線がいっぱい出ていて、見ているとこっちが恥ずかしくなるくらいで、家の親なんか「なんであの二人は結婚しないんだろうね。あんなに仲が良いのにこの地区の七不思議の一つかもね」なんて言ってるよ、ちょっと私の考えも入れてあるけど。エヘ」
「ふぅ~ん!それで今日、友達は来るのかな?それとも敏江ちゃんだけなのかな、、そうであればもう始めるけど」
「うぅん、もうすぐ来るよ。堂の前の金子さんちの和江ちゃん、そして後藤さん家の友恵ちゃんがね。だからもう少し待ってて、今日、急に来られることになったからと言って電話が有ったばっかりなんだ、だから三人だよ」
「敏江ちゃん良かったじゃない、一人で苦しい思いをしなくて済むからね。今日は此れから地獄の特訓が始まるんだよ。おぅっと皆が来る前にお喋りしちゃいそうだから黙って居ようっと」
「えぇっ、小父さん何が始まんの、そこら中に紙が貼ってあるけど。Where is the toilet(restroom/comfort station)=トイレはどこにありますか、Behind the door there=其処の扉の奥です。Can I drink water=水を飲んでも良いですか、I want to take a little rest=少し休みたいです。何これどう意味なのって、下に書いてあるから意味は分かるけど」
「こんにちは、敏江ちゃん居ますかぁ。今日からお世話になります和江と友恵ちゃんです。小父さん宜しくお願いしま~す」
「Hello, Nice to meet you(こんにちは、宜しくね)
「えっ、なに!Hello, Nice to meet you too(こんにちは、宜しくお願いします)」
「Japanese is prohibited from now on. Speak all in English. The words I use in my life are written on this paper. Please use it as a reference.(今から日本語は禁止ね。全部、英語で話してね。生活で使う言葉はこの紙に書いてあるからね。参考にして利用してください。)
「えっ、なに、小父さんどういう事なの。よく聞き取れなかったんですけど」
「Speak all in English」
「えぇえっWhat.・・Why.・・・I speak all in English(ぜんぶえいごではなすの)
「Yes, That's right(はい、そのとおりだね)」
こうして過酷な英語授業が始まり、当然数学も英語で進めていく事になった訳で、段々とお喋りは減り集中力が上がっていく事が分かる。
必要な言葉は最初から紙に書いて張っておいたので、これ等を利用して行けば自然と生活の歌で英語の勉強が出来るし、複数人いれば話す回数も増えるのと考える時間も取れるのでより会話が出来やすくなる等、其れで聞ける耳が作れると俺は思っている。
俺は殆ど喋れないままフィリピンやシンガポールなどの英語圏を回って来たし、イギリスとアメリカに行った時には英語圏なのに発音の違いで迷った事さえあった。
特にアメリカは南部と西部の違いは、青森と鹿児島・・いや沖縄くらいの感覚で東京から云った場合に何を話しているのかさえ分からないと思う。
でもそれは必要だから言葉がある訳で、訛りと云うか方言は大事なのだと思う、茨城の言葉だって俺が東京へ出てきた時には訛っている事に気が付かなかったけれど、みんながポカンとしているのに気が付いて、あぁ俺は訛ってるって其処で初めて気が付いたくらいなのだ。
こっちに戻ってから少しではあるけれど茨城の忘れていた方言を思い出し始めては居るけれど、其れでも早口で言われてしまうと何を言っているのか分からない時が有る。
そんな中、辞書を片手に片言英語で話す努力をして、時にはボディランゲージを行ったりして、ともかく日本語は通じない訳で必死になって日本から持ち込んだ数冊の簡単にしゃべれるようになるという英語の教科書と云うかHow to本を読み漁っては辞書を引き、話す努力をした。
それでもこっちに戻ってからはあまり話す機会が無くなってしまってはいたけれど、昨年の十二月末よりネット会議を再開してからは週一だけだが仕事の事で討論するため忘れないでいる。
英語は喋って居なければ忘れてしまう、其れほど日本人にとって身に付きづらいものなのだ、と俺は思っている。
つまり、東京などの普段話す環境が整っていれば自然と必要性に応じて覚える事が出来るけれど、茨城のこの地区では塾の先生か英語の先生、もしくは医師などの病院関係者以外では殆ど話す必要性が無いのだ。
だから英語を聞く耳が育たない、と云うか初めから備わっていないと言っても過言ではないのかも知れない。
だからこそ必死になって覚えなければ到底身に付かないし忘れてしまうのだ、だから僅か三時間だけれど集中して覚える時間を作ったという訳なんだけど、みんな苦戦してるなぁ。
帰りに今日会話した事を記録したCDを上げて、本日の授業を終了した
「I would have been tired of studying. This is the end of today. You can speak Japanese(勉強疲れただろう。本日は此れでお終いです。日本語話して良いですよ)」
うわぁ、やっと日本語話せる~!
「今日話したことはこの CD の中に入っているから自分で聞いて思い出してごらん。たくさん今日話したこと忘れないで。よく頑張ったね、其れじゃ来週も頑張ってください」
有難うございました
「はい、それじゃ今度は梶ちゃんのお手伝いをお願いしますね。俺は部屋に戻るからね」
は~い!
「ねぇ美由紀さん、小父さんと喧嘩したの?何か二人変だよ。イチャイチャ光線出ていないもん」
「な~にぃ!別に普通だよ。ちゃんと話してるし、侑希もお風呂に入れてくれてるよ。侑希は関矢君が大好きだから少しの音でも直ぐに振り向いて探すんだよ、食事の時なんか困っちゃって。私だって分からないのに何で分かるんだろうね」
「へぇ、でも侑希ちゃんの気持ち分かるなぁ。私もお父さんの帰ってくるの分かるもん」
うん、分かるぅ、あれってなんでだろうね((笑))
それでも俺はちょと距離を少しずつだけれど取るように努めている、それは高畑さんとの関係が始まったばかりだし、もし俺が原因で拗れてしまったら・・・と思うと遣る瀬無かった。
好きだから良いという訳ではなく、大人になると言う事は少しづつ柵が出来て、自由のはずがいつの間にか自由で無くなって、気が付いた時にはどうにもならなく成っていて、今の俺がそうなのだと思っている。
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