第八話 慟 哭・・・・・ガンと家族の闘い
金曜日、秀樹兄さんが病院から呼び出され親父と一緒に先生の話を聞いてきた。
病気の進行状態は最悪で、今の医療では出来る事が無いと云う一番聞きたくない結果だった、放射線療法も、投薬療法も、手術も最早遅すぎて出来ない、骨にも転移しているため背中に痛みが出ていると云うのだ。
秀樹兄さんに「親父は落ち込んでいるの?」と聞いたが、「親父はなる様にしかならないのが人間だから、最後の悪あがきはしてみてぇな」って話していたという。
親父はまだ痛みがあると云う事でしばらく入院してから戻る事になったけれど、親父と俺たち兄弟のガンと戦いはこの日から始まったのだ。
担当医である篠原先生から此れからの事について望みがあるような話が出てきた。
「関矢浩介さん、今日は息子さんもいますよね、丁度良かった。実はちょっと試したいお薬があるんです、日本ではまだ認証されていない抗がん剤なのですが、アメリカでは既に使用され高い治療効果が出ている物なんです、ただ三か月間副作用と戦わなければなりません。すでに余命が三カ月未満の関矢さんに耐えられるかどうかは分かりませんが如何でしょう、試して見ませんか」
「それって治験と云う事なんでしょうか、副作用は強く出るんですか?服用期間はどの位なんでしょうか、海外では余命三ヵ月以内の方でも効果が出ているんでしょうか?」
「実際の所、海外では効果が出ていますが残念ながら日本国内ではまだ使用されている実績がなく、関矢さんが了承してくだされば国内初になるかも知れません。最初の月は毎週二回の服用となります、痛みと一緒に免疫力の低下と一緒に体力が奪われるため無菌室で生活をして頂く事になるでしょう。効果が表れているようであれば次の月からは週一回の服用をして頂きまして同じように無菌室で生活を、そして最後の月は月二回で終わりになりますが、痛みがどのくらい出るのかは人其々ですのでその時にならなければ分かりません。如何でしょうか、治験やってみませんか?私たちは提案しか出来ませんので判断は患者様、そしてご家族様に委ねる形になっています」
「うぅん、俺はやってみてえけど、どうだ秀樹、どう思う痛みに耐えられるかはおばあさんの時に見て来たからなぁ俺だって耐えられると思うんだが、純や浩史と相談してくんねえか」
秀樹兄さんからその話を聞いて俺は純姉さんにお袋の時の話を聞いた。
お袋のがん治療の時には俺は海外から戻って来たばかりで、家族会議の中にはいなかったので状況が分からないでいた。
純姉さんの話によれば、お袋の時も抗がん剤の治療をしたそうだが、本人はかなり苦しんだのだとか、髪の毛も抜けて従妹が美容院に勤めて居ることからウィッグをプレゼントされ、普段はそれを愛用していたと云うのだが、残念ながら俺はそういう事さえ何も知らなかった。
抗がん剤の効果が有ればそれなりの副作用が出てかなり苦しむと云う事は分かったが、残念ながらお袋の場合抗がん剤は効果があったかもしれないけれど、やはり手遅れと云う事で亡くなってしまったのだ。
其れじゃ親父の場合はどうなのだろうか、秀樹兄さんの話では強い副作用が出る可能性が有る、果たして親父がそれに耐えられる体力があるのか?そして一番は心が折れてしまうんじゃないのかが心配されると云うのだ。
お袋の時の状況を一番目の当たりにした親父だが、秀樹兄さんの考えでは多分体力的に無理なのでは、でも親父がやってみたいと云うのだから取り敢えずやってみて、本人が止めたいと云えば途中でもそれに従えば良いだろうと云うのだ。
純姉さんも秀樹兄さんと同じ意見だと云う事で、俺もそれに従うという結論に達した。
翌日、土曜日に兄姉三人で親父の病室にお見舞いに行き、そこで俺たちの意見を親父に告げ、篠原先生に話して、月曜日から抗がん剤の投与を開始する事になったのだった。
日曜日に梶ちゃん姉妹がやってきたので、親父の月曜日からの抗がん剤投与の事を話すと、治療が開始すれば無菌室での親父との直接の会話はインターホンかPHSでしか出来ない事など、コミュニケーションが取りづらいこと等を知った。
月曜日の夕方仕事の帰りに親父の病院によってみた、昼間は純姉さんと裕子義姉さんが来ていたと云うが俺が来た時にはもう二人の姿なかった。
ガラス越しに見る親父の姿、PHSで話が出来ると云う事で看護師さんにお願いをしてPHSを借りて話をした。
「どう親父、抗がん剤飲んでみた、何錠飲んだの、気持ち悪くないの、痛みなどは出ていないの?」
「まだ飲んだばかりで良く分かんね、多分今夜か明日当たりかそれなりの反応が出るらしいから、おばあさんの時も大変だったのを思い出すんだ、俺は我慢出来ねえかも知れねえな」
「何弱気なこと言ってんだよ、まだ始まったばかりじゃないか、でも頑張ってよ、俺に親孝行させてくれよな、それに嫁さんだってまだ見せていないんだから、頑張ってよ、頼むからね」
「あぁ、分かってるよ、それから浩史、嫁さんなら梶谷さんがいるだろう、あの娘なら俺も安心なんだがなぁ」
普段通りの会話が出来たことで、ガラスの向こうのベッドの上でカラ元気なのか分からないがこの時はまだ明るい声が聞こえたので安心した。
帰る途中にある郊外型レストラン夢路庵で夜食を食べ、携帯メールを確認してみると、会社の電話には支社長と営業所長から親父の事や仕事の事について連絡が来ていた。
うどんと寿司を食べながらそれなりに返事をして、今度は自分の携帯を見ると梶ちゃんから親父の様態についてと夜食についてのメールが来ていて、夜食どうするのとか作って置いてあげようか等と来ていたが、其処迄甘える訳にも行かない旨を伝え、外食で間に合わせるしコンビニの弁当もある等と返信をして家に戻った。
まだ、茨城に帰って来てから二カ月もたっていないのにこの展開の速さは何だ、俺ってもしかして疫病神なの?そう自問しながら風呂から出て、そんなに強くないのに冷蔵庫に入っている缶ビールを取り出し一気飲みしてそのまま眠りについた。
朝、車に純姉さんが用意しておいてくれた親父の着替えを車に放り込んで、営業所へと出社し、自分が今日からやるべき事が沢山ある旨を所長に伝え、自分がなぜここに配属されたのかを実行始めた。
今まで資材管理の帳簿や倉庫の在庫状況などは見ていたが、今日からは営業所管轄の現場の資機材の状況を確認したり、現場で働いている人たちの意見を聞くことが仕事になる、もうお客様ではないのだ。
現場は山の中での砂防ダム建設、落石防止柵取り付けやネット取り付け、モルタル吹付の現場から河川工事、道路工事まであるためそれなりの知識が必要になってくる。
俺の勤めている会社自体は中階層マンションや商業施設などの躯体工事、上下水道の本管工事などの公共工事なども行う中間企業ゼネコンだが、ある程度の工事自体は直接やる場合もあるし、地域の工事業者を守るために下受けに入って貰い助け合う事も、そうしなければ何かあった時に地域の業者から相手にされなくなってしまうのだ。
俺の場合は入社してから一年後、それぞれの現場を約六カ月単位で修行と云うか経験させられたため、それなりに技術や知識をどちらかと云うと下請けさんから教えてもらう事が出来た。
その為、支社の社員たちの他にも下請けさんとネットワークが出来、各地で皆さんにお世話になっている。
そして、技術向上や資機材の過不足を防ぐことを考え、これらのネットワーク化を推進し、それが認められて今まで赴任してきた支社の県内ばかりではなく、近隣を含めた資機材や人材の移動が可能になり支社単位での利益が出やすくなっている。
しかし、まだ南関東支社に関してはネットワーク構築が遅れていて、その理由が分かっていなかった、その為には現場を知る事からと考えたのだ。
まずは、営業所管轄の栃木県との県境にある東茨城郡白里村に行って、山の中にある砂防ダムの現場とモルタル吹付の現場を見て回り、其々現場で働いている人たちの声を聞いて周ってきた。
この地域は国道六十一号線をひた走り抜けていくと五十一号線に交わり今度は五十一号線を走って行くだけなのだが、山間部の間を走り抜けていくと各所にゴルフ場が見える。
ゴルフ場が出来るとどうしても山の保水能力が下ったり、一時は除草剤が井戸水に染み込んでしまったりなど問題が出ていたことも有ったが、今では環境等への配慮が進み、そのような問題は無くなったが保水能力の低下は歪めない物がある。
茨城県は阿武隈山系の一部が繋がっているが、標高がさほど高くはないので土砂崩れ等の大きな被害が聞こえてはいないが、山に入れば彼方此方で土砂崩れの跡が見える、予防対策が急がれているのだ。
また、山間や谷間に道を作っているため、どうしても落石や地滑りなどの防止のためにうちの会社などが工事を進めているが、予算との兼ね合いもあって思うように進まないのが実態ではないだろうか。
現場で働いている多くの作業員の方から貴重な意見を聞き取る事が出来たのと、在庫状況の把握が出来たこと等の収穫はあったが、まだ始まったばかりで全部回るには一カ月以上かかるのではと思いながら営業所に戻ってきた。
現場主任から余計なことするなって顔で睨まれてしまったが、これは他支社に派遣された時も同じような待遇だったのであまり気にはならない、其れよりも現場と営業所との乖離があったことには驚いてしまった。
レポートを所長に提出して、社を出てそのまま親父のいる西海病院へと車を向けようとしたときに自分の携帯にメールが入ってきた、梶ちゃんと純姉さんからだった。
「外食しないで自宅の方に作って置いとくからまっすぐ帰ってください。」
「ちゃんと食事しなさいよ、梶ちゃんが毎日ではないけれど作ってくれるってさ、感謝しなさい」
俺にとっては有難いけれど、「なんだ、この二人は何でこんなに仲がいいのって??・・・」って思っている内に西海病院についた。
今日の親父は、傍から見ても昨日とは違い苦しそうだった、看護師さんもマスク越しで見ている目が大変そうに見えるのだ
「親父どうした、今日は苦しそうだね、大丈夫か?」
「あぁ、浩史ちょっと吐き気がな、其れと背中の痛みが強く感じんだ、それで眠れなくてなゴホゴホ咳すんのも辛いんだわ、これからもっと辛くなるんだそうだ。我慢出来ねえかもしんねえ」
「何言ってんだよ、悲しいこと言うなよ!ダメだぞ、まだ始まったばかりなんだから、それに親父がやってみたいと言い出したんだから頑張れよ」
俺は親父を励まし、看護師さんに着替えを渡して、状況を聞いてみた。
「関矢さんは朝から反応が出てきて、あのような状況ですが、特にガンが背骨と肋骨に転移している為、其のところに強く痛みが出ているようです。これからもっと強く痛みや吐き気が出る可能性が有りますので、励ましてあげてください。其れが一番の力になると思います」
俺にとって、親父のあんな泣き言聞いた事が無かった、駐車場で秀樹兄さんと純姉さんに親父の事をメールで送信して、背凭れに寄りかかってはため息だけが出てくる自分に気が付いた。
子供である俺に出来る事って何なんだろう、病気には医師でない限りは何も手を出せない訳だし・・・・本当に無力な己の不甲斐なさを思い知るだけだった。
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